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 ある平日のお昼どき。

 今日は午後から授業。
 午前中は部屋のお掃除と買いものをして、お昼休み中に大学に出てきて、さあ三号館に向かおうと構内を歩いていたとき。

 不意に電話がかかってきた。
 珍しい。
 LINE通話ならともかく、わざわざ電話だなんて。

 かけてきた番号を見て、わたしはさらに驚いた。
 画面には『綾のお母さん』と登録名が表示されていた。

「え、もしもし?」

「もしもし、星佳ちゃん? おひさしぶりねえ。元気にしてた?」

 スピーカからは聞き覚えのある声がした。
 たしかに綾のお母さんだ。

 いやいや。
 というかだ。
 思わず出てしまったけれど、別に話すことなんてない。

「……えっと、はい。ぼちぼち元気にやらせてもらってます」

 なんだよ。
 やらせてもらってるって。

「星佳ちゃん、いまって○○の大学に通ってるんでしょう? 実はね、綾ちゃんがそっちにお引っ越しするみたいなのよ」

「はい?」

 え。
 いや。
 いやいや。

 アイツ、来るの?

「みたいって、綾のことですよね? おばさん、知らないんですか?」

「綾ちゃんね、半年くらいまえからうちの近くで一人暮らししてたのよ。それが今度引っ越すってメッセージを送ってきて、それっきり」

「ええ……」

「だからこないだ綾ちゃんのマンションに行ってみたら、もう部屋がもぬけの殻だったのよ」

「それもう引っ越してますよね!」

 綾も、綾のお母さんも、どうしてこうなんだ!

「だからね、綾ちゃんがそっち行ったら星佳ちゃんが面倒見てくれないかしら? ほら、あの子生きるのに向いてないじゃない?」

「もうちょっといい表現ありませんかね。わかりますけど」

「申し訳ないけど、よろしくね。星佳ちゃんのお母さんから住所はうかがってるから、今度お礼に何か送らせてもらうわね」

 と、そこまでで通話は切れた。

 なんと一方的な。
 この母にしてあの子ありということか。

 頭のなかを整理しながら歩く。

 まずは事実の確認。
 綾は地元で一人暮らしをしていた。
 いまそのマンションは空っぽ。

 そこまではたしかだ。
 綾がこっちに来ているというのも、ある程度たしからしい。
 何しろ本人が親にそうメッセージを送っている。

 しかし、たしかなのはそこまでだ。
 いくら頼まれたところで、わたしは綾の住所を知らない。
 会う機会もない。この広くて人の多い地方都市のなかで偶然出くわす確率もゼロに近い。
 そしてわたしから綾に連絡をとろうという気も皆無。

 すみません、おばさん。
 わたしには何もできませんでした。

 うちの親には住所を教えないよう口止めしておこう。
 万が一何か送られてきたら発払いで送りかえそう。
 なんならおばさんの電話番号は着拒しておこう。

「あ、星佳! おひさしぶりー」

 そんなわたしの目算は、目のまえに現れたアイツの姿ひとつでけし飛んだ。

 三号館のロビー。
 そのベンチに綾がいた。
 三智、豊岡、そして羽奈と並んで座っていた。

「これからまたよろしくね?」

 綾が腰をおろしているのは、いつもわたしが座っている席だった。