「すみません。とり乱しました」

 コンビニの広い駐車場、その片隅で車止めブロックに腰かけた佐久間が頭をさげる。

「いいけどさ。……で、佐久間は何点だったんだ?」

 俺がきくと、佐久間は握りつぶした解答用紙をさしだしてきた。

 かさかさと開き、右上を見る。
 そこに記された点数は、九十三。

「ご覧のとおり、全教科の合計は一点差で夏焼くんの勝ちだよ」

 勝った。
 じんわりと、その実感が胸にしみわたる。

 生まれて初めて佐久間に勝った。
 最期の勝負で、生涯のライバルに俺は勝った。

「……正直、ビックリだわ。佐久間がそんなに悔しがるだなんて、思いもしなかった」

 リアクションが激しすぎて、俺のほうは感情を爆発させるタイミングを逃してしまった。

「わたしも自分で驚いたよ。しかしライバルに負ければ悔しいというのは、当然といえば当然だよね。そうか、夏焼くんはいつもこんな思いをしていたのか」

「余計なことに気づくな! というかライバルって……」

「なんだ。そう思っているのはわたしのほうだけだったのか?」

 と、眉根をさげる佐久間。

「そんなわけないだろ。俺のほうこそ、意識してるのは自分だけだと思ってたよ」

「それこそ、そんなわけがない。わたしたちは数字をとおしていつもぶつかっていた」

 立ちあがり、正面から俺を見すえる佐久間。

「わたしは自分の全部を一点に集中させている。圧力は、接する面積がせまければせまいほど高まる。しかし針の先ほどにまで研ぎすました切っ先では、誰かとぶつかりあうのがむずかしい。だから、夏焼くん、針の先のような一点でぶつかりあえる相手は貴重なんだよ」

 この気持ちはなんだろう。

 驚き。
 嬉しさ。
 気恥ずかしさ。
 よろこび。
 誇らしさ。
 ……さびしさ。
 そんなすべてが綯いまぜになっている。

「……だけどさ、佐久間。よく俺との点差なんて知ってたな」

 全教科の採点が終わると、その合計はもちろんとして、各教科の上位者の順位と点数も貼りだされる。

 しかしそれは全教科の採点が終わったらの話だ。
 いまはまだ掲示されていない。
 俺の現時点までの合計点、各教科の点数は、俺以外の誰も知らないはずだ。

「あらゆる伝手をつかって、夏焼くんの点数は把握していた。きみに近しい人たちから少しずつ情報を集めていたんだよ。たとえば水窪くんとかからね」

 佳か。
 俺に黙ってスパイみたいなことしやがって。

 あいつ、そういえば言っていたな。
 案外と佐久間は俺のことを意識している、なんて。

「そんなに知りたいなら直接きいてくればよかっただろ」

「接点を増やしたくなかったんだ。極小の一点でのみぶつかりあう。その純粋さ、清さ、潔さ、はかなさ。そういった幻想を、わたしは大事にしたかった」

「……文学的だってか」

「そう、まさにそれだよ! さすが夏焼くん。おもしろい言葉選びをする」

「俺のセンスじゃないよ。佳の受け売りだ」

「なるほど。水窪くんは、なんだろう、人と違う世界を持っているよね。実はわたしも彼には憧れている。彼のように世界を見てみたいと思っているんだ」

 そして佐久間は俺に背を向けて、ぐいーと大きく伸びをした。

「だから、夏焼くん。こうしておしゃべりするのは、これきりだ」

「接する面積が増えれば圧力は分散する。それは文学的なライバル関係じゃないってか」

「そのとおり。きみならわかってくれると思っていた。これからもわたしたちはよきライバルでいよう」

「……でも、このさきぶつかりあうチャンスなんてないぞ。佐久間、文系だよな。二年生になったら文系と理系はわかれるから、自分の全部でぶつかりあう機会なんて、もうないだろ」

 いまとなっては、それだけじゃない。
 文系とか理系とかじゃない。
 もっと大きな断絶が俺たちの間にはある。
 有史以来、人類の誰もこえることができなかった、大きな溝が。

「たしかにこのあと道はわかれる。しかし、わかれた道なら再びぶつかることもあるよ」

 そして佐久間は歩きだした。

「いつかわたしたちはまた針の先をぶつけあう。しかしそれまではきみよ。二人は別々の道をいこう」

 何かの本で読んだことがある言葉だった。

 そうだ。
 たしか、あれは。

「……待てよ、佐久間!」

 俺がさけぶと、佐久間が立ち止まる。

 ふりかえったその顔には、驚きと疑問符が浮かんでいた。

 わかる。
 わかるよ。
 いまここで別れるのが一番キレイだって。

 佐久間は一顧だにせず、俺は黙ってその背を見送る。
 そんな、文学的な『友情』。
 それが一番かっこいいって、俺もそう思う。

 だけど。

「もうちょっと、話そう」

 劇的じゃなくていい。
 未練がましくていい。
 潔くなくたっていい。

 だってそういう別れはもう現実ですませた。
 いま俺たちがいるのは反実仮想の走馬燈だ。

 どうせ最期なんだ。

 佐久間はわずかにうつむいて考えたあと、顔をあげた。

「それもいいか」