「略して滅活(めっかつ)ね!」
 まりかさんは、世界滅亡活動をポイ活みたいにそう呼んだ。

 とある日の昼休み。まりかさんは、校舎裏の林に僕を連れていった。

「世界を滅ぼすためには、魔界の鍵がいるんだよ」

「松ぼっくりが魔界の鍵なの?」

 季節は九月。
 夏の暑さはまだ残っているが、地面には早くも落ち葉が積もっている。
 そして落ち葉のすき間からは、松ぼっくりが顔をのぞかせている。

「片方だけかさが開いた松ぼっくりには魔力がこもってるの。五つ集めると鍵ができあがるんだよ」

「わかった。……なかなかないね」
 靴で落ち葉をかきわけ、鍵のかけらを探す。

 なんだか懐かしい。
 僕は基本ずっと家で遊んでいたいほうだけど、ときどきは淳くんに連れられて外へ遊びにも行った。
 当時は楽しいと思わなかった。
 何が楽しいのかわからなかった。

 いまはちょっと楽しい。
 魔族のご令嬢のいうことを心底信じてはいないけれど、物語のある遊びは楽しかった。

 滅活を始めるにあたり、まりかさんは、麻布と呼ぶのをやめてと注文をつけた。

「『ざぶ』って響きがかわいくない。下の名前でまりかちゃんって呼んで」

「わかったよ。まりかさん」

 麻布という響きには高級感があるのに。
 そう思ったけれど、感じかたは人次第。
 僕は素直に従うことにした。

 滅活とはいっても、大した活動はしていない。
 こうして昼休みに松ぼっくりを探したり、放課後に少し遠くの公園に出かけてジャングルジムに登って天に祈りを捧げたり、朝待ちあわせをして遠回りしながら登校したりした。

「ねえ、佳くん」

 呼ばれて顔をあげる。
 まりかさんは両手を腰にあて、落ち葉を踏みしめて立っていた。

「ずっと思ってたんだけどさ、佳くん、あたしのこと信じてないでしょ?」

 信じろというほうがムリだよね。
 口にださないだけの分別がある僕はえらいと思った。

「ほら、これさわってみて? ちゃんと本物だから!」
 と、彼女は僕に背を向け、黒いロープのような尻尾をのばした。

 いいのかな、とは思ったけれど、本人がいうのなら……。
 手にとってみると、尻尾の表面はきめ細かい毛皮のようで、すべすべと上品なさわり心地がした。

「ひゃうっ」

 とまりかさんが変な声をあげる。
 どうやら触覚もあるようだった。

 ついでなので羽やツノもさわってみる。
 コウモリめいた羽に張った紫色の膜を指で押してみると、ゴムのような弾力があった。
 頭に生えたツノは石のように硬かったが、ふれてみるとかすかにぬくもりがあった。
 羽根もツノも引っぱってみると抵抗があって、たしかにそれらは体から生えているようだった。

「ってどんだけさわるの!」
 僕の手をふりほどき、まりかさんは距離をとった。

「ごめん。つくりものにしてはよくできてるなって思って」

「だから本物だって言ってんじゃん! もう、そんな信じられないなら証拠見せるから、放課後ついてきて!」

 まりかさんはぷりぷり怒って、僕を置いて林から出ていった。



 その日の放課後。

 まりかさんは僕をとあるマンションに連れていった。
 その少し古いマンションは、僕の家の近くにあって、通学路からいつも見えているものだった。

「もしかして、まりかさんってこのマンションに住んでるの?」

「そうだよ。あそこ、四〇四号室」
 と、彼女は廊下の先を指さした。

 すぐそこの部屋がまりかさんの家らしい。
 古びたマンションのドアは重そうな鉄製で、表情もなく、ただ黙って何かに耐えているようにそこにあった。

 まりかさんは部屋のある四階では立ち止まらず、更に階段を登りつづけた。

 最上階である七階の踊り場の壁からは、Uの字の鉄棒が生えていた。
 僕の頭くらいの高さから天井へ向けてはしご状になっている。

 まりかさんが踊り場の隅に立ったロッカーを開ける。
 中には掃除用具と脚立が入っていた。
 脚立を使ってはしごに取りつき、上まで登る。

 屋上は開放感があった。
 あるのは給水タンクと排気口、室外機、床をはうパイプだけ。
 周りには柵すらなくて、壁ともいえない膝下の出っぱりだけが生えている。

 夕空からカラスが舞いおり、アンテナに止まった。
 他に動くものの気配はない。
 足の下では何十人もの人が生活しているはずなのに、屋上にその気配は伝わってこない。

 まりかさんが屋上の端へ歩いていく。
 遠くに学校が見えた。七階建ての屋上からだと、四階建ての学校は少し低く見える。

 傾いた夕陽に向かっていくまりかさん。
 そして端の出っぱりに乗り、外へと足を踏みだした。

「え、ちょっと!」

 重力のほうへと姿を消したまりかさんを追いかけ、下をのぞきこもうとすると。

「わ!」

 まりかさんがにょっと顔を出した。
 「ヒェ」と変な声が出る。
 出っぱりから落ちて尻もちをついてしまう。

「どう! 魔族の力は本物でしょ!」

 ぱたぱたと羽をはばたかせ、まりかさんは空を飛んでいた。
 胸をはり、どや、といわんばかりの顔をしている。

 正直これまでは信じきれないところがあった。
 部屋に先回りしたり、同級生の注目を集めなかったり、まりかさんには不思議な力があるのは本当だと思ってはいたけれど、どうにも実感がないというか、信じきれずにいた。

 でもこうして目の当たりにするとやっぱりちがう。
 視覚情報は暴力だ。
 奇跡を見た瞬間、理屈をすっ飛ばして僕は信じてしまった。

 屋上に舞い戻ってきたまりかさんは、「さ、早く行こ」と出入り口に向かっていった。
 彼女の膝は見ただけでわかるくらい、がくがくと震えていた。

「……怖いならやめとけばいいのに」

「うるさいなー。昔は高いところも平気だったの」

 まりかさんは妙な強がりを言いつつ、急いではしごを降りていった。



 放課後には、よくお出かけをした。

 夕飯までには帰らないといけないので遠出はできなかったし、僕はおこづかいも少ないので行けるところは限られていたけれど。

 一方のまりかさんは帰りが遅くなってもかまわないようだった。
 家に帰っても誰もいないと、彼女は言っていた。
 おこづかいもたくさん持っていたので、場合によってはお金を出してもらうこともあった。

 ある日はお街に出かけた。
 数えきれないほどの人々が行きかう往来でも、まりかさんは注目を集めることなく人ごみを歩いていった。

「これってさ、周りの人にはどう見えてるの?」

「普通の中学生に見えてるよ。魔族には幻を見せる力があるのです」
 まりかさんは、ふふんと得意げに笑ってみせた。

「なんで僕にはきかないんだ」

「え、うーん。こころが魔族に近いから?」
 と、彼女は首をかしげながらそうこたえた。

 僕たちは街なかで見つけたネコを追いかけて、ビルのすき間を抜けていった。

「あのネコは魔族の使い魔だよ。魔界の入り口を知ってるの!」

「なんかネコについていくと別の世界に連れていかれそうな気がするよね」

「わかる! ほら、そっち行った。逃げられちゃうよ!」

 見事ネコを見失った僕たちは、休憩のため駅前のマクドナルドに入った。
 うちに帰れば夕飯があるし、お金はないので、僕はSサイズのコーラだけを頼んだ。
 まりかさんは贅沢にもビッグマックのセットを頼んで、ドリンクもポテトもLサイズにしていた。

「半分こしよ!」
 というまりかさんの厚意に甘えて、僕もポテトをつまんでいたときのことだ。

 窓に向かって座っていた僕たちの目の前で、嫌なことがおきた。
 ピアスだらけの男の人と、黄色に近い金髪の男の人が、おとなしそうな女の人にしつこくからんでいたのだ。
 厚い窓ガラスを挟んでいて、僕たちに実害はないけれど。

「ああいうのって、見ているだけで嫌な気分になるね」

「わかる」
 と言ったまりかさんは、右手を銃の形にかまえた。

「ばんっ」

 その瞬間、ピアスの人が身につけていたショルダー・バッグが弾けとんだ。

「ばんっ」

 まりかさんが二発目を撃つと、金髪の人の髪の毛が全部勢いよく飛びちった。

 二人はパニックに陥った。
 周りの人も二人を取りかこんでざわざわと騒いでいる。
 そのすきに、女の人は足早に歩き去っていった。

「ふっ」
 人さし指の先に浮かぶ見えない煙を吹いたまりかさんは、どうよといわんばかりの得意げな顔で僕を見た。

 いや、気持ちはわかるけど危ないって。



 お街以外にも、放課後にはいろいろな場所に行った。

 高台の公園では空に向かってブランコをこいだ。
 風を頼りに魔力の源泉を探すらしい。

 なるほど。

 マンガ喫茶では、鍵のつくり方が書かれた魔導書を探した。
 魔導書は裏表紙に闇のサインが入っているからそれとわかるらしい。

 なるほど。
 でもそれなら裏表紙だけ見ればいいよね。一冊全部を読む必要はないと思う。

 カラオケでは呪文詠唱の練習をした。

 なるほど。
 アニソンやボーカロイドの曲が魔界では呪文になるんだね。

 そんなわけあるか。
 この魔族のご令嬢、ただ単にやりたいことやっているだけだろ。

 僕の疑念が伝わってしまったのか、まりかさんは少し焦ったように「とっておきの場所に連れてくよ!」と、遠出を提案してきた。

 日曜日。
 僕とまりかさんは電車に乗って遠出した。

 まりかさんは大きな襟ぐりのお姫さまみたいなワンピースを着ていた。
 缶バッチだらけの黒いリュックサック、厚底のバレエ・シューズ。

 さすがご令嬢。
 おしゃれさんだ。
 僕が着ているのなんて小学校のときお母さんが買ってきたトレーナーだというのに。

 バスに乗りかえて二十分。
 更に歩いて十分。
 たどり着いたのは、湖畔の廃墟ホテルだった。

「すごいでしょ! 前に一度下見に来たんだ。屋上からの眺めがすごいんだよ!」

 大はしゃぎで廃墟へと駆けていくまりかさん。草むらの向こうに黄色と黒のロープが張られた入口が見えてきたとき。

「ギャハハハ」
「ばっかおめー、ふざけんなよ!」
「お、ひよってんの?」

 建物の中から、耳にこびりつくような笑い声が聞こえてきた。
 そして、強い光とぱしゃぱしゃりという音も、もれてくる。

「……廃墟って、ああいう人たちのたまり場になるっていうよね。帰ろうか」

「だいじょうぶ。あたしが脳みそばんってしちゃえばいいよ!」

 しかめた顔に笑みを浮かべるまりかさん。
 その顔は凄まじく、本当に魔族に見えた。

「いいから、帰ろう」

 僕が手を引くと、まりかさんは大人しくついてきてくれた。
 背後からは、ぐすっ、と洟をすする音が聞こえてきた。
 そんな悲しい場面なのに、僕は握った手のぬくもりと自分の手汗ばかりが気になっていた。

 バスと電車を乗りついでいつもの駅前に戻ってきた僕たちは、まりかさんのリクエストでクレープを食べに行った。
 キッチン・カーのクレープ屋さんは、中学生にはつらいお値段設定だったけれど、このときばかりは僕が払った。

「……そっちも一口ちょうだい」

 甘いものを食べて、まりかさんの機嫌も戻ってきたようだった。

「さっきの廃墟には何があったの?」

「だから、いい景色が見れるんだって。湖がぜーんぶ見わたせるんだよ」

「いやいや、魔界の鍵に関する何かがあったんじゃないの」

 僕がきくと、まりかさんは「あ、えーと」と目をそらした。

「……実は湖が魔界の入口になっていて、屋上から鍵を投げこむと扉が開くんだよ!」

「何で入り口の場所がわかってるの? ネコには逃げられたのに。それに僕らはまだ鍵を持っていないんだけど」

「だから、あの廃墟に鍵が封印されていて、」

「待って、理解が追いつかない。鍵は松ぼっくりからつくるんじゃないの? つくり方は魔導書に書かれてるって」

「もう、細かいことはいいじゃん!」

 とうとうまりかさんは地団駄を踏みはじめた。
 厚底でアスファルトを踏むと、けっこうな高い音が出る。
 周りの注目が集まるのを感じる。

 でも、ここはしっかり話をしなければならないところだ。

「まりかさん、ロール・プレイなら設定はちゃんとしないと」

 ご令嬢は僕をきっとにらみつけた。

「してるよ! ていうか遊びじゃないから! あたし、ほんとに魔族だもん!」
 尻尾と羽を、ぷらぷら、ぱたぱたさせるまりかさん。

「そんなにちゃんとしなくたっていいじゃん。佳くんだって楽しんでたくせに!」

 それを言ったらおしまいだよ。

「たしかに楽しかったよ。でもさ、これって気持ちの問題じゃないでしょ。設定なら設定で、ちゃんと整合性をとらないと」

「佳くん、わかってない!」

「いや、僕は理解しようとしてるよ」

「理解とかじゃなくて、『いいね』ってうなずいてくれればいいの!」

「それじゃ議論にならないでしょ」

「もういい、解散だ!」

 まりかさんは細い尻尾をぴんっと逆立てて、大股でその場を去っていった。



 翌日の朝、まりかさんはいつもの待ちあわせ場所に現れなかった。
 遅刻ぎりぎりまで待ったけれど来なかったので、僕は先に登校した。
 授業が始まっても、彼女は来なかった。

 休み時間はスマホを見てすごした。
 まりかさんのアカウントも見てみたが、昨日から何もつぶやいてはいなかった。

 過去のつぶやきや『いいね』をさかのぼってみる。
 彼女のこころの変遷は、とても細やかで、ふとしたことに気づいて、悪意に傷ついて、理不尽に反発して、いろいろな人たちのこころのつまづきに寄りそって、寄りそいすぎて自分もこころを擦りへらして、ときに呪詛をつぶやいて、他人に攻撃的になろうとした瞬間に思いとどまって、そのとげとげしい気持ちを胸にしまいこんで……自分を傷つけてしまっているように見えた。

 いや、僕が彼女を知っているからこそ、そう見えただけかもしれない。

 もうすぐ三時間目の授業が始まろうというとき、「おあよー」と教室のドアが開かれた。

 振りかえってみると、声の主はやっぱりまりかさんだった。

 彼女はスクールバッグを持ったまま僕の席にやってきた。
 そして、もじもじとななめ下を見ながら「あ」とか「えっと」とかつぶやいた。

「あのさ」

 僕が声をかけると、まりかさんはびくっと肩をふるわせた。

「昼休みは滅活中止ね」

「え……」
 目を見開くまりかさん。

 まずい。言いかたが悪すぎた。

「あ、そうじゃなくて。ごめん、ちょっと待って。僕、理科委員だから五時間目の準備しなくちゃいけなくて、だから昼休みはなしで、放課後はちょっと行きたいところがあるんだけど、いいかな?」

 慌てて一気にそう告げると、まりかさんは少し呆気にとられたようにフリーズしたあと、嬉しそうに笑ってみせた。

「うん! 行こう!」