十分後にインターホンが鳴った。

 カメラには綾が映っていた。
 服装はいつもどおりの黒いジャージにピンクのスカート。

「あんた、その格好で花火行くつもり?」

「星佳、浴衣とか持ってんの?」

「当たり前でしょ」

「どうせ着つけなんてできないでしょ」

「いまネットで動画見ながらやってんの」

「時間のムダ。早くしないと終わっちゃうでしょ!」

 インターホンの通話をきる。
 また鳴る。

「わかったって! なんで浴衣ってこんな手間かかるの! めんどくさい!」

 また通話をきって、てきとうな洋服をまとって部屋を出る。

 あ。
 浴衣に夢中でメイクしてない。

「……もういいや」

 昂揚で疲れと眠気を覆い隠しているだけのいま現在、もう見た目を取りつくろっている気力がない。

 マンションのホールに降りてみると、綾のほうがよっぽどひどかった。
 ぼさぼさの髪、目の下には暗黒のクマ。
 服もしわだらけ。

 まあいいや。
 どうせみんな空しか見てないでしょ。

 綾と二人、近くの河原へ向かう。
 土手の向こうには人があふれかえっていた。
 見た瞬間、帰りたくなった。
 わざわざ人ごみに突撃しなくても、うちのベランダから見ればいいし。

「あ、いたいた! おーい、お二人さん!」

 しかし判断が一瞬遅かった。
 遠くからチャラッチャラの甚兵衛姿の豊岡が大きな声で手を振ってくる。

 その後ろから三智と羽奈の姿が現れる。
 二人とも華やかな浴衣で着飾っている。
 三智は紫紺にアヤメ柄。
 羽奈は白地に桜吹雪……そして薄いピンクのポシェット。
 髪もアップにまとめていて、これこそ花火見物の正装といった趣。

 それに比べてわたしと綾なんて……徹夜明けでちょっと近所のコンビニへといった風情。
 風情というかだいたい事実なのが泣けてくる。

「お二人さん、その格好……。河原でケンカでもしてたの?」

 近づいてきた豊岡がマジなトーンできいてきたので、わたしと綾はそれぞれ左足と右足にロー・キックをたたきこんだ。

「なんにしても来てくれてよかったよ」
 安堵の表情を浮かべる三智。

「長らく心配かけてごめん」

「いまはだいじょうぶ?」

「うん。とりあえずはね。ただ、寝てないし食べてない」

 わたしがそうこたえると、脇から羽奈がビニル袋をつきだしてきた。

「だろうと思って、焼きそばとたこ焼き買っといたよ! ほら、食べて食べて! あ、でもお代はあとからいただきます!」

 そして羽奈は片目をつむり、しー、と人さし指を立ててみせた。
 魔女の件は黙っておいてということか。

「……ありがと。もーお腹ぺっこぺこ! 一パックずつあるから、半分こしよっか。はい、綾は焼きそばからね」

「ん」

 ビニル袋からパックを取りだし綾に手渡す。

 わかったよ、羽奈。
 いや、魔女。

 ……ううん。
 いまは羽奈でいいや。

 綾は言っていた。
 今夜までだと。
 これが最期なら、もういまさら羽奈を問いただしてもしかたない。

 河川敷も、打上場や出店から少しはなれれば、五人分のビニル・シートを広げられるくらいの余裕があった。
 次々と打ちあげられる花火を見あげながら、たこ焼きと焼きそばを食べる。

 水辺のにおい。
 草のにおい。
 ソースのにおい。
 火薬のにおい。
 これは生涯忘れてはならないにおいだと思った。

 食べ終わったあと、わたしと綾はパックのゴミを捨てにいった。

「ねえ、星佳」

「ん?」

 その帰路。花火の炸裂音の下、肩を寄せあい言葉を交わす。

「もし絵を描いてなかったら、こうやって普通に遊びにいくこともあったかな?」

「……なかったんじゃない」

「だよね。だって星佳、わたしのこと嫌いだもんね」

「綾こそ」

「うん、大嫌い」

 綾はスマホを取りだし、歩きながら操作しはじめた。

 わたしたちのとったビニル・シートの席が近づいてくる。
 三智、豊岡、そして羽奈。
 三人はビビッドな色彩にいろどられている。

「だからこれは幻。手の届かない、空に咲く花」

 そうつぶやき、綾はスマホを空に掲げた。

 と、わたしのスマホがぶるるると震えだした。
 取りだして見ると、LINEの通知。
 いつだったか、この五人でつくったグループに、綾が画像をアップロードしたと。

「写真でも撮ったの?」

 グループ・トークを開く。
 綾があげたのは花火の写真ではなかった。

 それは一枚のイラストだった。
 青を基調とした、清らかで穏やかで爽やかな一枚。
 早朝の公園、池のほとりで笑いあう五人の姿。

 それはたしかに幻だった。
 一度きりの、二度と見られない、手の届かない景色。

 ビニル・シートに座った三智と豊岡がスマホを取りだして見ている。
 わたしと同じものを見ている。

 羽奈は、ひとりはなれた場所に立っていた。
 桜の枝を、胸に抱えるように持っている。

 先日見たときよりも花が減っている。
 見ているうちに、一枚、また一枚と花びらが散っていく。

 花火の弾ける音のあと、観衆のざわめきがひときわ大きくなった。
 何かと思い見あげると、夜空から桜の花弁が舞っていた。

「綾」

 耳もとに顔を寄せ告げる。

「あんたは天才だよ」

 彼女は目を細めてこたえた。

「うっざ」