目を開けると、部屋のなかは真っ暗だった。
カーテンのすき間から覗く空も黒かった。
スマホを見る。
深夜だ。
起きあがってみる。
だいぶ楽になっている。
電気をつける。
部屋が片づいている。
夕方のひとときが夢ではなかったと思い知らされる。
条件法の魔女。
羽奈が、魔女。
冷静に考えてみると、だからなんだ、となる。
別に羽奈がどんなアカウントを開設していようとかまわないだろう。
別に、羽奈が特殊能力の持ち主というわけでもあるまいし。
だってわたしは何ひとつ不思議現象を見ていない。
体験していない。
願いをかなえてもらっていない。
それなのに、わたしはどこかで信じてしまっている。
羽奈は本物の魔女であると。
魔女というのはTwitter上でのおふざけではないと、どこかで思っている。
あの気配。
気迫。
存在感。
これまでの羽奈とは打って変わったあの空気が、わたしに信じさせている。
バカらしいのひと言で片づけられなくなっている。
PCをつける。
Discordをインストールする。
昔使ってた『星蝕』のアカウントでサインイン。
綾のサーバを開く。
『アヤハルノ』はオンラインになっていた。
ヘッドセットをつけ、通話をかける。
綾はすぐに出た。
「綾。あんた魔女に願いをかなえてもらったでしょ」
「アイツ、そっち行ってたんだってね。さっき聞いた」
「資格って何? あんたとわたしで何がちがうの!」
「じゃあ勝負ね。星佳が勝ったら教えてあげる」
「は? なんで、」
「じゃあね」
通話がきられる。
またかける。
「で、モチーフは何?」
「星佳、最近のコンテンツ知らないでしょ?」
「アニメもゲームもさっぱり」
「勉強しなさいよ」
「してたんだよ」
「じゃあ、古のこのカプで。時間は一時間ね。よーいどん」
と、綾は独断でモチーフを決めて勝手にスタートの合図を切った。
ちゃんと音声が届くよう大きめに舌打ちをかましてから、画面をイラスト用ソフトに切りかえる。
どうせこうなる気はしていたので、ソフトはあらかじめ立ちあげてあった。
綾が選んだのは三年くらい前にアニメ化したゲームだった。
わたしが界隈をはなれて二年。
たった三年前に隆盛をほこったコンテンツが、いまでは『古の』と枕詞をつけられてしまう。
そのとき流行っているコンテンツに群がり、他が流行りだしたらすぐそちらに移動する絵師はイナゴなんて揶揄されるが、綾もいうとおり彼ら彼女らは最新のトレンドを勉強しつづけているだけだ。
外面のデザインも内面の造型も進化は日々止まらない。
昨日と明日で世界はちがうものになっている。
あと、綾の言っていたカプというのはカップリングのことだ。
まあ、なんというか、その、キャラクタが二人いればそこには関係性が生まれるわけで、性愛の感情が含まれていたり、性愛に発展しうる可能性の萌芽を孕んでいたりする関係性のことをカップリングというわけだ。
CPとも表記される。
男女のカップリングだったらノーマル・カップリングやノマCPと呼んで、同性だったら……あとはAIにでも問いあわせてください。
わたしと綾は同じモチーフを好んで描く。
『共に在りたいが、共に在られない』。
今回綾が指定したのもそうした解釈のできるカプだ。
二次創作というのは、単純に絵がうまければ評価されるというものでもない。
好事家たちは解釈を大事にする。
原作の描写をいかに解釈し、その可能性の線を延長させるか、その可能性の幅を広げるか。
二次創作者たちは己の解釈を創作というかたちで表現する。
SNSや投稿サイトで二次創作を閲覧する同人たちは、自分の解釈と一致した作品を求め、そうした『わかっている』作品を評価する。
『いいね』とは解釈一致の表明なのだ。
そして『解釈違い』な作品を投稿する創作者がレコメンドに出てこないようミュートしたり、ときには公式に対してすら『解釈違い』だとお気持ちを表明したり……最近のAIはこのあたりにも詳しいそうですよ。
「ねえ、なんでわたしに絵を描かせたがるの?」
「は? 何急に」
問いかけると、綾からは乱暴な返事がかえってきた。
「わざわざこっち来て、大学にまで顔だしてさ。わたしなんて放っといて勝手に描いてればいいじゃん」
「あたしだって本当ならあんたにかまってる暇なんてない」
「じゃあなんで!」
「あんたが天才だからよ」
タイマーが時間切れを告げる。
一時間。
それはひとつの作品を生み出すにはあまりに短すぎる時間だ。
いや、ひと様に見せるものをつくりあげるには短すぎるというべきか。
塗りやエフェクトでごまかしている暇がない。
お化粧してあげる余裕がない。
ありのままの骨格と筋肉と肌で勝負できるような作品にしてあげなくてはならない。
要するに、実力というむき出しの暴力で殴りあうことになるわけだ。
「……くそ」
綾に聞こえないようひとりごちる。
いまのわたしではこれが精いっぱいだ。
こんなものを見せたくない。
他でもない綾にだけは、こんなものを。
しかしこれは勝負だ。
あいつが挑み、わたしが受けた。
綾と通話しているサーバにイラストをアップする。
同時に、綾も自作をあげてきた。
負けた。
もうそれしか言葉がなかった。
ここの構図がとか、表情のこの線がとか、塗りだとか、細かく言いだしたらきりがない。
でも意味がない。
言葉を連ねることに意味を感じない。
だってこれは絵だ。
見て感じるものだ。
「……条件法の魔女は命と引き換えに願いをかなえるわけじゃない。臨死体験って知ってるでしょ。走馬燈を見るってやつ」
「は? 綾、あんた何言って、」
「魔女は死んでいく人間に走馬燈を見せる。そのなかで、最期の願いをかなえる。それが魔女の魔法」
綾は、わたしの言葉を無視して一気にそうまくし立てた。
「どうしちゃったの、急に」
「約束したでしょ。あんたが勝ったら教えてあげるって」
「……ふざけてんの? どう見たってあんたの勝ちでしょ! わたしのなんて、デッサンもパースもぐちゃぐちゃだし、線汚いし、塗りだって昔より下手だし、綾のように最近の技術なんて全然身についてないし。あの賞をとった絵も見た! 何アレ、あんたいつの間に、あんなに描けるように……!」
「星佳は天才だよ」
綾は、ただひと言、それだけいった。
「天才って何? 覚悟? 自分の人生全部ぶっこめるかどうかみたいな? それ、あんたのことじゃん! わたしにはできなかったんだって!」
「ちがうよ」
「じゃあ才能? 生まれつきのもの?」
「ちがう。才能とか環境とか捧げた時間とか、そんなの切りわけて考えられるものじゃない。わたしたちはいつも、いまこのときの自分全部で勝負することしかできない」
「……じゃあ、天才って何なの?」
数秒を措いてから、綾は「天才は」と話しだした。
「天才は二人称だよ。自分より自分の理想に近い絵を描く人。天からありのままに近いかたちを引っぱってこれる人。……星佳の絵は、たしかに下手クソ。ブランクでクソみたいに衰えてる。でもこの構図は、あたしには引っぱってこれなかった。こんなの半分くらい解釈違いだけど、いざ描かれてみると納得しちゃう。このカプにはこういう可能性があるって思っちゃう。説得力があるんだよ」
回線の向こうで、洟をすする音。
「見た瞬間、これがあたしの描きたかった理想だって思っちゃったら、もう負けなんだよ」
しゃくりあげながら、綾はそれでもわたしに伝えようとした。
「きっと、たくさんの人が、星佳を天才だっていうよ。星佳は、自分を天才と呼ぶみんなに、こたえないといけない。より理想に近いものを、見せつづけなきゃいけない」
「……天才って、呪いじゃん」
「一生、呪われてろ」
叫びたかった。
もう叫ぼうかと思った。
このマンションは軽量鉄骨で隣の音は微かに聞こえるくらいだからこんな深夜に叫んだら隣近所の迷惑になって引っ越すハメになるから敷金礼金引越し費用で貯金が全部ふっ飛んで親に金を出してもらえばいいからいまのごちゃごちゃの感情を全部吐きだしたいと思った。
でもわたしは叫ばなかった。
だってわたしは詩人じゃない。
「……綾。次のモチーフはこれでどう?」
わたしはいまも、描く人だから。
カーテンのすき間から覗く空も黒かった。
スマホを見る。
深夜だ。
起きあがってみる。
だいぶ楽になっている。
電気をつける。
部屋が片づいている。
夕方のひとときが夢ではなかったと思い知らされる。
条件法の魔女。
羽奈が、魔女。
冷静に考えてみると、だからなんだ、となる。
別に羽奈がどんなアカウントを開設していようとかまわないだろう。
別に、羽奈が特殊能力の持ち主というわけでもあるまいし。
だってわたしは何ひとつ不思議現象を見ていない。
体験していない。
願いをかなえてもらっていない。
それなのに、わたしはどこかで信じてしまっている。
羽奈は本物の魔女であると。
魔女というのはTwitter上でのおふざけではないと、どこかで思っている。
あの気配。
気迫。
存在感。
これまでの羽奈とは打って変わったあの空気が、わたしに信じさせている。
バカらしいのひと言で片づけられなくなっている。
PCをつける。
Discordをインストールする。
昔使ってた『星蝕』のアカウントでサインイン。
綾のサーバを開く。
『アヤハルノ』はオンラインになっていた。
ヘッドセットをつけ、通話をかける。
綾はすぐに出た。
「綾。あんた魔女に願いをかなえてもらったでしょ」
「アイツ、そっち行ってたんだってね。さっき聞いた」
「資格って何? あんたとわたしで何がちがうの!」
「じゃあ勝負ね。星佳が勝ったら教えてあげる」
「は? なんで、」
「じゃあね」
通話がきられる。
またかける。
「で、モチーフは何?」
「星佳、最近のコンテンツ知らないでしょ?」
「アニメもゲームもさっぱり」
「勉強しなさいよ」
「してたんだよ」
「じゃあ、古のこのカプで。時間は一時間ね。よーいどん」
と、綾は独断でモチーフを決めて勝手にスタートの合図を切った。
ちゃんと音声が届くよう大きめに舌打ちをかましてから、画面をイラスト用ソフトに切りかえる。
どうせこうなる気はしていたので、ソフトはあらかじめ立ちあげてあった。
綾が選んだのは三年くらい前にアニメ化したゲームだった。
わたしが界隈をはなれて二年。
たった三年前に隆盛をほこったコンテンツが、いまでは『古の』と枕詞をつけられてしまう。
そのとき流行っているコンテンツに群がり、他が流行りだしたらすぐそちらに移動する絵師はイナゴなんて揶揄されるが、綾もいうとおり彼ら彼女らは最新のトレンドを勉強しつづけているだけだ。
外面のデザインも内面の造型も進化は日々止まらない。
昨日と明日で世界はちがうものになっている。
あと、綾の言っていたカプというのはカップリングのことだ。
まあ、なんというか、その、キャラクタが二人いればそこには関係性が生まれるわけで、性愛の感情が含まれていたり、性愛に発展しうる可能性の萌芽を孕んでいたりする関係性のことをカップリングというわけだ。
CPとも表記される。
男女のカップリングだったらノーマル・カップリングやノマCPと呼んで、同性だったら……あとはAIにでも問いあわせてください。
わたしと綾は同じモチーフを好んで描く。
『共に在りたいが、共に在られない』。
今回綾が指定したのもそうした解釈のできるカプだ。
二次創作というのは、単純に絵がうまければ評価されるというものでもない。
好事家たちは解釈を大事にする。
原作の描写をいかに解釈し、その可能性の線を延長させるか、その可能性の幅を広げるか。
二次創作者たちは己の解釈を創作というかたちで表現する。
SNSや投稿サイトで二次創作を閲覧する同人たちは、自分の解釈と一致した作品を求め、そうした『わかっている』作品を評価する。
『いいね』とは解釈一致の表明なのだ。
そして『解釈違い』な作品を投稿する創作者がレコメンドに出てこないようミュートしたり、ときには公式に対してすら『解釈違い』だとお気持ちを表明したり……最近のAIはこのあたりにも詳しいそうですよ。
「ねえ、なんでわたしに絵を描かせたがるの?」
「は? 何急に」
問いかけると、綾からは乱暴な返事がかえってきた。
「わざわざこっち来て、大学にまで顔だしてさ。わたしなんて放っといて勝手に描いてればいいじゃん」
「あたしだって本当ならあんたにかまってる暇なんてない」
「じゃあなんで!」
「あんたが天才だからよ」
タイマーが時間切れを告げる。
一時間。
それはひとつの作品を生み出すにはあまりに短すぎる時間だ。
いや、ひと様に見せるものをつくりあげるには短すぎるというべきか。
塗りやエフェクトでごまかしている暇がない。
お化粧してあげる余裕がない。
ありのままの骨格と筋肉と肌で勝負できるような作品にしてあげなくてはならない。
要するに、実力というむき出しの暴力で殴りあうことになるわけだ。
「……くそ」
綾に聞こえないようひとりごちる。
いまのわたしではこれが精いっぱいだ。
こんなものを見せたくない。
他でもない綾にだけは、こんなものを。
しかしこれは勝負だ。
あいつが挑み、わたしが受けた。
綾と通話しているサーバにイラストをアップする。
同時に、綾も自作をあげてきた。
負けた。
もうそれしか言葉がなかった。
ここの構図がとか、表情のこの線がとか、塗りだとか、細かく言いだしたらきりがない。
でも意味がない。
言葉を連ねることに意味を感じない。
だってこれは絵だ。
見て感じるものだ。
「……条件法の魔女は命と引き換えに願いをかなえるわけじゃない。臨死体験って知ってるでしょ。走馬燈を見るってやつ」
「は? 綾、あんた何言って、」
「魔女は死んでいく人間に走馬燈を見せる。そのなかで、最期の願いをかなえる。それが魔女の魔法」
綾は、わたしの言葉を無視して一気にそうまくし立てた。
「どうしちゃったの、急に」
「約束したでしょ。あんたが勝ったら教えてあげるって」
「……ふざけてんの? どう見たってあんたの勝ちでしょ! わたしのなんて、デッサンもパースもぐちゃぐちゃだし、線汚いし、塗りだって昔より下手だし、綾のように最近の技術なんて全然身についてないし。あの賞をとった絵も見た! 何アレ、あんたいつの間に、あんなに描けるように……!」
「星佳は天才だよ」
綾は、ただひと言、それだけいった。
「天才って何? 覚悟? 自分の人生全部ぶっこめるかどうかみたいな? それ、あんたのことじゃん! わたしにはできなかったんだって!」
「ちがうよ」
「じゃあ才能? 生まれつきのもの?」
「ちがう。才能とか環境とか捧げた時間とか、そんなの切りわけて考えられるものじゃない。わたしたちはいつも、いまこのときの自分全部で勝負することしかできない」
「……じゃあ、天才って何なの?」
数秒を措いてから、綾は「天才は」と話しだした。
「天才は二人称だよ。自分より自分の理想に近い絵を描く人。天からありのままに近いかたちを引っぱってこれる人。……星佳の絵は、たしかに下手クソ。ブランクでクソみたいに衰えてる。でもこの構図は、あたしには引っぱってこれなかった。こんなの半分くらい解釈違いだけど、いざ描かれてみると納得しちゃう。このカプにはこういう可能性があるって思っちゃう。説得力があるんだよ」
回線の向こうで、洟をすする音。
「見た瞬間、これがあたしの描きたかった理想だって思っちゃったら、もう負けなんだよ」
しゃくりあげながら、綾はそれでもわたしに伝えようとした。
「きっと、たくさんの人が、星佳を天才だっていうよ。星佳は、自分を天才と呼ぶみんなに、こたえないといけない。より理想に近いものを、見せつづけなきゃいけない」
「……天才って、呪いじゃん」
「一生、呪われてろ」
叫びたかった。
もう叫ぼうかと思った。
このマンションは軽量鉄骨で隣の音は微かに聞こえるくらいだからこんな深夜に叫んだら隣近所の迷惑になって引っ越すハメになるから敷金礼金引越し費用で貯金が全部ふっ飛んで親に金を出してもらえばいいからいまのごちゃごちゃの感情を全部吐きだしたいと思った。
でもわたしは叫ばなかった。
だってわたしは詩人じゃない。
「……綾。次のモチーフはこれでどう?」
わたしはいまも、描く人だから。