夏学期の期末試験があったので、綾の通夜には出られなかった。
 さすがに必修の試験はサボれない。

 それでも合間をぬって実家に帰り、葬儀には出た。
 綾のお母さんと久しぶりに会った。
 白髪が増えていた。
 すぎた時間の長さよりも、経てきた事柄の多さを感じさせた。

 綾は自宅の近くでひとり暮らしをしていたらしい。
 寝ず休まず昼夜逆転。
 飲まず食わず不摂生。
 そんな暮らしの末、かえらぬ人となったようだった。

 彼女は亡くなる少し前に、出版社主催のコンテストで受賞していたとのことだった。
 そうした話題から目をそむけつづけていたので知らなかった。
 そのコンテストは、昔二人で応募したものだった。

 綾は天に近すぎた。



 わたしは大学を辞めることにした。

 三智も豊岡も驚いていた。
 それはそうだ。

 いま通っている国立大学は中途退学するつもりだが、それは別の大学に受かってから。
 そう告げると、二人はようやくひと安心したようだった。

 その夜、わたしは二人と徹夜カラオケへ行った。
 オール明けの朝、繁華街近くの公園でジュースを飲みながら昔話をした。

 絵を描いていたこと。
 ライバルがいたこと。
 そのライバルがいなくなったこと。

 最近また絵を描いてみたこと。
 全然描けなくなっていたこと。
 綾との差が開いていたこと。

 腕を磨き、使える技術を増やし、表現の幅を広げたい。
 そのために別の道を選ぶこと。

 三智も豊岡も、目いっぱい応援すると言ってくれた。



 第一志望は東京の美術大学と定めた。

 仮面浪人しながらの受験勉強はきつかった。
 学科試験はまだなんとかなる。
 何しろいまの大学を受験したのは二月末のこと。
 まだ一年と経っていない。
 大学入学後に抜け落ちてはいたが、少し勉強すればすぐ取り戻せた。

 問題は実技のほうだった。
 わたしはデジタル専門だし、受験するのもデジタル・アートの学科だが、実技試験ではアナログの作品提出が求められる。

 いまの大学の近くに美術研究所があるというので、そこへ通うことにした。
 研究所というのは予備校のようなものだ。

 最初はおもしろかった。
 紙に鉛筆で描くというのは新鮮な体験だった。
 しかしその愉しさは初心者ゆえのものであり、競争に勝ち抜くための技術を身につけるとなると、やはり話は変わってきた。

 ほとんどダブル・スクールのようなかたちで日々を過ごした。
 冬学期の試験は、美大のほうの受験と時期も近く、受けるかは正直悩んだ。
 それでも語学の単位だけはとっておくことにした。
 最低限語学の単位があればいまの大学に残る場合でも留年は免れるし、語学の単位は他の大学へも持ち越せることが多い。
 三智がつくってくれたノートと、豊岡がどこからか手に入れてきた過去問のおかげでなんとか単位はとることができた。



 忙しい一年だった。
 大学に入学して、新しい生活を初めて、道を選びなおすことを決め、勉強して、勉強して、勉強して、描いて、描いて、描いて、友人とすごした。

 三智。
 豊岡。
 縁もゆかりもないこの地で二人に会えたことを感謝したい。

 しかし。
 しかしだ。
 なぜか、同じ時間をすごした友人が他にもいたような気がしてならない。

 研究所で自由に描いてみなさいといわれたとき、わたしは脳裏にずっと焼きついて消えない光景をカンヴァスに描いてみた。

 早朝の青みがかった空気のなか、公園でたむろする五人の姿。
 わたしと、三智、豊岡。
 そして綾。

 きっとわたしは夜の夢で見たのだろう。
 花火のあと、綾のことを想うことが増えたから。
 だからそこに綾がいるのは不思議ではない。

 では、残りひとりは誰だ?
 小柄で、かわいらしい格好をして、薄いピンクのポシェットを提げたこの子は?

 描いた絵は持ち帰り、三智と豊岡にも見せてみた。
 しかし二人も首をかしげるばかり。

 結局その女の子が誰なのかはわからなかった。