翌日は金曜日。
平日だったが、三コマのうち二コマが休講だったので、残り一コマは自主休講することにして、わたしはひとりで家にいた。
夕方、チャイムが鳴った。
インターホンのカメラには、見なれた顔たちが写っていた。
両手の親指と小指を立てた豊岡。
ハートマーク失敗ポーズの三智と羽奈。
中指を立てた綾。
このマンション、セキュリティは万全という触れこみだったが、なぜインターホンに射殺機能がついていないのか。
切っても切っても繰りかえされるピンポンに耐えかねたわたしは「準備するから二十分そこで待て!」と返事をするはめになった。
豊岡が用意した店は、小洒落たカフェ・バーだった。
いかにもイキったチャラい大学生が行きそうな店だ。
漏斗状のカクテルグラスや細長いタンブラー。
ターコイズブルーやバレンシアのグラデーションをまとった液体。
小皿に盛られた塩ナッツ。
ジレをまとったバーテンダー。
まあ、正直悪くなかった。
「落ちついていて、いいね。わたしは好きだよ」
満足気にグラスを揺らす三智。
「でしょ? ほら、俺らもう大人だからさ。静かな時間も必要なんよ」
とキメ顔をする豊岡。
これさえなければ本当にいいお店だった。
綾はずっと周囲を見回していた。
いつか描くために記憶しておこうというのだろう。
二軒目はプール・バーだった。
わたしと三智、そして綾の三人は、これが初めてのビリヤードだった。
豊岡はともかく羽奈も経験者だというのには驚いた。
いや、似あわないって。
ビリヤードというのは見た目よりむずかしかった。
まず球をまっすぐに撞くのがむずかしいし、たとえできたとしても他の球や壁にぶつかったあとの軌道まではなかなか読めない。
わたしと三智が苦戦するいっぽうで、綾はすぐに感覚をつかんだようだった。
綾は運動大嫌い人間だけど、やればできるタイプだった。
勘がいい、とでもいおうか。
隙をうかがっていたわたしは、ゲームの合間にトイレに行こうとしていた豊岡を通路でつかまえて詰問した。
「ねえ、綾に話したの、あんたでしょ」
豊岡は「なんの話?」と首をひねった。
「とぼけないで。こないだのクラコンのこと、綾に話したでしょ。おかげでアイツ、朝まで大学生みたいな遊びがしたいとか言いだしたんだから」
「あーね。そういうこと? 春野さんに話したのって俺じゃないよ」
「じゃあ、三智が?」
「いや、羽奈っちみたいよ? さっき気田っちと合流するまえにそんなこと話してたわ」
なんで羽奈が?
羽奈はわたしの味方だと思っていた。
味方だとか敵だとかいうのもおかしいけれど。
少なくともわたしが綾を避けているというのはわかっているはずだ。
「……とはいえよ。あんたや三智も大概だけどね。うちにまで押しかけてきて。わたしと綾が仲よしこよしじゃないって知ってるでしょ」
「そりゃわかってるけどさ」
と、豊岡は通路の壁に背中をつけて腕を組んだ。
「ゆーてさ、春野さんがこっち来てからずっと避けっぱなわけじゃん? 一度くらいさ、遊んでみたりなんかしちゃってもいいかなって思ったわけ」
「いまさらそんなのもういいって」
わたしも反対側の壁にもたれかかる。
「でもさ、道がわかれたってことはよ、この先そうそう会う機会もないわけ。俺だったら、プロになったアイツとか、たぶんもう一生会わねーよ」
「会おうと思えば会えるわけでしょ? いつか万が一その気になったときでいいって」
「会おうと思っても会えないってこともあるっしょ。ガキのころの友だちとかさ。……俺さ、実は小学校までこのへん住んでたんよ。中学入学んとき引っ越しで県外に出たけどね。で、大学入って戻ってきて、もしかしたら昔友だちだったヤツに会えるかもなんて思ってたんだけど……ま、ムリなわけよ」
「ド田舎ならともかく、人口何十万もいる町じゃね」
「そういうこと。友だちっていっても、小学校あがるくらいからは疎遠だったんよ。そんで連絡先もわかんなくてさ」
壁からはなれ、背を向ける豊岡。
「結局は今夜が人生最期になるかもだけどさ、そんでも機会があるなら試しとけってこと」
と、ヤツは肩ごしに手を振りながらトイレへと消えていった。
日付が変わるころ、わたしたちはカラオケに移動した。
入ったのは、二軒目までのハイソなお店とはうってかわった庶民的なお店。
というかいつも行く激安店だった。
フリータイムに飲み放題。
まさに学生のためにあるカラオケだ。
この店で綾はたくさん口から出した。
声ではなくて、吐瀉物を。
カラオケのトイレは吐くためにあるといっても過言ではない。
だからしかたない。
綾は、ガラガラになった喉でアニソンとボカロ曲を熱唱した。
だいたいはアニメ映像やカラオケ特有の謎映像だったが、なかには多数のイラストがスライド・ショー形式で流れる曲もあった。
そのたびわたしは身構えたが、今回は綾の絵が出てくることはなかった。
ちなみに豊岡は引くほど歌がうまかった。
どこぞの国のヒップホップなんかを完璧に歌いこなしていた。
しかしどうも三智にはピンときていないようで、「これって歌なの?」とひどい感想をもらしていた。
豊岡は少し泣いていた。
フリータイムは朝の五時まで。
終了の連絡を受け、わたしたちは店を出た。
繁華街の早朝は投げやりな空気に満ちている。
道ばたの嘔吐あと。
積み上げられたゴミ袋。
電線にびっしり並ぶカラス。
アスファルトに漏れだした謎の液体。
黒い染みが点々とついた大きなダスト・ボックス。
「少し買いものしてきていいかな。冷たいお水が飲みたくて」
と、三智がコンビニを指さす。
「あたしも。喉乾いたし、お腹すいた」
綾はそう言うなり返事もきかずコンビニへと歩きだした。
飲みものにのど飴、ガムと思い思いのちょっとした買いものをすませたわたしたちは、近くの公園へ行くことにした。
クラコン明けの朝にマクドナルドへ行ったのと同じ流れだ。
まぶたが鉛のように重いけど、まだ寝たくない。
今日を終わりにするのがもったいない。
無意味で無気力な今日のアディショナル・タイム。
公園は繁華街にほど近く、そばには大通りも走っていたが、静かだった。
鬱蒼と茂った樹々が音を吸収しているのか、池を囲む雰囲気がそう思わせているのか。
音といえば、街灯に舞いおりてきたカラスの羽音くらいだった。
「空気がおいしいね。さっきまでは淀んでたから」
深呼吸する羽奈。
「よく鯉に餌をやるっていうけどさ、ほんとに鯉って人間のゲロ食べんのかな?」
せっかくの清浄な空気を台なしにしようとする豊岡を「おまえが餌になれ」と池に蹴落とそうとすると、それを見た綾が「あはは!」と屈託のない笑い声をあげた。
そんな声を聞いたのは数年ぶりだった。
いや、前回がいつだったか記憶をさかのぼっても思い出せない。
もしかしたら初めてだったかもしれない。
七時になるころ、ようやくわたしたちは今日を昨日にする覚悟を決めた。
住んでいるマンションが近いというので、わたしと綾はいっしょに帰ることになった。
徹夜をすると、人間の脳機能のうち、まず理性と社会性が先に眠りにつく。
そうでもなければ、綾と二人きりになんてならないし、会話だって絶対しない。
「ねえ、綾。最近もあいかわらず朝まで作業してんの?」
「うん。夜のほうが捗るから」
「じゃあ徹夜も慣れたもんか」
「ずっと描いてるのと遊んでるのとじゃ全然ちがうよ。ほんと疲れた」
「でしょうね。で、大学生らしいお遊びはどうだった?」
「うん」
綾は相槌だけうち、しばらく口をつぐんだ。
「……時間の浪費。ほんとムダだった」
それから綾は交差点でわたしに背を向け、足早に帰っていった。
平日だったが、三コマのうち二コマが休講だったので、残り一コマは自主休講することにして、わたしはひとりで家にいた。
夕方、チャイムが鳴った。
インターホンのカメラには、見なれた顔たちが写っていた。
両手の親指と小指を立てた豊岡。
ハートマーク失敗ポーズの三智と羽奈。
中指を立てた綾。
このマンション、セキュリティは万全という触れこみだったが、なぜインターホンに射殺機能がついていないのか。
切っても切っても繰りかえされるピンポンに耐えかねたわたしは「準備するから二十分そこで待て!」と返事をするはめになった。
豊岡が用意した店は、小洒落たカフェ・バーだった。
いかにもイキったチャラい大学生が行きそうな店だ。
漏斗状のカクテルグラスや細長いタンブラー。
ターコイズブルーやバレンシアのグラデーションをまとった液体。
小皿に盛られた塩ナッツ。
ジレをまとったバーテンダー。
まあ、正直悪くなかった。
「落ちついていて、いいね。わたしは好きだよ」
満足気にグラスを揺らす三智。
「でしょ? ほら、俺らもう大人だからさ。静かな時間も必要なんよ」
とキメ顔をする豊岡。
これさえなければ本当にいいお店だった。
綾はずっと周囲を見回していた。
いつか描くために記憶しておこうというのだろう。
二軒目はプール・バーだった。
わたしと三智、そして綾の三人は、これが初めてのビリヤードだった。
豊岡はともかく羽奈も経験者だというのには驚いた。
いや、似あわないって。
ビリヤードというのは見た目よりむずかしかった。
まず球をまっすぐに撞くのがむずかしいし、たとえできたとしても他の球や壁にぶつかったあとの軌道まではなかなか読めない。
わたしと三智が苦戦するいっぽうで、綾はすぐに感覚をつかんだようだった。
綾は運動大嫌い人間だけど、やればできるタイプだった。
勘がいい、とでもいおうか。
隙をうかがっていたわたしは、ゲームの合間にトイレに行こうとしていた豊岡を通路でつかまえて詰問した。
「ねえ、綾に話したの、あんたでしょ」
豊岡は「なんの話?」と首をひねった。
「とぼけないで。こないだのクラコンのこと、綾に話したでしょ。おかげでアイツ、朝まで大学生みたいな遊びがしたいとか言いだしたんだから」
「あーね。そういうこと? 春野さんに話したのって俺じゃないよ」
「じゃあ、三智が?」
「いや、羽奈っちみたいよ? さっき気田っちと合流するまえにそんなこと話してたわ」
なんで羽奈が?
羽奈はわたしの味方だと思っていた。
味方だとか敵だとかいうのもおかしいけれど。
少なくともわたしが綾を避けているというのはわかっているはずだ。
「……とはいえよ。あんたや三智も大概だけどね。うちにまで押しかけてきて。わたしと綾が仲よしこよしじゃないって知ってるでしょ」
「そりゃわかってるけどさ」
と、豊岡は通路の壁に背中をつけて腕を組んだ。
「ゆーてさ、春野さんがこっち来てからずっと避けっぱなわけじゃん? 一度くらいさ、遊んでみたりなんかしちゃってもいいかなって思ったわけ」
「いまさらそんなのもういいって」
わたしも反対側の壁にもたれかかる。
「でもさ、道がわかれたってことはよ、この先そうそう会う機会もないわけ。俺だったら、プロになったアイツとか、たぶんもう一生会わねーよ」
「会おうと思えば会えるわけでしょ? いつか万が一その気になったときでいいって」
「会おうと思っても会えないってこともあるっしょ。ガキのころの友だちとかさ。……俺さ、実は小学校までこのへん住んでたんよ。中学入学んとき引っ越しで県外に出たけどね。で、大学入って戻ってきて、もしかしたら昔友だちだったヤツに会えるかもなんて思ってたんだけど……ま、ムリなわけよ」
「ド田舎ならともかく、人口何十万もいる町じゃね」
「そういうこと。友だちっていっても、小学校あがるくらいからは疎遠だったんよ。そんで連絡先もわかんなくてさ」
壁からはなれ、背を向ける豊岡。
「結局は今夜が人生最期になるかもだけどさ、そんでも機会があるなら試しとけってこと」
と、ヤツは肩ごしに手を振りながらトイレへと消えていった。
日付が変わるころ、わたしたちはカラオケに移動した。
入ったのは、二軒目までのハイソなお店とはうってかわった庶民的なお店。
というかいつも行く激安店だった。
フリータイムに飲み放題。
まさに学生のためにあるカラオケだ。
この店で綾はたくさん口から出した。
声ではなくて、吐瀉物を。
カラオケのトイレは吐くためにあるといっても過言ではない。
だからしかたない。
綾は、ガラガラになった喉でアニソンとボカロ曲を熱唱した。
だいたいはアニメ映像やカラオケ特有の謎映像だったが、なかには多数のイラストがスライド・ショー形式で流れる曲もあった。
そのたびわたしは身構えたが、今回は綾の絵が出てくることはなかった。
ちなみに豊岡は引くほど歌がうまかった。
どこぞの国のヒップホップなんかを完璧に歌いこなしていた。
しかしどうも三智にはピンときていないようで、「これって歌なの?」とひどい感想をもらしていた。
豊岡は少し泣いていた。
フリータイムは朝の五時まで。
終了の連絡を受け、わたしたちは店を出た。
繁華街の早朝は投げやりな空気に満ちている。
道ばたの嘔吐あと。
積み上げられたゴミ袋。
電線にびっしり並ぶカラス。
アスファルトに漏れだした謎の液体。
黒い染みが点々とついた大きなダスト・ボックス。
「少し買いものしてきていいかな。冷たいお水が飲みたくて」
と、三智がコンビニを指さす。
「あたしも。喉乾いたし、お腹すいた」
綾はそう言うなり返事もきかずコンビニへと歩きだした。
飲みものにのど飴、ガムと思い思いのちょっとした買いものをすませたわたしたちは、近くの公園へ行くことにした。
クラコン明けの朝にマクドナルドへ行ったのと同じ流れだ。
まぶたが鉛のように重いけど、まだ寝たくない。
今日を終わりにするのがもったいない。
無意味で無気力な今日のアディショナル・タイム。
公園は繁華街にほど近く、そばには大通りも走っていたが、静かだった。
鬱蒼と茂った樹々が音を吸収しているのか、池を囲む雰囲気がそう思わせているのか。
音といえば、街灯に舞いおりてきたカラスの羽音くらいだった。
「空気がおいしいね。さっきまでは淀んでたから」
深呼吸する羽奈。
「よく鯉に餌をやるっていうけどさ、ほんとに鯉って人間のゲロ食べんのかな?」
せっかくの清浄な空気を台なしにしようとする豊岡を「おまえが餌になれ」と池に蹴落とそうとすると、それを見た綾が「あはは!」と屈託のない笑い声をあげた。
そんな声を聞いたのは数年ぶりだった。
いや、前回がいつだったか記憶をさかのぼっても思い出せない。
もしかしたら初めてだったかもしれない。
七時になるころ、ようやくわたしたちは今日を昨日にする覚悟を決めた。
住んでいるマンションが近いというので、わたしと綾はいっしょに帰ることになった。
徹夜をすると、人間の脳機能のうち、まず理性と社会性が先に眠りにつく。
そうでもなければ、綾と二人きりになんてならないし、会話だって絶対しない。
「ねえ、綾。最近もあいかわらず朝まで作業してんの?」
「うん。夜のほうが捗るから」
「じゃあ徹夜も慣れたもんか」
「ずっと描いてるのと遊んでるのとじゃ全然ちがうよ。ほんと疲れた」
「でしょうね。で、大学生らしいお遊びはどうだった?」
「うん」
綾は相槌だけうち、しばらく口をつぐんだ。
「……時間の浪費。ほんとムダだった」
それから綾は交差点でわたしに背を向け、足早に帰っていった。