階段を二段とばしで駆けおりる。
怪盗さんについていくのは本当にたいへんだ。
この人は二段どころか全段とばして降りていく。
階段なんていらない世界の住人だ。
「……って、こっち東階段じゃないっすか。職員室は西の端っすよ。逆です、逆!」
「わかっておる。こちらに用があるのだ!」
二階まで降りたところで怪盗さんは階段から廊下に出て、一番手近な窓を開けた。
「よし。職員室へ向かうぞ」
と、廊下を再び走りだす怪盗さん。
「いまの、なんの意味があるんすか?」
「説明はあとでする」
廊下を走り、一階へと降り、ようやく職員室の前にたどりつく。
他の教室よりも頑丈で重そうな扉が俺たちを阻んでいる。
胸の高さの窓ガラスもぶ厚い。
とても素手では破れそうにない。
見上げると、頭上には監視カメラも設えられている。
いままで日常生活では意識してこなかったが、こうしてみると職員室はたしかに警戒が厳重だ。
怪盗さんは、どこからか取りだした二本の細い鉄棒を、扉の鍵穴に差しこんだ。
「ここの鍵は単列のピンシリンダー。開けるのは造作もない。……よし」
「早!」
「怪盗をなめるでない」
扉を開け、職員室へ侵入していく怪盗さん。
その瞬間、窓の外から強烈な青い光が射しこんできた。
「伏せろ!」
怪盗さんが俺の頭を押さえつけてくる。
頭のうえを青い光が繰りかえし横切っていく。
車についたランプだろう。
「早くないっすか? もう来ちゃいましたよ!」
「だから言うたろう。二十五分というのは最大所要時間、場合によってはすぐ来ると。……このまま移動するぞ。窓の下までだ」
しゃがんだままで一歩ずつ足を出し、壁際まで移動する。
「どうするんすか? 警備員さんたち、まっすぐ職員室に来るんじゃないっすか? 貴重品は全部ここにあるんだし」
「いや、そうはならん」
と、怪盗さんはどこからか折りたたみの手鏡を取りだし、窓枠のうえにそっと差しだした。
「……現着は二名。一名は車載無線で連絡を、もういっぽうは……上を指さしているな。四階の窓ガラスが割れているのを目視確認したようだ」
青いランプにくわえて、色のない光があたりを走りまわりだした。
たぶん懐中電灯だろう。
いや、懐中っていうレベルじゃなくて、洋画でよく見る麺棒みたいなごっつい電灯か。
ときどき職員室に射しこんでくる光は、俺の家にある防災用の懐中電灯とは段ちがいの強さに見える。
「……もう少しこちらを見よ。……よ、ん、か、い、と、に、か、い、を、か、く、に、ん、し、に……」
怪盗さんは鏡を見つめながら、小さなつぶやきをつづけた。
少しすると、色のないほうの強い光が射しこんでこなくなった。
「……よし、行った!」
と、かがんでいた怪盗さんがとつぜん立ちあがる。
そして、大股で金庫へ向かって急ぎ向かっていく。
「ちょっと、何がどうなってんすか?」
金庫の前に座りこんだ怪盗さんにたずねる。
「唇を読んだ。一名は四階の割れた窓ガラスを確認しに、もう一名は二階東端の窓を確認しにいった。これでしばらくは時間をかせげる」
「もしかして、遠回りして二階の窓を開けたのって、そっちを見に行かせるためですか?」
怪盗さんは金庫の大きなダイアルをかちかち回しながらうなずいた。
「警備員の務はまず『異常の有無をたしかめること』だ。彼ら彼女らは警報のあがった場所の状況を確認しにいく」
「二箇所あったら二箇所ともってことっすね!」
「然様。だがこの作戦にも欠点はある。確実に警察へと通報されることだ。警報が一箇所のみであれば、誤検知の可能性をかんがみ通報には踏み切れまい。だが、はなれた二箇所ともなれば異常はもう確実だ。現着以前に、もう警察には通報しているだろうよ」
「そんなんいまさらっすよ! 何しろ金庫が目のまえにあるんだし! にしても、警備員って車も電灯もすっごい目立ちますね。これじゃどこにいるかバレバレじゃないっすか。泥棒に逃げられちゃいますよ」
「それでよいのだ。警備員の務は三つ。『異常の有無をたしかめること』、『異常を確認しだい警察に通報すること』、そして『警備対象の被害を最小限に防ぐこと』だ。不審者を捕えるのは警備員の務ではない。光と音で不法侵入者に警告し、窃盗や破壊を最小限に食いとめるのが務なのだよ」
「くわしいですね。経験者ですか?」
「怪盗だからだ」
としゃべっている間にも、怪盗さんはダイアルを行ったり来たりと回しつづけた。
そしてとうとう「よし」とつぶやくと、金庫の取っ手に指をかけ……。
「ん?」
開かない。
がちゃがちゃと引いても開かない。
「ちょっと怪盗さん! ここまできてそれはなしっすよ!」
「ええい、お、お、落ちつけ! 番号は今朝調べさせて……ツクネが見まちがえたか? いや、そんなはずは。変えられた? まさか。そんな警戒されるようなまねは……ん?」
そして怪盗さんは俺に顔を向けた。
「キミ、さきに『実際に先生が金庫に入れるところを見た』と言うたな?」
「ええ。今日の昼休みに見ましたよ」
怪盗の親友に助太刀をたのむとはいえ、俺自身も準備をしておくにこしたことはない。
そう考えた俺は、昼休みに職員室の様子を探りにいった。
ノートと筆記用具を持っていき、先生に質問するふりをすれば、怪しまれることはない。
俺が質問のため職員室をたずねるのは日常茶飯事だからだ。
職員室を歩きまわり、いろいろな先生に質問して回っていた俺は、たしかに見た。
学年主任のおじいちゃん先生が、困った顔で机に試験問題と正答を広げているのをだ。
そのあとも潜入捜査をつづけた俺は、おじいちゃん先生が例の紙束をまとめて金庫にしまい、ダイアルを操作するところまでをたしかに見た。
そうだ。
そのときおじいちゃん先生と目があって、俺はごまかすためにぺこぺこと頭をさげて……。
「あ」
「こころ当たりがあるのだな?」
「番号、変えられた、かもですね」
泣きそうになりながら怪盗さんにこたえる。
「……」
「すんません! せめて罵倒してください! 虚無にならないで!」
俺が両手をあわせて怪盗さんを拝んだ瞬間。
外の廊下から足音が聞こえてきた。
「やばいです、どうしましょう!」
俺が小声でさけぶと、怪盗さんは大きくため息をついてから立ちあがった。
「斯くなるうえは、是非もなし」
そして怪盗さんは、殺気に満ちた目で俺と金庫を見おろした。
怪盗さんについていくのは本当にたいへんだ。
この人は二段どころか全段とばして降りていく。
階段なんていらない世界の住人だ。
「……って、こっち東階段じゃないっすか。職員室は西の端っすよ。逆です、逆!」
「わかっておる。こちらに用があるのだ!」
二階まで降りたところで怪盗さんは階段から廊下に出て、一番手近な窓を開けた。
「よし。職員室へ向かうぞ」
と、廊下を再び走りだす怪盗さん。
「いまの、なんの意味があるんすか?」
「説明はあとでする」
廊下を走り、一階へと降り、ようやく職員室の前にたどりつく。
他の教室よりも頑丈で重そうな扉が俺たちを阻んでいる。
胸の高さの窓ガラスもぶ厚い。
とても素手では破れそうにない。
見上げると、頭上には監視カメラも設えられている。
いままで日常生活では意識してこなかったが、こうしてみると職員室はたしかに警戒が厳重だ。
怪盗さんは、どこからか取りだした二本の細い鉄棒を、扉の鍵穴に差しこんだ。
「ここの鍵は単列のピンシリンダー。開けるのは造作もない。……よし」
「早!」
「怪盗をなめるでない」
扉を開け、職員室へ侵入していく怪盗さん。
その瞬間、窓の外から強烈な青い光が射しこんできた。
「伏せろ!」
怪盗さんが俺の頭を押さえつけてくる。
頭のうえを青い光が繰りかえし横切っていく。
車についたランプだろう。
「早くないっすか? もう来ちゃいましたよ!」
「だから言うたろう。二十五分というのは最大所要時間、場合によってはすぐ来ると。……このまま移動するぞ。窓の下までだ」
しゃがんだままで一歩ずつ足を出し、壁際まで移動する。
「どうするんすか? 警備員さんたち、まっすぐ職員室に来るんじゃないっすか? 貴重品は全部ここにあるんだし」
「いや、そうはならん」
と、怪盗さんはどこからか折りたたみの手鏡を取りだし、窓枠のうえにそっと差しだした。
「……現着は二名。一名は車載無線で連絡を、もういっぽうは……上を指さしているな。四階の窓ガラスが割れているのを目視確認したようだ」
青いランプにくわえて、色のない光があたりを走りまわりだした。
たぶん懐中電灯だろう。
いや、懐中っていうレベルじゃなくて、洋画でよく見る麺棒みたいなごっつい電灯か。
ときどき職員室に射しこんでくる光は、俺の家にある防災用の懐中電灯とは段ちがいの強さに見える。
「……もう少しこちらを見よ。……よ、ん、か、い、と、に、か、い、を、か、く、に、ん、し、に……」
怪盗さんは鏡を見つめながら、小さなつぶやきをつづけた。
少しすると、色のないほうの強い光が射しこんでこなくなった。
「……よし、行った!」
と、かがんでいた怪盗さんがとつぜん立ちあがる。
そして、大股で金庫へ向かって急ぎ向かっていく。
「ちょっと、何がどうなってんすか?」
金庫の前に座りこんだ怪盗さんにたずねる。
「唇を読んだ。一名は四階の割れた窓ガラスを確認しに、もう一名は二階東端の窓を確認しにいった。これでしばらくは時間をかせげる」
「もしかして、遠回りして二階の窓を開けたのって、そっちを見に行かせるためですか?」
怪盗さんは金庫の大きなダイアルをかちかち回しながらうなずいた。
「警備員の務はまず『異常の有無をたしかめること』だ。彼ら彼女らは警報のあがった場所の状況を確認しにいく」
「二箇所あったら二箇所ともってことっすね!」
「然様。だがこの作戦にも欠点はある。確実に警察へと通報されることだ。警報が一箇所のみであれば、誤検知の可能性をかんがみ通報には踏み切れまい。だが、はなれた二箇所ともなれば異常はもう確実だ。現着以前に、もう警察には通報しているだろうよ」
「そんなんいまさらっすよ! 何しろ金庫が目のまえにあるんだし! にしても、警備員って車も電灯もすっごい目立ちますね。これじゃどこにいるかバレバレじゃないっすか。泥棒に逃げられちゃいますよ」
「それでよいのだ。警備員の務は三つ。『異常の有無をたしかめること』、『異常を確認しだい警察に通報すること』、そして『警備対象の被害を最小限に防ぐこと』だ。不審者を捕えるのは警備員の務ではない。光と音で不法侵入者に警告し、窃盗や破壊を最小限に食いとめるのが務なのだよ」
「くわしいですね。経験者ですか?」
「怪盗だからだ」
としゃべっている間にも、怪盗さんはダイアルを行ったり来たりと回しつづけた。
そしてとうとう「よし」とつぶやくと、金庫の取っ手に指をかけ……。
「ん?」
開かない。
がちゃがちゃと引いても開かない。
「ちょっと怪盗さん! ここまできてそれはなしっすよ!」
「ええい、お、お、落ちつけ! 番号は今朝調べさせて……ツクネが見まちがえたか? いや、そんなはずは。変えられた? まさか。そんな警戒されるようなまねは……ん?」
そして怪盗さんは俺に顔を向けた。
「キミ、さきに『実際に先生が金庫に入れるところを見た』と言うたな?」
「ええ。今日の昼休みに見ましたよ」
怪盗の親友に助太刀をたのむとはいえ、俺自身も準備をしておくにこしたことはない。
そう考えた俺は、昼休みに職員室の様子を探りにいった。
ノートと筆記用具を持っていき、先生に質問するふりをすれば、怪しまれることはない。
俺が質問のため職員室をたずねるのは日常茶飯事だからだ。
職員室を歩きまわり、いろいろな先生に質問して回っていた俺は、たしかに見た。
学年主任のおじいちゃん先生が、困った顔で机に試験問題と正答を広げているのをだ。
そのあとも潜入捜査をつづけた俺は、おじいちゃん先生が例の紙束をまとめて金庫にしまい、ダイアルを操作するところまでをたしかに見た。
そうだ。
そのときおじいちゃん先生と目があって、俺はごまかすためにぺこぺこと頭をさげて……。
「あ」
「こころ当たりがあるのだな?」
「番号、変えられた、かもですね」
泣きそうになりながら怪盗さんにこたえる。
「……」
「すんません! せめて罵倒してください! 虚無にならないで!」
俺が両手をあわせて怪盗さんを拝んだ瞬間。
外の廊下から足音が聞こえてきた。
「やばいです、どうしましょう!」
俺が小声でさけぶと、怪盗さんは大きくため息をついてから立ちあがった。
「斯くなるうえは、是非もなし」
そして怪盗さんは、殺気に満ちた目で俺と金庫を見おろした。