***
学年末テストは最期のチャンスだった。
佐久間三智と正々堂々勝負し、そして勝つ、最期の機会だった。
テストのできは上々、いや過去最高だった。
これならどんな結果に終わっても悔いはない。
いやいや、そうじゃない!
佐久間に勝つ! それがすべてだ!
テストが終わった翌日から、採点結果が返ってきはじめた。
教科ごとに得手不得手はある。
俺は学年一位だったり、二位だったりした。
佐久間の点数は、佳に聞いてもらっていた。
佳はいいやつだ。
少し面倒そうにしていたけれど、オゴリ一回だけで引き受けてくれた。
一教科を残したところで、俺は佐久間に四点のリードをゆるしていた。
残るは数学ⅡB。
俺の得意教科だ。
逆転の目はじゅうぶんにある。
だがそこでアクシデントがあった。
数学の先生がインフルエンザで倒れてしまったのだ。
しかも、五人も。
同じ教科ということで感染する機会も多かったのだろう。
五人以外にも数学の先生はまだ他にもいる。
しかし採点は遅れに遅れた。
何しろ倒れた五人のなかには、俺たち一年生の数学ⅡBの作問をした先生も含まれていたのだから。
そうした事情もあり、一年生の採点は一番後回しにされてしまった。
早く結果を教えてくれ!
いや、落ちつこう。
あせったところで結果が変わるわけじゃない。
と、そんなとき、前に佳から聞いた話を思い出した。
ネットで都市伝説や怖い話を読むのが好きだという佳から教わった、『条件法の魔女』の話だ。
「最期の願いをかなえてくれるっていうのは、もしかしたら命と引きかえに願いをかなえてくれるということかもね。そんな噂があるんだ。なかなかおもしろい都市伝説だよね。宏樹くんも、願いがあるならDMを送ってみたら? 本当にかなうかどうかは知らないけど、願望を言葉にすると、無意識に自分でかなえている、なんて話もあるしね。ただ、言挙げは自縄自縛の呪術っていう側面もあるから、送るときは慎重にね」
佳のそんな与太話を思い出した俺は、ばからしいと思いながらもメッセージを送った。
返事はなかった。
そりゃそうだ。
落ちつけ。わらにすがろうにも、そのわらはネット上のいたずらにすぎない。
落ちついて自己採点でもしていよう。
よし。
いい調子だ。
満点ペース。
ん?
これ、計算ミスしてない?
うん。
してるね。
「うわああああああああ!」
俺は毎朝のランニングをかかさない。
もう習慣になっている。
朝走ったあとはすっきりして、勉強がはかどる。
それに、朝の全力疾走には、もどかしさを振りはらう効果がある。
ただし、安全には注意しないといけない。
自暴自棄になって走っていると、曲がり角から飛びだしてくる車に気づかないこともあるのだから。
気がつくと俺は夜桜の下にいた。
目の前には銀髪の巫女さんがいた。
いや、服装がちがう?
たしかこれは神職の装束?
と首をひねる俺に、その人は『条件法の魔女』と名乗った。
「あの都市伝説、本当だったのか! あんたが俺を殺したんだな!」
「ちがう。事故はキミの不注意がまねいたものだ。わたくしは人の命を奪うような真似はせぬ」
「そうなのか?」
「わたくしの務は死にゆく者の最期の願いをかなえること。死者の望む走馬燈を見せることにある」
『魔女』は何もないところから、いきなり木組みの燈籠をとりだした。
「走馬燈って臨死体験だよな? 夢っていうか幻覚みたいなもんだろ? 願いがかなうっていっても、それって死ぬヤツがそういう幻を見るってだけじゃないのか?」
「然様。わたくしが提供するのは反実仮想の世界。キミは『もし~したら』という形式で条件節を設定できる。わたくしはその条件を満たした世界をキミに見せよう」
「やっぱり、現実で願いがかなうわけじゃないんだな」
「厳しい言葉になるが、敢えて言おう。キミは儚くも生を終えた身だ。未来を変えることはできない。いたましい限りだが、それが現実だ」
『魔女』はまっすぐ俺を見すえてそう告げた。
まるで、自分を罵倒しろとでもいうように。
自分が憤懣も不満も八つ当たりも引きうけるからといわんばかりに。
「……魔女さんにあたってもしかたないっていうことくらいはわかります。俺の場合、死んだのは自分のせいだし。魔女さんは、せめて最期にいい夢見せるのが仕事なんでしょ? 感謝はしても、文句はいいませんよ」
魔女さんはかすかに目を見開いたあと、小さく笑った。
「ムリはしなくていい。自ら思い定めて死を招きいれた者ですら、己の運命に課された理不尽に憤る権利がある。況してやキミは不幸な事故で突如未来を奪われたのだ。叫んでよい。泣きわめいてよい」
「いざそういわれても、できないもんですよ」
自分の足を見る。
左手を、右手を見る。
さっきまでと何も変わらない。
でも俺はもう死んでいる。
未来は変えられない。
許されているのは、ただ最期の夢を見ることだけ。
「……だったら、見たい夢があります」
「これか?」
魔女さんはふわりと広がる袖からスマホを取りだした。
「『怪盗の親友がほしい』というのがキミの願いだな。……これはどういった意味だ?」
魔女さんが首をひねる。
「テストの正答がほしいんすよ」
魔女さんに説明する。
ライバルがいること。
学年末テストが最期のチャンスだということ。
数学の先生たちが倒れ、まだ採点がなされていないこと。
このままでは勝負の決着がつけられないということ。
「だから正答を知りたいんです。そうしたら、自分で採点して、決着をつけられる」
「そのために学校に忍びこんで正答を盗みだしたいと? ……であれば、『もし手もとにテストの正答があったら』と願えばよい」
「最初はそう考えましたよ。でもダメなんです。もしかしたら俺は無意識のうちに『自分が有利になるような正答』を願ってしまうかもしれない。それじゃダメなんですよ。正々堂々の勝負にならない」
魔女さんは「なるほど」とうなずき、かすかに笑みをうかべた。
「理解した。キミはもう少し自分を甘やかしてもよいと思うがな。……では『もし自分に盗みの技術があったら』ではいかがかな? 然すれば自らの力で求めるものを得られよう」
「それも違います。俺は、自分の全部でアイツと勝負したいんです。俺自身が変わっちゃったら、正々堂々の勝負ができなくなる。もうテストは受け終わってるけど、俺は最期まで俺のままで勝負したい。そして勝ちたい」
「だから第三者に頼ると。しかし怪盗がキミに要らぬ忖度をするやもしれんぞ? キミが有利になるよう、正答を改竄するかもしれない」
こころなしか、魔女さんはおもしろがるような表情をうかべはじめた。
「だいじょうぶっすよ。学校には俺も行きます。いっしょに金庫を開けて、いっしょに採点します。改竄なんてしている暇ないっすよ。それに……」
「それに?」
「俺の親友なら、そんなマネするわけない」
俺のこたえに、魔女は袖で口もとをおさえ「くっ」と殺した笑いをもらした。
「失敬。……『怪盗の親友がほしい』というキミの願いは実に秀逸だ」
そして俺は短冊に願いを書き、魔女さんに「お願いします」と手わたした。
「心得た。誠心誠意、務にあたることを誓おう」
一礼し、短冊を受けとる魔女さん。
走馬燈が宙に浮き、中に火が灯る。
周りの紙に、影の花びらが舞いおどる。
魔女さんは目を閉じ、声には出さず何かをとなえた。
そして最期に。
「……『花散りぬるを』」
泣きそうな声でそうとなえた。
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学年末テストは最期のチャンスだった。
佐久間三智と正々堂々勝負し、そして勝つ、最期の機会だった。
テストのできは上々、いや過去最高だった。
これならどんな結果に終わっても悔いはない。
いやいや、そうじゃない!
佐久間に勝つ! それがすべてだ!
テストが終わった翌日から、採点結果が返ってきはじめた。
教科ごとに得手不得手はある。
俺は学年一位だったり、二位だったりした。
佐久間の点数は、佳に聞いてもらっていた。
佳はいいやつだ。
少し面倒そうにしていたけれど、オゴリ一回だけで引き受けてくれた。
一教科を残したところで、俺は佐久間に四点のリードをゆるしていた。
残るは数学ⅡB。
俺の得意教科だ。
逆転の目はじゅうぶんにある。
だがそこでアクシデントがあった。
数学の先生がインフルエンザで倒れてしまったのだ。
しかも、五人も。
同じ教科ということで感染する機会も多かったのだろう。
五人以外にも数学の先生はまだ他にもいる。
しかし採点は遅れに遅れた。
何しろ倒れた五人のなかには、俺たち一年生の数学ⅡBの作問をした先生も含まれていたのだから。
そうした事情もあり、一年生の採点は一番後回しにされてしまった。
早く結果を教えてくれ!
いや、落ちつこう。
あせったところで結果が変わるわけじゃない。
と、そんなとき、前に佳から聞いた話を思い出した。
ネットで都市伝説や怖い話を読むのが好きだという佳から教わった、『条件法の魔女』の話だ。
「最期の願いをかなえてくれるっていうのは、もしかしたら命と引きかえに願いをかなえてくれるということかもね。そんな噂があるんだ。なかなかおもしろい都市伝説だよね。宏樹くんも、願いがあるならDMを送ってみたら? 本当にかなうかどうかは知らないけど、願望を言葉にすると、無意識に自分でかなえている、なんて話もあるしね。ただ、言挙げは自縄自縛の呪術っていう側面もあるから、送るときは慎重にね」
佳のそんな与太話を思い出した俺は、ばからしいと思いながらもメッセージを送った。
返事はなかった。
そりゃそうだ。
落ちつけ。わらにすがろうにも、そのわらはネット上のいたずらにすぎない。
落ちついて自己採点でもしていよう。
よし。
いい調子だ。
満点ペース。
ん?
これ、計算ミスしてない?
うん。
してるね。
「うわああああああああ!」
俺は毎朝のランニングをかかさない。
もう習慣になっている。
朝走ったあとはすっきりして、勉強がはかどる。
それに、朝の全力疾走には、もどかしさを振りはらう効果がある。
ただし、安全には注意しないといけない。
自暴自棄になって走っていると、曲がり角から飛びだしてくる車に気づかないこともあるのだから。
気がつくと俺は夜桜の下にいた。
目の前には銀髪の巫女さんがいた。
いや、服装がちがう?
たしかこれは神職の装束?
と首をひねる俺に、その人は『条件法の魔女』と名乗った。
「あの都市伝説、本当だったのか! あんたが俺を殺したんだな!」
「ちがう。事故はキミの不注意がまねいたものだ。わたくしは人の命を奪うような真似はせぬ」
「そうなのか?」
「わたくしの務は死にゆく者の最期の願いをかなえること。死者の望む走馬燈を見せることにある」
『魔女』は何もないところから、いきなり木組みの燈籠をとりだした。
「走馬燈って臨死体験だよな? 夢っていうか幻覚みたいなもんだろ? 願いがかなうっていっても、それって死ぬヤツがそういう幻を見るってだけじゃないのか?」
「然様。わたくしが提供するのは反実仮想の世界。キミは『もし~したら』という形式で条件節を設定できる。わたくしはその条件を満たした世界をキミに見せよう」
「やっぱり、現実で願いがかなうわけじゃないんだな」
「厳しい言葉になるが、敢えて言おう。キミは儚くも生を終えた身だ。未来を変えることはできない。いたましい限りだが、それが現実だ」
『魔女』はまっすぐ俺を見すえてそう告げた。
まるで、自分を罵倒しろとでもいうように。
自分が憤懣も不満も八つ当たりも引きうけるからといわんばかりに。
「……魔女さんにあたってもしかたないっていうことくらいはわかります。俺の場合、死んだのは自分のせいだし。魔女さんは、せめて最期にいい夢見せるのが仕事なんでしょ? 感謝はしても、文句はいいませんよ」
魔女さんはかすかに目を見開いたあと、小さく笑った。
「ムリはしなくていい。自ら思い定めて死を招きいれた者ですら、己の運命に課された理不尽に憤る権利がある。況してやキミは不幸な事故で突如未来を奪われたのだ。叫んでよい。泣きわめいてよい」
「いざそういわれても、できないもんですよ」
自分の足を見る。
左手を、右手を見る。
さっきまでと何も変わらない。
でも俺はもう死んでいる。
未来は変えられない。
許されているのは、ただ最期の夢を見ることだけ。
「……だったら、見たい夢があります」
「これか?」
魔女さんはふわりと広がる袖からスマホを取りだした。
「『怪盗の親友がほしい』というのがキミの願いだな。……これはどういった意味だ?」
魔女さんが首をひねる。
「テストの正答がほしいんすよ」
魔女さんに説明する。
ライバルがいること。
学年末テストが最期のチャンスだということ。
数学の先生たちが倒れ、まだ採点がなされていないこと。
このままでは勝負の決着がつけられないということ。
「だから正答を知りたいんです。そうしたら、自分で採点して、決着をつけられる」
「そのために学校に忍びこんで正答を盗みだしたいと? ……であれば、『もし手もとにテストの正答があったら』と願えばよい」
「最初はそう考えましたよ。でもダメなんです。もしかしたら俺は無意識のうちに『自分が有利になるような正答』を願ってしまうかもしれない。それじゃダメなんですよ。正々堂々の勝負にならない」
魔女さんは「なるほど」とうなずき、かすかに笑みをうかべた。
「理解した。キミはもう少し自分を甘やかしてもよいと思うがな。……では『もし自分に盗みの技術があったら』ではいかがかな? 然すれば自らの力で求めるものを得られよう」
「それも違います。俺は、自分の全部でアイツと勝負したいんです。俺自身が変わっちゃったら、正々堂々の勝負ができなくなる。もうテストは受け終わってるけど、俺は最期まで俺のままで勝負したい。そして勝ちたい」
「だから第三者に頼ると。しかし怪盗がキミに要らぬ忖度をするやもしれんぞ? キミが有利になるよう、正答を改竄するかもしれない」
こころなしか、魔女さんはおもしろがるような表情をうかべはじめた。
「だいじょうぶっすよ。学校には俺も行きます。いっしょに金庫を開けて、いっしょに採点します。改竄なんてしている暇ないっすよ。それに……」
「それに?」
「俺の親友なら、そんなマネするわけない」
俺のこたえに、魔女は袖で口もとをおさえ「くっ」と殺した笑いをもらした。
「失敬。……『怪盗の親友がほしい』というキミの願いは実に秀逸だ」
そして俺は短冊に願いを書き、魔女さんに「お願いします」と手わたした。
「心得た。誠心誠意、務にあたることを誓おう」
一礼し、短冊を受けとる魔女さん。
走馬燈が宙に浮き、中に火が灯る。
周りの紙に、影の花びらが舞いおどる。
魔女さんは目を閉じ、声には出さず何かをとなえた。
そして最期に。
「……『花散りぬるを』」
泣きそうな声でそうとなえた。
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