夜が怖いのは、光と闇があるからだ。
昼間は閉じこめられていた暗がりが表に出てきて、明るみのすぐそばまで侵食している。
もし見えるところ全部が真っ暗だったら、感じるのは恐怖以外の別の感情になる。
そんなことを考えながら俺は学校の構内を歩いた。
「正答は職員室のなかだ」
怪盗さんが、手に持った桜の枝で校舎の西端をさす。
「日中のうちに調べはつけた。正答は金庫のなかにしまわれておる」
「それなら俺も確認ずみっす。実際に先生が金庫に入れるところを見ましたよ」
怪盗さんはうなずき、職員室へ向かい歩いていった。
「どうやって入るんすか? 職員室の窓から?」
「いや、それはむずかしい。校内で一番セキュリティが厳重なのが職員室だ」
校舎の西端、職員室の前にたどりつく。
窓からのぞきこむと、部屋のすみに金庫がどっしりかまえているのが見えた。
「現金や登記簿などはもちろん、生徒や教員の個人情報などもすべてこの部屋のなかだからな。もちろん試験問題や正答もだ。逆にいえば、セキュリティにかける費えを減らすべく、守るものを集約させているともいえる」
「どういうこと?」
「この広い学校すべてを最高級のセキュリティで守ろうとしたら、予算がいくらあっても足りん。大事なものは一箇所に集め、そこだけを特に固く守るのが最も効率がよいのだよ。選択と集中だな」
「じゃあ職員室以外の警戒は、意外とあまかったり?」
怪盗さんは「然様」とうなずいた。
「現にこうして構内に侵入できておる。校舎も同じく。もちろん警戒はされておるだろうが、職員室に比ぶればまだあまい」
「でも結局は職員室に入らないと目的は達成できないわけじゃないっすか。校舎に入ってもしかたないんじゃ?」
「然にあらず」
とこたえ、怪盗さんは校舎にそって歩きだした。
「ほれ、あそこ。廊下から職員室に入るドア、あれは窓ほど厳重には警戒されておらん」
「うっそ、一番警戒しなくちゃいけないとこじゃないっすか!」
「利便性のためだ。セキュリティはいつだって利便性と二律背反。あそこの壁を見よ。配電盤のようなものがあろう? あのパネルを開けると、中に警戒装置の起動スイッチがある」
「帰るときに先生があそこで警戒装置をオンにするってこと?」
「然様。一番遅くまで残った教職員が暗証番号でパネルを開き、警戒装置を起動させてから帰るわけだ」
「……あ。そういうこと? 職員室のパネルで警戒装置をオンにしたあとで、先生や職員さんは校舎を出なくちゃいけないから」
「察しがよいな。あの起動スイッチから外に出るまでのルート、つまり職員室のドアと教職員用の通用口は警戒がうすいということだ。厳しくしすぎると、退出時に警戒にひっかかってしまうからな。実際ドアにも通用口にもセンサがしかけられてはいるが、どちらも作動はしておらん。おそらく、セキュリティ設置直後に誤検知の事故が相次いだのであろうな」
校門前の監視カメラに対して考えた策を思いだす。
まさにその実例だ。
誤検知が繰りかえされたせいで、検知そのものを諦めてしまったと。
「それって欠陥じゃないっすか?」
「うむ。警戒スイッチを職員室のなかに設えたのが悪い。他に事務室があるのだから、そちらに置けばよいものを。運用を考えない設計になっているというわけだな。我々としてはありがたいことだ」
「じゃあ、さっそく通用口に行きましょう!」
と一歩踏みだした俺を、怪盗さんは「待て」と肩をつかんで引きとめた。
「通用口からは入らん。センサ類は切られているが、監視カメラは起動している。校門前ならまだしも、通用口前のカメラに人影があれば、即座に警備員が駆けつけてこよう」
「警備員さんが来る前に職員室に入って、金庫を開けて脱出すればよくないっすか?」
「不可能ではないが、勝算は薄い。警備員は異常検知から二十五分以内に現着すると、現代の法律では定められておる。警備員のチームは複数箇所の警備を担当し、警備時間中は待機所に詰めているか巡回しているわけだが、いずれにしろ二十五分以内に現着できるような場所には必ずおるというわけだ」
「二十五分もあればなんとかなりませんかね?」
「分の悪い賭けだな。二十五分というのは、遅くともその時間内には現着するという上限だ。いま警備員がどこにいるか次第で現着までの時間は大きく変わる。最悪、巡回でいまここに向かっている途上という可能性すらある」
「なるほど。で、いま警備員さんたちはどこにいるんすか?」
「知らぬ」
「怪盗ならそのくらい調べておいてくださいよ!」
「巡回の経路と時間は毎日無作為に決められるのだ。我らのような輩に対策されないためにな。故に居場所はわからぬ。分の悪い賭けという意味がわかったろう。他に手があるなら避けるべきなのだよ」
「ということは、他に手があるんすね?」
「しばし待て。いま仲間に探らせている」
そう言って、怪盗さんは職員室からはなれていった。
することもないので職員室をのぞき見しながら歩いていると、掲示板の前まで来てしまった。
ガラスの引き戸のなかに、緑色のでこぼこしたシート。画鋲で刺された紙。
そこには俺の恥がさらされている。
掲示板に貼られた何枚もの大きな模造紙には、縦書きでこう記されている。
『二学期 期末考査 一年生』
そして右から順に成績上位者の名前があげられている。
『一位 佐久間 三智
二位 夏焼 宏樹
三位 ……』
小学校のとき、俺は一位以外をとったことがなかった。
さすがにいつも満点とはいかなかったけれど、俺以上の点数をとれるやつなんていなかった。
中学校は私立の中高一貫校に進学した。
そこで俺は順位をひとつ下げることになった。
三年間、俺の右隣にはずっと同じ名前があった。
佐久間三智は、俺にとって目のうえのたんこぶなのだ。
昼間は閉じこめられていた暗がりが表に出てきて、明るみのすぐそばまで侵食している。
もし見えるところ全部が真っ暗だったら、感じるのは恐怖以外の別の感情になる。
そんなことを考えながら俺は学校の構内を歩いた。
「正答は職員室のなかだ」
怪盗さんが、手に持った桜の枝で校舎の西端をさす。
「日中のうちに調べはつけた。正答は金庫のなかにしまわれておる」
「それなら俺も確認ずみっす。実際に先生が金庫に入れるところを見ましたよ」
怪盗さんはうなずき、職員室へ向かい歩いていった。
「どうやって入るんすか? 職員室の窓から?」
「いや、それはむずかしい。校内で一番セキュリティが厳重なのが職員室だ」
校舎の西端、職員室の前にたどりつく。
窓からのぞきこむと、部屋のすみに金庫がどっしりかまえているのが見えた。
「現金や登記簿などはもちろん、生徒や教員の個人情報などもすべてこの部屋のなかだからな。もちろん試験問題や正答もだ。逆にいえば、セキュリティにかける費えを減らすべく、守るものを集約させているともいえる」
「どういうこと?」
「この広い学校すべてを最高級のセキュリティで守ろうとしたら、予算がいくらあっても足りん。大事なものは一箇所に集め、そこだけを特に固く守るのが最も効率がよいのだよ。選択と集中だな」
「じゃあ職員室以外の警戒は、意外とあまかったり?」
怪盗さんは「然様」とうなずいた。
「現にこうして構内に侵入できておる。校舎も同じく。もちろん警戒はされておるだろうが、職員室に比ぶればまだあまい」
「でも結局は職員室に入らないと目的は達成できないわけじゃないっすか。校舎に入ってもしかたないんじゃ?」
「然にあらず」
とこたえ、怪盗さんは校舎にそって歩きだした。
「ほれ、あそこ。廊下から職員室に入るドア、あれは窓ほど厳重には警戒されておらん」
「うっそ、一番警戒しなくちゃいけないとこじゃないっすか!」
「利便性のためだ。セキュリティはいつだって利便性と二律背反。あそこの壁を見よ。配電盤のようなものがあろう? あのパネルを開けると、中に警戒装置の起動スイッチがある」
「帰るときに先生があそこで警戒装置をオンにするってこと?」
「然様。一番遅くまで残った教職員が暗証番号でパネルを開き、警戒装置を起動させてから帰るわけだ」
「……あ。そういうこと? 職員室のパネルで警戒装置をオンにしたあとで、先生や職員さんは校舎を出なくちゃいけないから」
「察しがよいな。あの起動スイッチから外に出るまでのルート、つまり職員室のドアと教職員用の通用口は警戒がうすいということだ。厳しくしすぎると、退出時に警戒にひっかかってしまうからな。実際ドアにも通用口にもセンサがしかけられてはいるが、どちらも作動はしておらん。おそらく、セキュリティ設置直後に誤検知の事故が相次いだのであろうな」
校門前の監視カメラに対して考えた策を思いだす。
まさにその実例だ。
誤検知が繰りかえされたせいで、検知そのものを諦めてしまったと。
「それって欠陥じゃないっすか?」
「うむ。警戒スイッチを職員室のなかに設えたのが悪い。他に事務室があるのだから、そちらに置けばよいものを。運用を考えない設計になっているというわけだな。我々としてはありがたいことだ」
「じゃあ、さっそく通用口に行きましょう!」
と一歩踏みだした俺を、怪盗さんは「待て」と肩をつかんで引きとめた。
「通用口からは入らん。センサ類は切られているが、監視カメラは起動している。校門前ならまだしも、通用口前のカメラに人影があれば、即座に警備員が駆けつけてこよう」
「警備員さんが来る前に職員室に入って、金庫を開けて脱出すればよくないっすか?」
「不可能ではないが、勝算は薄い。警備員は異常検知から二十五分以内に現着すると、現代の法律では定められておる。警備員のチームは複数箇所の警備を担当し、警備時間中は待機所に詰めているか巡回しているわけだが、いずれにしろ二十五分以内に現着できるような場所には必ずおるというわけだ」
「二十五分もあればなんとかなりませんかね?」
「分の悪い賭けだな。二十五分というのは、遅くともその時間内には現着するという上限だ。いま警備員がどこにいるか次第で現着までの時間は大きく変わる。最悪、巡回でいまここに向かっている途上という可能性すらある」
「なるほど。で、いま警備員さんたちはどこにいるんすか?」
「知らぬ」
「怪盗ならそのくらい調べておいてくださいよ!」
「巡回の経路と時間は毎日無作為に決められるのだ。我らのような輩に対策されないためにな。故に居場所はわからぬ。分の悪い賭けという意味がわかったろう。他に手があるなら避けるべきなのだよ」
「ということは、他に手があるんすね?」
「しばし待て。いま仲間に探らせている」
そう言って、怪盗さんは職員室からはなれていった。
することもないので職員室をのぞき見しながら歩いていると、掲示板の前まで来てしまった。
ガラスの引き戸のなかに、緑色のでこぼこしたシート。画鋲で刺された紙。
そこには俺の恥がさらされている。
掲示板に貼られた何枚もの大きな模造紙には、縦書きでこう記されている。
『二学期 期末考査 一年生』
そして右から順に成績上位者の名前があげられている。
『一位 佐久間 三智
二位 夏焼 宏樹
三位 ……』
小学校のとき、俺は一位以外をとったことがなかった。
さすがにいつも満点とはいかなかったけれど、俺以上の点数をとれるやつなんていなかった。
中学校は私立の中高一貫校に進学した。
そこで俺は順位をひとつ下げることになった。
三年間、俺の右隣にはずっと同じ名前があった。
佐久間三智は、俺にとって目のうえのたんこぶなのだ。