上靴で道路を歩く感触は新鮮だった。
 ぶ厚いゴム底で踏む地面はふわふわしていて、滑り止めがでこぼこのアスファルトをがっしりつかむ。
 どこまでも歩いていける気がした。

 僕とまりかさんはお街へ向かった。
 行くあてはない。
 でも、お街に行けば何かがある気がした。
 人ごみに紛れれば目立たずにすむかなという期待もあった。

 しかし僕たちは、人ごみに紛れていてもなお悪目立ちするような格好をしていた。
 何しろ中学の制服に上靴ときている。
 見るからに訳ありだ。

 僕たちはまず靴を買うことにした。
 専門店だと店員さんが話しかけてくるかもしれないので、大きなスーパーの二階にある衣料品売り場へ向かった。
 試し履きはできないけれど、レジを通すだけで買いものができるのはありがたかった。
 僕は歩きやすそうなスニーカーを、まりかさんは黒いバレエ・シューズを買った。

「安物だし、あんまりかわいくないけど、この中なら一番まし」
 と、まりかさんは唇を尖らせた。

 ありがたいことにまりかさんは財布をスカートのポケットに入れて持ち歩いていた。
 僕はカバンごと教室においてきてしまっていたので、靴は彼女に買ってもらった。
 まあ、たとえ財布があったとしても、靴を買えるような額は入っていなかったけれど。

 やっと街中を目立たず歩けるようになったところで、僕たちはまりかさん行きつけのお店へ向かった。
 黒やピンクを基調としたかわいらしいファッションのお店。
 そこでまりかさんは小さなピンク色のショルダー・バッグを買った。
 制服やカーディガンのポケットは小さい。
 ものを持ち運ぶのには向いていない。

 そのあと僕たちはファミレスに入った。
 滅活のときに何度か来たことのあるお店だ。

 そこで僕はハンバーグを、まりかさんはオムライスとパフェを頼んだ。
 彼女の財布には三万円ほど入っていた。
 それだけあれば何でもできるし、どこへでも行ける気がした。

 ドリンクバーで何杯もおかわりしながら世界滅亡のプランを話しあっているうちに、あたりが暗くなってきた。
 放課後と呼べる時間帯をすぎ、夜としかいえないような時間になってきて、制服姿の僕たちは、また世界から浮きはじめてしまっていた。

 一九時をすぎると店内が混んできたので、僕たちは店を出ることした。
 お街は夜の顔をしていた。
 まぶしい光が散らばっていて、そこら中に暗がりができていた。

「佳くん。あれ」

 まりかさんが袖を引っぱる。
 その指さすほうを見ると、青い制服を着たおまわりさんが二人歩いていた。

「駅のほうに行こうか。塾の近くだったら怪しまれないよ」

 繁華街をはなれ、僕たちは駅前へ向かった。

 駅前にはコンビニ、チェーンの飲食店、学習塾が立ちならんでいる。
 学習塾の隣にあるコンビニの前で、僕らはようやくひと心地をつけることができた。

 見あげれば、電線にカラスが止まっていた。
 このあたりには彼らのエサもたくさんありそうだ。

「今日はどこに泊まろっか?」

 ガードレールに腰かけ、スマホを取りだすまりかさん。
 僕も隣に座り、宿を探すことにした。

 家に帰るという選択肢は思いついても選べなかった。
 僕は別にいい。
 授業をサボったことで家に連絡がいっているかもしれないけれど、ちょっと叱られればすむ話だ。
 帰ったっていい。
 全然いい。

 問題はまりかさんだ。
 彼女は一言たりとも『帰る』に類いする言葉を口にしなかった。

 これまで滅活をしていたときもそうだった。
 まりかさんはいつも帰りたがらない。
 遅くまで外にいたがる。

 あの古びたマンションの重く閉ざされたドア。
 あのドアはきっと、まりかさんにとって重いものだ。
 物理的な質量という意味だけではなく。

「ホテルとか旅館って、けっこう高いね」

 旅行サイトの一覧に並ぶ近辺の宿は、二人で泊まったらそれだけで予算が消し飛ぶようなお値段設定だった。

「ビジネスホテルっていうの安いよ!」

「それでも、この値段じゃ二人で三泊もできないよ」

「たしかに。……こっちはどう? 休憩っていうのがやす……」

 そこまでで、まりかさんは黙りこくってしまった。
 どうやら気づいてしまったようだった。
 僕も、何もいえず自分のスマホをいじるふりをする。

 とその瞬間、頭に冷たい感触が生まれた。
 髪の毛をつたって顔に水滴が垂れてくる。

 あわててコンビニに入る。
 駅に近いそのコンビニは、こぢんまりしていて、立ち読みをずっと続けられるような雰囲気ではなかった。
 とても雨宿りはできない。
 しかたないのでビニル傘を一本だけ買って外に出る。

 まりかさんと二人、肩を寄せあって当て所なく歩く。

「三万円もあれば、なんでもできる気がしたんだけどな」
 隣で彼女がつぶやく。

 それからくしゅんと、くしゃみをした。
 十月になり、昼はまだ暑い日もあるが、夜はだいぶ涼しくなった。
 そこに雨が降れば、体も冷える。

 とりあえずの雨宿りということで、僕たちはマクドナルドに入った。
 ここなら深夜まで開いている。

 僕はホットコーヒーを、まりかさんはホットティーを注文した。
 さっきファミレスでパフェを頼んでいたのが、いまとなっては信じられない。
 あんな冷たくて高いもの。
 ありえない。
 いま考えるべきは一円あたりの熱量だ。

 一口ずつ体を温めながら、ときどきぽつりと言葉をかわしているうちに、時計の短針が頂点に近づいていった。
 気のせいか、店員さんの目がだんだんと厳しくなっていくようだった。
 窓際の席から振り向くたびに、カウンターの向こうにいる店員さんと目があった。

「まりかさん、そろそろ行こうか」

「もう? どこ行くの?」

「店員さんがこっちを見てるんだ。まずいかもしれない」

 僕が耳もとでささやくと、まりかさんは、はっと振りかえって「たしかに」とつぶやいた。

 紙コップの中の熱量と水分を一滴残さず体に取りこんでから、僕たちは席を立った。

 そうしてお店から出ようとした瞬間。

「あの、お客さま。学生さんですよね?」

 小走りにやってきた店員のお姉さんに声をかけられた。
 反射的に、僕たちは走りだした。

 いつの間にか雨はやんでいた。
 人通りは減っていて、みんな帰るべき場所に帰っているようだった。

 明るい光を目ざして走っていたら駅前についた。
 立ち止まり、息を整える。
 走っているのも、肩で息をしているのも目立つ。
 なんとか世界に溶けこもうとしているのに、何をやってもうまくいかない。

 まりかさんは「疲れた」としゃがみこんでしまった。
 人目につくから立とう、とは言えなかった。

 中学生が二人いても、どうにもならないもんだね。
 うち一人は魔族なのにね。
 空を飛べるし、人に幻を見せられるし、ばんってできるけど、だからってそれで生きていけるわけじゃないみたいだ。

 そういえばまりかさんには幻を見せる力があるのに、どうして僕らはこんなに人目につくんだろう。
 五時間目にいなくても、上靴で歩いていても、夜の街にいても、深夜のマックにいても、誰も気にしないでいてくれたらいいのに。
 街中で人目につくのは僕がいっしょにいるからだとして、なんで同級生たちはまりかさんが五時間目をサボったと気づいていたんだろう。

 ああ、そっか。
 まりかさんの見せる幻というのは、そこに誰もいないと思わせるものじゃなくて、ただ魔族じゃない元のまりかさんがそこにいると思わせるようなものなのか。
 まりかさんが遅刻して教室に入ってきたときも、みんな一瞬そっちを見ていたっけ。
 納得。

「……ダメだ」

 また現実逃避で思考に逃げこんでしまった。

 それじゃダメだ。
 ちゃんと目の前のものを見て、どうするか考えないと。

 前を見ようと顔をあげると、駅の灯かりと目があった。
 その眩しい光を見ているうちに、僕は行き先をひとつ思いついた。