「……はあ、はあ」
学校から少しはなれた公園のベンチに腰をおろす。
というか崩れおちる。
体育の授業でもここまで全力で走ったことなんてない。
息を落ちつけてから、スマホを取りだす。
Twitterの自分のアカウントを開き、さっき見せられたツイートを表示させる。
懐かしい。
このツイートをしたのは一年近く前のこと。
『渚にて』という小説を読んで僕はこれをつぶやいた。
じわじわと、胸にあたたかい気持ちが浮かんでくる。
このつぶやきを理解してくれる人が現れるなんて、思いもしなかった。
もちろんこのツイートには『いいね』がそこそこついているし、リツイートもされている。
でもまさか『いいね』をしてくれた人が目の前に現れるなんて。
『いいね』をしてくれた人の一覧を開く。
麻布さんのアカウントはすぐに見つかった。
さっき僕に見えるようにスマホを操作していたとき、アイコンとアカウント名が見えていたからだ。
麻布さんは僕をフォローしてくれていた。
僕の他のツイートも『いいね』をしたりリツイしてくれていた。
感謝の念をこめて、彼女のアカウントをフォロー・バックしておく。
家に帰るとお母さんが出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま。今日は夜勤だっけ?」
「そうよー。もうすぐ出るから、ご飯はお祖母ちゃんと食べておいてね」
僕とお母さんは、少し前からお母さんの実家で暮らしている。
お祖父ちゃんはもう十年も前に他界しているが、お祖母ちゃんはまだまだ元気だ。
僕たちは三人で広い家に住んでいる。
正直、部屋をもてあましている。
自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。
八畳もある広い和室。
ここを自室にしてから半年ほどが経つ。
最初は自分の部屋という感覚が希薄だったけれど、畳にレゴの世界を広げたらようやくここを自分の居場所だと思えるようになった。
と、玄関のチャイムが鳴った。
一階から「はーい」というお母さんの声が聞こえてくる。
ドアが開く音。
その少しあと、階段をどたどたと登ってくる音。
「佳くん! お友だち! クラスメイト、女の子!」
勢いよくふすまを開けたお母さんが、片言でそう叫んだ。
「クラスメイト、女の子?」
僕も変なイントネーションでそう返してしまった。
だってあまりにも予想外すぎる。
僕の家を訪ねてくる女子なんて思い当たらな……いや、もしかして。
一階に降りてみると、玄関の外にはやっぱり麻布さんが立っていた。
「やっほー。さっきぶりー」
というかお母さん。
驚くべきは女子というところじゃないよね。
まずツノと尻尾と羽根に驚こうよ。
「来ちゃった!」
てへ、とウインクする麻布さんの前でドアを閉め、しっかり施錠する。
「あら。もういいの?」
台所からこちらをのぞきこんでいたお母さんに「忘れもの届けてくれただけだから」と適当にこたえながら階段を登る。
「おじゃましてまーす」
ふすまを開けると、案の定そこには麻布さんがいた。
「あれ、もっとびっくりしようよ。せっかく魔族っぽい登場のしかたしたのに!」
窓枠に腰かけ、頬をふくらませる麻布さん。
少し舌っ足らずで、『しかたしたのに』の『た』は半分『ら』の音になっていた。
「そんなに驚かないよ。もうこのパターンは読めてたから」
驚いてはいないけれど、心臓はのたうち回っている。
だって自分の部屋に女子がいる。
……これじゃお母さんと同じじゃないか。
部屋に魔族がいるより、女子がいるほうがよっぽど異常事態だ。
「麻布さん、いまさらだけど、その姿はどうしたの? 僕の記憶がたしかなら、昨日までは普通の人間の姿だったと思うんだけど」
「実はあたし、魔族の令嬢だったんだよね」
おかしいな。
日本語で話しているはずなのに理解できない。
「世界を滅ぼすために地上に来たんだー」
今日のご飯はハンバーグなんだー、くらいのテンションでそう告げながら、麻布さんは靴を脱いで畳に足をおろした。
「靴、窓の外に置いといていい?」
「あ、うん」
窓の外は瓦屋根になっている。
窓から身を乗りだす麻布さん。
短いスカートから尻尾がとび出ている。
思わず目をそらす。
「で! 魔族であるあたしは協力者を探していたのです。これからいっしょにがんばろうね、佳くん!」
「いや僕協力するなんて一言も言っていないけど」
「さっき契約してくれたじゃん」
「してない。知らない」
ぶんぶん首を振ると、麻布さんはスマホを取りだして見せてきた。
「ほら、フォロバしてくれたでしょ。これで魔族との契約は成立!」
「誤タップしただけだよ。いま外した」
「ひどい! なんで!」
僕のスマホを取りあげようと手を伸ばしてくる麻布さん。
僕も背は高くないけれど、麻布さんは本当に小柄だ。
僕がスマホを頭上に掲げると、麻布さんがいくら手を伸ばしても届かない。
そうして遊んでいると、「んー」と背伸びする麻布さんの必死な顔がすごく近くまで寄ってきた。
近くで見ると、やっぱりすごいメイクだ。
ド派手で、けばけばしくて、目が大きくて、鼻も口も小さくて、整っていて……。
「わかったから、ちょっと待って」
慌てて一歩さがる。
「協力って何をすればいいの?」
僕がたずねると、麻布さんは「へ」と間の抜けた声を出してから「えーと」と悩みだした。
「……あたしについてくればわかるよ!」
説明がむずかしくて放棄したのか、それとも何も考えていないのか。
正直、麻布さんの言うことは額面どおりには受けとれない。
信じられない。
頼りない。
羽も尻尾もリアルだし、まるで空でも飛んだかのように先回りしてきたのは事実だけど、魔族だとかご令嬢だとかいうのは『?』だし、世界を滅ぼすだなんて考えなしに言っているだけだと思う。
でも。
「わかった。じゃあ再契約しとくよ」
それでも僕は麻布さんのアカウントをリフォローした。
「ほんと? ありがとう!」
スマホを抱きしめ、魔族には似つかわしくない無邪気な笑顔を浮かべる麻布さん。
もうわかっているはずなのに。
嫌というほどわかっているはずなのに。
こうして笑顔を向けてくれる人とも、結局僕はわかり合えないと知っているはずなのに。
それでも僕は期待してしまう。
もしかしたら。
この人なら。
そう期待してしまうのが、どうしても止められない。
学校から少しはなれた公園のベンチに腰をおろす。
というか崩れおちる。
体育の授業でもここまで全力で走ったことなんてない。
息を落ちつけてから、スマホを取りだす。
Twitterの自分のアカウントを開き、さっき見せられたツイートを表示させる。
懐かしい。
このツイートをしたのは一年近く前のこと。
『渚にて』という小説を読んで僕はこれをつぶやいた。
じわじわと、胸にあたたかい気持ちが浮かんでくる。
このつぶやきを理解してくれる人が現れるなんて、思いもしなかった。
もちろんこのツイートには『いいね』がそこそこついているし、リツイートもされている。
でもまさか『いいね』をしてくれた人が目の前に現れるなんて。
『いいね』をしてくれた人の一覧を開く。
麻布さんのアカウントはすぐに見つかった。
さっき僕に見えるようにスマホを操作していたとき、アイコンとアカウント名が見えていたからだ。
麻布さんは僕をフォローしてくれていた。
僕の他のツイートも『いいね』をしたりリツイしてくれていた。
感謝の念をこめて、彼女のアカウントをフォロー・バックしておく。
家に帰るとお母さんが出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま。今日は夜勤だっけ?」
「そうよー。もうすぐ出るから、ご飯はお祖母ちゃんと食べておいてね」
僕とお母さんは、少し前からお母さんの実家で暮らしている。
お祖父ちゃんはもう十年も前に他界しているが、お祖母ちゃんはまだまだ元気だ。
僕たちは三人で広い家に住んでいる。
正直、部屋をもてあましている。
自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこむ。
八畳もある広い和室。
ここを自室にしてから半年ほどが経つ。
最初は自分の部屋という感覚が希薄だったけれど、畳にレゴの世界を広げたらようやくここを自分の居場所だと思えるようになった。
と、玄関のチャイムが鳴った。
一階から「はーい」というお母さんの声が聞こえてくる。
ドアが開く音。
その少しあと、階段をどたどたと登ってくる音。
「佳くん! お友だち! クラスメイト、女の子!」
勢いよくふすまを開けたお母さんが、片言でそう叫んだ。
「クラスメイト、女の子?」
僕も変なイントネーションでそう返してしまった。
だってあまりにも予想外すぎる。
僕の家を訪ねてくる女子なんて思い当たらな……いや、もしかして。
一階に降りてみると、玄関の外にはやっぱり麻布さんが立っていた。
「やっほー。さっきぶりー」
というかお母さん。
驚くべきは女子というところじゃないよね。
まずツノと尻尾と羽根に驚こうよ。
「来ちゃった!」
てへ、とウインクする麻布さんの前でドアを閉め、しっかり施錠する。
「あら。もういいの?」
台所からこちらをのぞきこんでいたお母さんに「忘れもの届けてくれただけだから」と適当にこたえながら階段を登る。
「おじゃましてまーす」
ふすまを開けると、案の定そこには麻布さんがいた。
「あれ、もっとびっくりしようよ。せっかく魔族っぽい登場のしかたしたのに!」
窓枠に腰かけ、頬をふくらませる麻布さん。
少し舌っ足らずで、『しかたしたのに』の『た』は半分『ら』の音になっていた。
「そんなに驚かないよ。もうこのパターンは読めてたから」
驚いてはいないけれど、心臓はのたうち回っている。
だって自分の部屋に女子がいる。
……これじゃお母さんと同じじゃないか。
部屋に魔族がいるより、女子がいるほうがよっぽど異常事態だ。
「麻布さん、いまさらだけど、その姿はどうしたの? 僕の記憶がたしかなら、昨日までは普通の人間の姿だったと思うんだけど」
「実はあたし、魔族の令嬢だったんだよね」
おかしいな。
日本語で話しているはずなのに理解できない。
「世界を滅ぼすために地上に来たんだー」
今日のご飯はハンバーグなんだー、くらいのテンションでそう告げながら、麻布さんは靴を脱いで畳に足をおろした。
「靴、窓の外に置いといていい?」
「あ、うん」
窓の外は瓦屋根になっている。
窓から身を乗りだす麻布さん。
短いスカートから尻尾がとび出ている。
思わず目をそらす。
「で! 魔族であるあたしは協力者を探していたのです。これからいっしょにがんばろうね、佳くん!」
「いや僕協力するなんて一言も言っていないけど」
「さっき契約してくれたじゃん」
「してない。知らない」
ぶんぶん首を振ると、麻布さんはスマホを取りだして見せてきた。
「ほら、フォロバしてくれたでしょ。これで魔族との契約は成立!」
「誤タップしただけだよ。いま外した」
「ひどい! なんで!」
僕のスマホを取りあげようと手を伸ばしてくる麻布さん。
僕も背は高くないけれど、麻布さんは本当に小柄だ。
僕がスマホを頭上に掲げると、麻布さんがいくら手を伸ばしても届かない。
そうして遊んでいると、「んー」と背伸びする麻布さんの必死な顔がすごく近くまで寄ってきた。
近くで見ると、やっぱりすごいメイクだ。
ド派手で、けばけばしくて、目が大きくて、鼻も口も小さくて、整っていて……。
「わかったから、ちょっと待って」
慌てて一歩さがる。
「協力って何をすればいいの?」
僕がたずねると、麻布さんは「へ」と間の抜けた声を出してから「えーと」と悩みだした。
「……あたしについてくればわかるよ!」
説明がむずかしくて放棄したのか、それとも何も考えていないのか。
正直、麻布さんの言うことは額面どおりには受けとれない。
信じられない。
頼りない。
羽も尻尾もリアルだし、まるで空でも飛んだかのように先回りしてきたのは事実だけど、魔族だとかご令嬢だとかいうのは『?』だし、世界を滅ぼすだなんて考えなしに言っているだけだと思う。
でも。
「わかった。じゃあ再契約しとくよ」
それでも僕は麻布さんのアカウントをリフォローした。
「ほんと? ありがとう!」
スマホを抱きしめ、魔族には似つかわしくない無邪気な笑顔を浮かべる麻布さん。
もうわかっているはずなのに。
嫌というほどわかっているはずなのに。
こうして笑顔を向けてくれる人とも、結局僕はわかり合えないと知っているはずなのに。
それでも僕は期待してしまう。
もしかしたら。
この人なら。
そう期待してしまうのが、どうしても止められない。