三限の必修英語のあとは、心理学入門の講義に出席した。
三智と豊岡は他の授業をとっているので、この講義は羽奈と二人で受けている。
「では、となり同士でペアを組んでください。あまった人は誰か探してください。時間は十五分とります」
という先生の合図で、講義室内がにわかにさわがしくなる。
「星佳ちゃん、よろしくね」
となりの羽奈が人懐っこい笑みを向けてくる。
「ま、てきとうにやりましょ」と返事をする。
気乗りがしない。
まったくしない。
心理学入門は講義形式なので、基本的には講師の話をきくだけである。
たまにペアを組んで実験することもあるが、それもふくめて楽しいといえる。
しかしまさか、絵を描かされることになるとは。
今日の議題は児童臨床。
言語能力が未発達な子どもを対象とする検査について。
子ども相手には、DAPやDAF、バウムテストなど、クライエントに絵を描いてもらい、その特徴から内面を推し量る検査が有効だそうだ。
で、わたしたちはいまHTPテストの実験をしている。
HTPとはハウス、ツリー、パーソンの頭文字。
それら三種のモチーフを一枚の紙に描くテストだ。
ペアを組み、おたがいがおたがいの描いた絵を分析するようにと、先生はそう指示をだした。
絵を描くのは久しぶりだった。
もう二度と描くことはないと思っていた。
ルーズリーフにシャープ・ペンシルを走らせる。
眉間にしわが寄っているのが自分でわかる。
セルフ拷問だ。
なんでも吐くから許してくれ。
できる限り手を抜き、なるべくヘタクソにしあげる。
だが。
「わ! 星佳ちゃん、すっごいうまいね!」
羽奈はわたしの描いたゴミを絶賛した。
たまたま前の席に並んでいた同クラの男女も「えー、気田って絵うまいの?」「お、マジで天才じゃん」と、羽奈の見せたわたしの絵に反応する。
「……羽奈の絵のほうがヤバくない? ほら、こころの闇が滲みでてる。これは過去に犯した殺人のPTSDで苦しんでるね」
「星佳ちゃんは絶対心理カウンセラーにはならないでね!」
わたしのごまかしと羽奈の返しに同クラ連中が声をだして笑い、講師からは「静かに」と注意を受けるはめになった。
しかし、おかげで絵の話はそこまでになった。
そのあとの五限はとれる授業の選択肢が少なく、教養学部の一年生にとっては実質休み時間になっている。
バイトやサークルの予定がある連中はそちらへ行くが、それ以外の暇人たちはみんな三号館ロビーに集まってくる。
やることがないなら早く帰ればいい。
でも帰りがたい。
帰っても結局何もすることがない。
そんな連中が雁首揃えてぐだぐだしている。
誰が言いだしたのかはわからないが、近くのカラオケに行こうという話がでた。
羽奈と三智が参加するということもあり、わたしも行くことにする。
豊岡はバイトのシフトがはいっているということで泣く泣く帰っていった。
大学近くの安いカラオケでフリータイム、ドリンクバーつき。
人数が多かったので二部屋にわかれた。
歌うのが好きなヤツや、おしゃべり好きなヤツは、あちらへこちらへと部屋を行き来している。
安い割には最新の機種が用意されていて、アーティストの本人映像やライブ映像、アニメ映像が充実していた。
やっぱり映像が曲にあっているとアガる。
カラオケ特有の、おおげさな安っぽい謎映像も好きだけど。
わたしは少しまえのドラマの主題歌でお茶をにごした。
三智は生まれるまえのシティー・ポップを熱唱した。
どこかで聞いたことがあるような気もしたけれど、たしかなことはいえない。
三智は、その、音程のセンスが独特だったので。
羽奈は古くから最新までのボーカロイド曲をいろいろ入れた。
だいたいの曲は例の謎映像だったけれど、とある曲ではボーカロイドをモチーフにしたイラストがスライド・ショーのように流れた。
思わず目をそむける。
そういう絵は、見たくない。
「みっちゃん、星佳ちゃん、好きな絵師っている?」
歌い終わった羽奈が、マイクを置きながらきいてくる。
「……わたしは、全然知らない」
喉から絞りだすようにこたえる。
「星佳もか。わたしも疎いんだよね。よかったら羽奈の好きな絵を見せてほしいな」
三智が笑いかけると、羽奈は「えー、そうだなー」とうれしそうにスマホを操作しだした。
「たとえばこの人! ほら、めっちゃキレイじゃない?」
羽奈が見せてきたスマホの画面。
そこには、一面地雷が広がっていた。
見たのは一年ぶりだった。
ずっと避けていたのに。
これが嫌でネットは見ないようにしていたのに。
見てしまった。
あいつの絵を。
春野綾の描いた絵を。
三智と豊岡は他の授業をとっているので、この講義は羽奈と二人で受けている。
「では、となり同士でペアを組んでください。あまった人は誰か探してください。時間は十五分とります」
という先生の合図で、講義室内がにわかにさわがしくなる。
「星佳ちゃん、よろしくね」
となりの羽奈が人懐っこい笑みを向けてくる。
「ま、てきとうにやりましょ」と返事をする。
気乗りがしない。
まったくしない。
心理学入門は講義形式なので、基本的には講師の話をきくだけである。
たまにペアを組んで実験することもあるが、それもふくめて楽しいといえる。
しかしまさか、絵を描かされることになるとは。
今日の議題は児童臨床。
言語能力が未発達な子どもを対象とする検査について。
子ども相手には、DAPやDAF、バウムテストなど、クライエントに絵を描いてもらい、その特徴から内面を推し量る検査が有効だそうだ。
で、わたしたちはいまHTPテストの実験をしている。
HTPとはハウス、ツリー、パーソンの頭文字。
それら三種のモチーフを一枚の紙に描くテストだ。
ペアを組み、おたがいがおたがいの描いた絵を分析するようにと、先生はそう指示をだした。
絵を描くのは久しぶりだった。
もう二度と描くことはないと思っていた。
ルーズリーフにシャープ・ペンシルを走らせる。
眉間にしわが寄っているのが自分でわかる。
セルフ拷問だ。
なんでも吐くから許してくれ。
できる限り手を抜き、なるべくヘタクソにしあげる。
だが。
「わ! 星佳ちゃん、すっごいうまいね!」
羽奈はわたしの描いたゴミを絶賛した。
たまたま前の席に並んでいた同クラの男女も「えー、気田って絵うまいの?」「お、マジで天才じゃん」と、羽奈の見せたわたしの絵に反応する。
「……羽奈の絵のほうがヤバくない? ほら、こころの闇が滲みでてる。これは過去に犯した殺人のPTSDで苦しんでるね」
「星佳ちゃんは絶対心理カウンセラーにはならないでね!」
わたしのごまかしと羽奈の返しに同クラ連中が声をだして笑い、講師からは「静かに」と注意を受けるはめになった。
しかし、おかげで絵の話はそこまでになった。
そのあとの五限はとれる授業の選択肢が少なく、教養学部の一年生にとっては実質休み時間になっている。
バイトやサークルの予定がある連中はそちらへ行くが、それ以外の暇人たちはみんな三号館ロビーに集まってくる。
やることがないなら早く帰ればいい。
でも帰りがたい。
帰っても結局何もすることがない。
そんな連中が雁首揃えてぐだぐだしている。
誰が言いだしたのかはわからないが、近くのカラオケに行こうという話がでた。
羽奈と三智が参加するということもあり、わたしも行くことにする。
豊岡はバイトのシフトがはいっているということで泣く泣く帰っていった。
大学近くの安いカラオケでフリータイム、ドリンクバーつき。
人数が多かったので二部屋にわかれた。
歌うのが好きなヤツや、おしゃべり好きなヤツは、あちらへこちらへと部屋を行き来している。
安い割には最新の機種が用意されていて、アーティストの本人映像やライブ映像、アニメ映像が充実していた。
やっぱり映像が曲にあっているとアガる。
カラオケ特有の、おおげさな安っぽい謎映像も好きだけど。
わたしは少しまえのドラマの主題歌でお茶をにごした。
三智は生まれるまえのシティー・ポップを熱唱した。
どこかで聞いたことがあるような気もしたけれど、たしかなことはいえない。
三智は、その、音程のセンスが独特だったので。
羽奈は古くから最新までのボーカロイド曲をいろいろ入れた。
だいたいの曲は例の謎映像だったけれど、とある曲ではボーカロイドをモチーフにしたイラストがスライド・ショーのように流れた。
思わず目をそむける。
そういう絵は、見たくない。
「みっちゃん、星佳ちゃん、好きな絵師っている?」
歌い終わった羽奈が、マイクを置きながらきいてくる。
「……わたしは、全然知らない」
喉から絞りだすようにこたえる。
「星佳もか。わたしも疎いんだよね。よかったら羽奈の好きな絵を見せてほしいな」
三智が笑いかけると、羽奈は「えー、そうだなー」とうれしそうにスマホを操作しだした。
「たとえばこの人! ほら、めっちゃキレイじゃない?」
羽奈が見せてきたスマホの画面。
そこには、一面地雷が広がっていた。
見たのは一年ぶりだった。
ずっと避けていたのに。
これが嫌でネットは見ないようにしていたのに。
見てしまった。
あいつの絵を。
春野綾の描いた絵を。