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 春野綾とは、イラストの投稿サイトで知りあった。

 そのサイトには、中学のころからイラストをあげていた。
 投稿のほとんどは妄想成分多めの二次創作。
 検索避けと注意書きは欠かさなかった。
 子どもながらに最低限のマナーはわきまえていたつもり。

 わたしは、とあるモチーフの絵ばかりを描いていた。
 それは、お互いを求めているのに二人そろっては存在できない、というシチュエーションの絵。
 あえて言葉にするなら『共に在りたいが、共に在られない』。
 わたしはいつもそんなタグをつけていた。

 そうすると、嬉しいことに同じタグでイラストをあげてくれる人が幾人かあらわれた。
 なかには同年代と思われる絵描きもいた。
 描く元ネタのゲームが最近のものばかりといった状況証拠からの推測もあったが、プロフィールに『18↓』などと書いていたり、中高生限定のコンテストに参加していたりといった情報からも判断ができた。

 自分と同年代なのにとんでもない絵を描く絵師もいた。
 それが綾だった。

 わたしは綾のアカウントをフォローしていたし、綾もわたしをフォローしていた。
 メッセージのやりとりはしなかったが、おたがいの作品に『いいね』はつけた。

 その距離感が変わったのは、高校に進学したばかりのころだった。
 ある日、綾のアカウントからメッセージが送られてきた。

『あなたは天才だよ』

 最初に感じたのは反発だった。
 思わず「うっざ」と口にも出してしまった。

 天才?
 どの口が言うのか。
 あんたのほうがよっぽとうまい。
 天才はそっちだろ。

『あなたこそ』

 だからわたしはそう返信してやった。

 綾と連絡をとるようになったのはそれからだ。
 偶然というのはあるもので、綾は同じ高校にかよう同級生だった。
 さすがに同じクラスではなかったけれど。

 初めてリアルで会話をしたのは廊下でだった。
 それまでにもおたがい顔を見たことはあったはずだったけれど、わたしたちは「はじめまして」とあいさつをした。

 しかし学校では、ほとんど話をしなかった。
 コミュニケーションはネット越しにとった。
 おたがいのつぶやきに反応したり、あげたイラストにコメントしたりした。

 Discordでの作業通話はしょっちゅうだった。
 ほとんど黙ったままで、ときどきつぶやいて、数時間に一度どうでもいい雑談をして。

 わたしと綾は、よく勝負をした。
 テーマを決めてそれぞれ絵を描き、おたがいのジャッジで勝敗を決めるという、ルールも公平性もあったもんじゃない勝負だ。

 それでも毎回決着はついた。
 わたしも綾も、どちらの絵が優れているかの意見はいつも一致した。
 負けたときは悔しかったけれど、敗北を認めないほどの低いプライドは持ちあわせていなかった。

 綾もわたしも、しだいにもらえる反応が増えていった。

 VTuberの配信動画のサムネイルに使ってもらった。

 歌ってみた動画のリリック・ビデオにイラスト素材を提供した。

 出版社が主催する公募のコンテストにも応募した。
 綾は二次選考で落選した。
 わたしは通過したが、次の三次選考で落ちた。
 それでも自分たちが描いているものは一応絵になっているというお墨つきをもらえたみたいで嬉しかった。
 いずれは賞をとろうと、わたしたちは誓いあった。

 賞はとれなかったが、プロとしての仕事はしたことがある。
 ゲーム会社からの依頼で、スマホゲーのカード・イラストを描いた。
 この依頼は二人とも同じタイミングで請けた。
 描いたのはそれぞれ別のイラストだったけれど、それでも合作をしたみたいでうれしかった。
 ゲームはちょうど一年でサ終してしまったけれど、それで作品や思い出が色褪せるわけじゃない。

 学校では没交渉だったけれど、ときにはおたがいの家を行き来した。
 作業環境を見せあった。
 ペンタブで試し描きをした。
 部屋にこもってずっと絵を描いた。

 綾のお母さんは、いつも娘の心配をしていた。
 綾は集中しだすと止まらないタイプで、数時間飲まず食わずで描きつづけたり、完徹のあと寝落ちして学校を休んだりと、生活はめちゃくちゃだった。
 学校での様子を知らせてほしいと、連絡先の交換まで頼まれた。

 わたしたちはいつもつながっていた。
 ネットで。
 サイトで。
 イラストで。

 しかしそれ以外のつながりはなかった。
 絵に関わる以外の話はほとんどしなかった。
 今期アニメの話やゲームのイベントや新キャラの話はしたけれど、それも結局は絵につながる話だった。
 いっしょに遊びに出かけたりすることもなかった。

 だから、わたしが絵をやめてからは、綾とはまったく話さなくなった。

 高校三年生になるときだった。
 そのころわたしは自分の限界を感じるようになっていた。
 どうしたらいま以上に描けるようになるのか、わからなくなっていた。

 フォロワーは増えていた。
 もらえる評価も増えていた。
 仕事の依頼も増えていた。

 でもわたしの自信は、増えていくものたちに追いつかなかった。
 目のまえに高すぎるハードルがあったからかもしれない。

 春野綾。

 あの天才が比較対象になるせいで、わたしの自己評価はつねに低いままだった。

 天才とは、持って生まれたものがちがう。
 天才は坂のうえにいるものじゃない。
 ヤツらは崖のうえにいる。
 どんなに歩いてもそこにはたどり着けない。

 高校三年の四月は、受験勉強を始めるにはギリギリの時期だった。
 だからわたしは見切りをつけた。
 絵にかかわるツールやソフト、アカウントをすべて封印して、わたしは勉強を始めた。

 絵だけがわたしたちのつながりだった。
 だからわたしと綾の縁はそこで切れた。

 彼女とはときどき廊下ですれちがった。
 言葉はかわさなかった。

 秋ごろ、綾のお母さんから連絡があった。
 娘が高校を辞めようとしている。
 なんとか止めてほしいという内容だった。

 本当に、本当に、心底気のりしなかったけれど、わたしは学校で綾に話しかけることにした。

「あんた、学校辞めるの?」

「は? ……ああ、母さんからきいたのね」

「おばさん、心配してたよ。てかどうせあと半年で卒業じゃん」

「半年あったら何枚描ける?」

「何枚描いても高卒の資格はとれないよ」

「うっざ」

 綾は舌うちを残して、昼休みの教室を出ていった。

 その日綾は教室に戻ってこなかったらしい。
 カバンも置いたまま帰宅したようだったという。

 そうした説得のかいがあったのかはわからないけれど、綾は無事高校を卒業した。
 そのあと綾は大学にも専門にも進学せず、そして就職もせず、プロのイラストレータとして活動を始めたという。

 わたしは石橋を叩いてわたらない人生を選んだ。
 綾は石橋を叩かず川に飛びこむ人生を選んだ。

 アイツがどんな仕事をしているかなんて知らない。
 知りたくもない。
 だからわたしはインターネットから距離をおいた。

 わたしはそうして中部地方の国立大学に進学した。
 とにかく地元をはなれたかった。
 何もかもを置いて、新しい生活を始めたかった。

 まともに大学を出て、まともに就職をして、堅実な人生を歩もう。
 そう誓った。