***
妙なアカウントを見つけた。
休み時間にスマホでTwitterを見ているときだった。
フォロワーがリツイしていたつぶやきにはこう記されていた。
『あなたの最期の願いをかなえます』
アカウントの名前は『条件法の魔女』。
ツイートは一つだけ。数年前につぶやかれた一文を先頭に固定している。
そのつぶやきは多くの人に引用されていた。そしてさまざまに語られていた。
『もしこの話が本当だったらみんなはどうする?』
『都市伝説かな。元ネタは何だろう? 小説かネット掲示板?』
『こんなものを信じて願いをかなえてもらおうだなんて現代社会は病んでいる』
『わたしは願いをかなえてもらいました(絵文字)』
『最期の願いって、言い換えれば、命と引き換えにってことだよね』
『魔女は銀髪でいつも桜の枝を持っているらしい。花が散るとき依頼人も死ぬんだとか』
『なんで知ってるんだよ。依頼したヤツはみんな死んでるだろ』
『描いてみた』
『実際にDMを送ってみたけど返事なし』
『どっかの大学生がレポートのために実験してんじゃねーの。ネット上での都市伝説の波及モデルとかいってさ』
と、目についた意見はこんな感じだ。
中には実際に願いをかなえてもらったと、体験談を詳細に語っている人もいる。
なかなかおもしろい。
誰かの実験という説はうなずけるものだ。
この都市伝説は設定がうまい。
本当に願いをかなえてもらった人はもうこの世にいない。
だから体験者が一人も名乗りださなくても、魔女が存在しないという証明にはならない。
魔女は都市伝説として残り続ける。
おもしろい。
僕のアカウントにはそこそこのフォロワーがいる。
その人たちに暇つぶしを提供しようと、『条件法の魔女』のつぶやきをリツイートしておく。
物好きで暇を持てあましたみんなに届くように。
こうしたおもしろさのおすそ分けは、ネットの向こうの誰かには届いても、教室の中には届かない。
この教室に僕を知っている人はいない。
もちろん名前くらいは知られているはずだ。
中学三年に進級し、同じクラスになってから半年が経っている。
ほとんどの同級生が水窪佳という僕の名前を知ってはいるだろう。
でも、アカウントは知られていない。
『玖保ミサ』という僕のアカウント名を知っている同級生はいない。
興味を持たれていない。理解されていない。
そして僕も理解していない。
「あはは!」「アレねー」「わかるー」「いやマジでそれ!」
教室の真ん中で大きな声があがる。
背の高い男子たちと、華やかな女子たちが大きな声で笑っている。
笑い声は怖い。
自分が笑われているんじゃないかと思ってしまう。
でも、教室の真ん中にいる彼ら彼女らは、僕のほうを指さしてはいなかったし、見てもいなかった。
安心するけれど、やっぱり寂しい。
僕は理解されていない。
というかそもそも存在を認識されていない。
僕も理解できない。
何がおもしろいんだろう。
もれ聞こえてくる会話には、何らの具体的な情報も含まれていなかった。
たぶんハイ・コンテクストな会話がなされているのだろう。
お互いによく理解しあっているからこそ、曖昧な言葉の切れはしだけを交わすだけで話が通じる。
ああいう高次元のコミュニケーションは、省略と抽象化で以て成り立っている。
どれだけ省略できるか、どれだけ抽象化できるかが肝だ。
省略や抽象化の度あいが大きければ大きいほど、共有しているコンテクストが深いことになるのだから。
いいな。
楽しそうだな。
「おあよー」
教室のドアが開き、場ちがいなあいさつが投げこまれた。
いまはもう二時間目も終わったところ。
そんな時間に寝ぼけた口調で『おはよう』なんて、場ちがいにもほどがある。
誰かと思い振りかえった僕は、思わず「ヒェ」と変な声をもらしてしまった。
同級生が魔族になっていた。
ピンクがかった金髪から生えた大きな黒いツノ。目は真っ赤。
背中からは羽が、腰のあたりからは尻尾が生えている。
魔族になった同級生の名前は麻布まりかさん。
普段は目立たない、小柄な女の子だ。
いまは目立っている。
とても目立っている。
とんでもない存在感だ。
だって魔族だし、なんか制服も改造されていて胸元のリボン・タイが真っ赤で牡丹みたいに大きいし、スクール・バッグはキャラクターの缶バッチだらけでじゃらじゃらしているし、遠目でもわかるくらい目元のメイクが濃くて黒いし、唇も黒いし、爪も黒いし、何があったんだ、昨日の放課後にいきなり闇落ちでもしたの?
一番理解できないのは、教室にいる同級生全員が麻布さんを気にしていないことだ。
誰も声をかけないどころか、誰も注目していない。
なかにはちらりと視線をやる人もいたが、ああ麻布さんは今日も遅刻してきたのね、くらいの感情しか浮かべず、すぐまたそっぽを向いている。
ひょっとして僕のほうがおかしいのか。
僕の常識が壊れちゃったのか。
などと煩悶していたら。
麻布さんと目があった。
その真っ赤な目は蛇のようで、哀れな蛙レベルの生命体である僕は、すっかり射すくめられてしまった。
麻布さんは、ななめ前の席から僕を見ていた。
視線で僕をとらえ、にったりと黒い唇に笑みを浮かべ、がたんと音を立てて椅子から立ちあがり、なぜかこちらへ歩いてくる。
次第次第に大きくなっていく赤い瞳。
比例するように息がしにくくなっていく。
麻布さんが、僕の席の前に立つ。
そして机に勢いよく両手をついた。
「いっしょに世界を滅ぼそう!」
僕の常識が壊れた。
***
こんな僕にも友だちがいた。
同じ幼稚園に通っていた淳くんだ。
淳くんは近所に住んでいて、よくうちに遊びにきていた。
うちではレゴ・ブロックでいっしょに世界をつくって遊んだ。
つくった世界には人形を配置した。
いろいろな役割をもたせた。
勇者、お母さん、神父さん、大統領、魔法つかい、定食屋さん、アイドルの女の子、お父さん。
繰りかえす世界で、僕と淳くんはいろいろな人間を動かした。ロール・プレイだ。
そして僕たちは、その世界を滅ぼして遊んだ。
世界をつくって、滅ぼして、またつくって……。
僕たちの世界は何度も滅びに直面した。
僕は滅びというものが大好きだった。
滅びは美しい。
いや、滅びに直面した人間は美しい。
人間は複雑すぎる。
いくつも顔があり、その顔が入れかわり立ちかわりに現れては消えていく。
僕には人間がよくわからない。
しかし極限状態におかれた人間においては、多面的だった人間性が集約され、与えられたロールと一致するようになる。
勇者は勇者に、大統領は大統領に、お父さんはお父さんになる。
そして人類すべてが平等になる。
滅びの前に貴賤はなく、誰もが平等に死ぬ。
なんと美しい世界だろう!
もちろん幼稚園のころからこんなことを考えていたわけではないけれど、無意識のうちにそうしたロール・プレイを楽しんでいたのだと思う。
淳くんは元気で、明るくて、外で遊ぶのが大好きだった。
それでも彼は僕との遊びによくつきあってくれていた。幼稚園のときまでは。
小学校にあがると、淳くんに新しい友だちがたくさんできた。
彼らと外で鬼ごっこをしたりサッカーをしたりするようになった。
淳くんは優しくて、頼りがいのある、お兄ちゃんみたいな存在だった。
僕を置いていかず、連れていこうとした。
「いまから公園で氷おにやるんだ。佳も行こうぜ!」
「僕は家で遊んでいるほうが楽しい」
「えー、わっかんねー!」
何度か誘ってくれていた淳くんも、次第に僕から遠ざかっていった。
学年が進んでクラスも別になると、いつの間にか名前の呼びかたが佳から水窪になっていた。
そもそも淳くんが僕の名前を呼ぶことなんて、年に一回あるかないかくらいだったけど。
そして中学校にあがるとき、淳くんの一家は遠くへ引っ越していった。
ごめんね、淳くん。
たぶん僕のほうが悪い。
僕にはみんなと外で遊ぶ楽しさが理解できないんだ。
僕はどこか壊れているのかもしれない。
みんなと共有できるコンテクストが、常識が壊れているんじゃないかと思う。
***
ただでさえ壊れかけの僕の常識を、麻布まりかさんは更にぶち壊しにかかってきた。
授業中には視界の端に麻布さんが映る。
椅子のすき間からとび出た細い尻尾がひらひらと揺れているのがどうしても気になる。
休み時間になると、麻布さんは僕の席へと歩いてきた。
僕は逃げだして、授業が始まるまでトイレにこもり、たすけてくださいと神に祈った。
次の授業中、麻布さんはなんの前触れもなく教室を出ていった。
しばらくして戻ってきた麻布さんは、コンビニの袋から菓子パンを取りだし、ぱくぱくと食べはじめた。
先生は気にせず授業を続けていた。
昼休みにはトイレのドアをノックされた。
「出てますかー?」
「入ってますよ!」
魔族女子には、男子トイレに入ってはいけませんという常識がないようだった。
放課後。
帰りの会が終わるやいなや、僕はカバンを引っつかんで教室から駆けだした。
昇降口に着いたそのとき。
「わ!」
げた箱の陰から、麻布さんが飛びだしてきた。
情けなく「ヒェ」と声をだした僕を見て、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「いっしょに世界を滅ぼそう!」
元気よく「おー」と拳をつきあげる麻布さん。
「なんで僕を誘うんだ!」
「だって佳くん、世界を滅ぼしたいんでしょ?」
「何を根拠にそう思ったの?」
というかなぜ下の名前で僕を呼ぶんだ。
そんなこと、これまで一度だってなかったのに。
麻布さんは「えーと」とつぶやきながらスマホを取りだし、たぷたぷと操作した。
僕の隣に移動して、画面が見えるようにしてくれる。
「ほらこれ! このツイート佳くんのだよね?」
画面にはたしかに『玖保ミサ』というアカウント名が表示されていた。
ツイートの文面にも見覚えがある。
『滅びは美しい。滅びに直面したとき、人は初めて分裂していたペルソナを統合し真の自己同一性を獲得する。滅びという絶対的な神を前に人は相対性を失い平等となる。滅びというコンテクストを共有した人たちは理解しあえるようになる。滅び自体が美しいのではない。滅びが生む世界が美しいのだ』
血の気が引いていくのを感じる。
アカウントが特定されている。
僕の個人情報がやばい!
「これ見てあたし感動したんだよね。わかるーって! めっちゃ『いいね』した。なんで一人一回しか『いいね』できないんだろうね? こういうとこ不便。何回『いいね』したっていいじゃんね」
麻布さんがそうしてスマホを見ているすきに、僕はこっそり下靴にはきかえ、昇降口から全力ダッシュで逃げだした。
妙なアカウントを見つけた。
休み時間にスマホでTwitterを見ているときだった。
フォロワーがリツイしていたつぶやきにはこう記されていた。
『あなたの最期の願いをかなえます』
アカウントの名前は『条件法の魔女』。
ツイートは一つだけ。数年前につぶやかれた一文を先頭に固定している。
そのつぶやきは多くの人に引用されていた。そしてさまざまに語られていた。
『もしこの話が本当だったらみんなはどうする?』
『都市伝説かな。元ネタは何だろう? 小説かネット掲示板?』
『こんなものを信じて願いをかなえてもらおうだなんて現代社会は病んでいる』
『わたしは願いをかなえてもらいました(絵文字)』
『最期の願いって、言い換えれば、命と引き換えにってことだよね』
『魔女は銀髪でいつも桜の枝を持っているらしい。花が散るとき依頼人も死ぬんだとか』
『なんで知ってるんだよ。依頼したヤツはみんな死んでるだろ』
『描いてみた』
『実際にDMを送ってみたけど返事なし』
『どっかの大学生がレポートのために実験してんじゃねーの。ネット上での都市伝説の波及モデルとかいってさ』
と、目についた意見はこんな感じだ。
中には実際に願いをかなえてもらったと、体験談を詳細に語っている人もいる。
なかなかおもしろい。
誰かの実験という説はうなずけるものだ。
この都市伝説は設定がうまい。
本当に願いをかなえてもらった人はもうこの世にいない。
だから体験者が一人も名乗りださなくても、魔女が存在しないという証明にはならない。
魔女は都市伝説として残り続ける。
おもしろい。
僕のアカウントにはそこそこのフォロワーがいる。
その人たちに暇つぶしを提供しようと、『条件法の魔女』のつぶやきをリツイートしておく。
物好きで暇を持てあましたみんなに届くように。
こうしたおもしろさのおすそ分けは、ネットの向こうの誰かには届いても、教室の中には届かない。
この教室に僕を知っている人はいない。
もちろん名前くらいは知られているはずだ。
中学三年に進級し、同じクラスになってから半年が経っている。
ほとんどの同級生が水窪佳という僕の名前を知ってはいるだろう。
でも、アカウントは知られていない。
『玖保ミサ』という僕のアカウント名を知っている同級生はいない。
興味を持たれていない。理解されていない。
そして僕も理解していない。
「あはは!」「アレねー」「わかるー」「いやマジでそれ!」
教室の真ん中で大きな声があがる。
背の高い男子たちと、華やかな女子たちが大きな声で笑っている。
笑い声は怖い。
自分が笑われているんじゃないかと思ってしまう。
でも、教室の真ん中にいる彼ら彼女らは、僕のほうを指さしてはいなかったし、見てもいなかった。
安心するけれど、やっぱり寂しい。
僕は理解されていない。
というかそもそも存在を認識されていない。
僕も理解できない。
何がおもしろいんだろう。
もれ聞こえてくる会話には、何らの具体的な情報も含まれていなかった。
たぶんハイ・コンテクストな会話がなされているのだろう。
お互いによく理解しあっているからこそ、曖昧な言葉の切れはしだけを交わすだけで話が通じる。
ああいう高次元のコミュニケーションは、省略と抽象化で以て成り立っている。
どれだけ省略できるか、どれだけ抽象化できるかが肝だ。
省略や抽象化の度あいが大きければ大きいほど、共有しているコンテクストが深いことになるのだから。
いいな。
楽しそうだな。
「おあよー」
教室のドアが開き、場ちがいなあいさつが投げこまれた。
いまはもう二時間目も終わったところ。
そんな時間に寝ぼけた口調で『おはよう』なんて、場ちがいにもほどがある。
誰かと思い振りかえった僕は、思わず「ヒェ」と変な声をもらしてしまった。
同級生が魔族になっていた。
ピンクがかった金髪から生えた大きな黒いツノ。目は真っ赤。
背中からは羽が、腰のあたりからは尻尾が生えている。
魔族になった同級生の名前は麻布まりかさん。
普段は目立たない、小柄な女の子だ。
いまは目立っている。
とても目立っている。
とんでもない存在感だ。
だって魔族だし、なんか制服も改造されていて胸元のリボン・タイが真っ赤で牡丹みたいに大きいし、スクール・バッグはキャラクターの缶バッチだらけでじゃらじゃらしているし、遠目でもわかるくらい目元のメイクが濃くて黒いし、唇も黒いし、爪も黒いし、何があったんだ、昨日の放課後にいきなり闇落ちでもしたの?
一番理解できないのは、教室にいる同級生全員が麻布さんを気にしていないことだ。
誰も声をかけないどころか、誰も注目していない。
なかにはちらりと視線をやる人もいたが、ああ麻布さんは今日も遅刻してきたのね、くらいの感情しか浮かべず、すぐまたそっぽを向いている。
ひょっとして僕のほうがおかしいのか。
僕の常識が壊れちゃったのか。
などと煩悶していたら。
麻布さんと目があった。
その真っ赤な目は蛇のようで、哀れな蛙レベルの生命体である僕は、すっかり射すくめられてしまった。
麻布さんは、ななめ前の席から僕を見ていた。
視線で僕をとらえ、にったりと黒い唇に笑みを浮かべ、がたんと音を立てて椅子から立ちあがり、なぜかこちらへ歩いてくる。
次第次第に大きくなっていく赤い瞳。
比例するように息がしにくくなっていく。
麻布さんが、僕の席の前に立つ。
そして机に勢いよく両手をついた。
「いっしょに世界を滅ぼそう!」
僕の常識が壊れた。
***
こんな僕にも友だちがいた。
同じ幼稚園に通っていた淳くんだ。
淳くんは近所に住んでいて、よくうちに遊びにきていた。
うちではレゴ・ブロックでいっしょに世界をつくって遊んだ。
つくった世界には人形を配置した。
いろいろな役割をもたせた。
勇者、お母さん、神父さん、大統領、魔法つかい、定食屋さん、アイドルの女の子、お父さん。
繰りかえす世界で、僕と淳くんはいろいろな人間を動かした。ロール・プレイだ。
そして僕たちは、その世界を滅ぼして遊んだ。
世界をつくって、滅ぼして、またつくって……。
僕たちの世界は何度も滅びに直面した。
僕は滅びというものが大好きだった。
滅びは美しい。
いや、滅びに直面した人間は美しい。
人間は複雑すぎる。
いくつも顔があり、その顔が入れかわり立ちかわりに現れては消えていく。
僕には人間がよくわからない。
しかし極限状態におかれた人間においては、多面的だった人間性が集約され、与えられたロールと一致するようになる。
勇者は勇者に、大統領は大統領に、お父さんはお父さんになる。
そして人類すべてが平等になる。
滅びの前に貴賤はなく、誰もが平等に死ぬ。
なんと美しい世界だろう!
もちろん幼稚園のころからこんなことを考えていたわけではないけれど、無意識のうちにそうしたロール・プレイを楽しんでいたのだと思う。
淳くんは元気で、明るくて、外で遊ぶのが大好きだった。
それでも彼は僕との遊びによくつきあってくれていた。幼稚園のときまでは。
小学校にあがると、淳くんに新しい友だちがたくさんできた。
彼らと外で鬼ごっこをしたりサッカーをしたりするようになった。
淳くんは優しくて、頼りがいのある、お兄ちゃんみたいな存在だった。
僕を置いていかず、連れていこうとした。
「いまから公園で氷おにやるんだ。佳も行こうぜ!」
「僕は家で遊んでいるほうが楽しい」
「えー、わっかんねー!」
何度か誘ってくれていた淳くんも、次第に僕から遠ざかっていった。
学年が進んでクラスも別になると、いつの間にか名前の呼びかたが佳から水窪になっていた。
そもそも淳くんが僕の名前を呼ぶことなんて、年に一回あるかないかくらいだったけど。
そして中学校にあがるとき、淳くんの一家は遠くへ引っ越していった。
ごめんね、淳くん。
たぶん僕のほうが悪い。
僕にはみんなと外で遊ぶ楽しさが理解できないんだ。
僕はどこか壊れているのかもしれない。
みんなと共有できるコンテクストが、常識が壊れているんじゃないかと思う。
***
ただでさえ壊れかけの僕の常識を、麻布まりかさんは更にぶち壊しにかかってきた。
授業中には視界の端に麻布さんが映る。
椅子のすき間からとび出た細い尻尾がひらひらと揺れているのがどうしても気になる。
休み時間になると、麻布さんは僕の席へと歩いてきた。
僕は逃げだして、授業が始まるまでトイレにこもり、たすけてくださいと神に祈った。
次の授業中、麻布さんはなんの前触れもなく教室を出ていった。
しばらくして戻ってきた麻布さんは、コンビニの袋から菓子パンを取りだし、ぱくぱくと食べはじめた。
先生は気にせず授業を続けていた。
昼休みにはトイレのドアをノックされた。
「出てますかー?」
「入ってますよ!」
魔族女子には、男子トイレに入ってはいけませんという常識がないようだった。
放課後。
帰りの会が終わるやいなや、僕はカバンを引っつかんで教室から駆けだした。
昇降口に着いたそのとき。
「わ!」
げた箱の陰から、麻布さんが飛びだしてきた。
情けなく「ヒェ」と声をだした僕を見て、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「いっしょに世界を滅ぼそう!」
元気よく「おー」と拳をつきあげる麻布さん。
「なんで僕を誘うんだ!」
「だって佳くん、世界を滅ぼしたいんでしょ?」
「何を根拠にそう思ったの?」
というかなぜ下の名前で僕を呼ぶんだ。
そんなこと、これまで一度だってなかったのに。
麻布さんは「えーと」とつぶやきながらスマホを取りだし、たぷたぷと操作した。
僕の隣に移動して、画面が見えるようにしてくれる。
「ほらこれ! このツイート佳くんのだよね?」
画面にはたしかに『玖保ミサ』というアカウント名が表示されていた。
ツイートの文面にも見覚えがある。
『滅びは美しい。滅びに直面したとき、人は初めて分裂していたペルソナを統合し真の自己同一性を獲得する。滅びという絶対的な神を前に人は相対性を失い平等となる。滅びというコンテクストを共有した人たちは理解しあえるようになる。滅び自体が美しいのではない。滅びが生む世界が美しいのだ』
血の気が引いていくのを感じる。
アカウントが特定されている。
僕の個人情報がやばい!
「これ見てあたし感動したんだよね。わかるーって! めっちゃ『いいね』した。なんで一人一回しか『いいね』できないんだろうね? こういうとこ不便。何回『いいね』したっていいじゃんね」
麻布さんがそうしてスマホを見ているすきに、僕はこっそり下靴にはきかえ、昇降口から全力ダッシュで逃げだした。