こんな僕にも友だちがいた。
 同じ幼稚園に通っていた(じゅん)くんだ。

 淳くんは近所に住んでいて、よくうちに遊びにきていた。
 うちではレゴ・ブロックでいっしょに世界をつくって遊んだ。

 つくった世界には人形を配置した。
 いろいろな役割をもたせた。
 勇者、お母さん、神父さん、大統領、魔法つかい、定食屋さん、アイドルの女の子、お父さん。
 繰りかえす世界で、僕と淳くんはいろいろな人間を動かした。
 ロール・プレイだ。

 そして僕たちは、その世界を滅ぼして遊んだ。
 世界をつくって、滅ぼして、またつくって……。
 僕たちの世界は何度も滅びに直面した。

 僕は滅びというものが大好きだった。
 滅びは美しい。
 いや、滅びに直面した人間は美しい。

 人間は複雑すぎる。
 いくつも顔があり、その顔が入れかわり立ちかわりに現れては消えていく。
 僕には人間がよくわからない。

 しかし極限状態におかれた人間においては、多面的だった人間性が集約され、与えられたロールと一致するようになる。
 勇者は勇者に、大統領は大統領に、お父さんはお父さんになる。

 そして人類すべてが平等になる。
 滅びの前に貴賤はなく、誰もが平等に死ぬ。

 なんと美しい世界だろう!

 もちろん幼稚園のころからこんなことを考えていたわけではないけれど、無意識のうちにそうしたロール・プレイを楽しんでいたのだと思う。

 淳くんは元気で、明るくて、外で遊ぶのが大好きだった。
 それでも彼は僕との遊びによくつきあってくれていた。幼稚園のときまでは。

 小学校にあがると、淳くんには新しい友だちがたくさんできた。
 彼らと外で鬼ごっこをしたりサッカーをしたりするようになった。

 淳くんは優しくて頼りがいのある、お兄ちゃんみたいな存在だった。
 僕を置いていかず、連れていこうとした。

「いまから公園で氷おにやるんだ。佳も行こうぜ!」

「僕は家で遊んでいるほうが楽しい」

「えー、わっかんねー!」

 何度か誘ってくれていた淳くんも、次第に僕から遠ざかっていった。
 学年が進んでクラスも別になると、いつの間にか名前の呼びかたが佳から水窪になっていた。
 そもそも淳くんが僕の名前を呼ぶことなんて、年に一回あるかないかくらいだったけど。

 そして中学校にあがるとき、淳くんの一家は遠くへ引っ越していった。

 ごめんね、淳くん。
 たぶん僕のほうが悪い。

 僕にはみんなと外で遊ぶ楽しさが理解できないんだ。

 僕はどこか壊れているのかもしれない。
 みんなと共有できるコンテクストが、常識が壊れているんじゃないかと思う。