五時間目が終わったあと、僕たちは教室へ戻ることにした。

 考えてみれば授業をサボるのは生まれて初めてだった。
 正直にいえば、緊張と罪悪感以外に、少しの昂揚があった。
 僕にとっては、世界を滅ぼすより授業をサボるほうがよほど大それたことだった。
 悪魔が家に来るより女子が来るほうが大事件になるのと同じだ。

 まりかさんと並んで廊下を歩き、教室のドアに手をかけた瞬間だった。

「さっきの授業さ、あいつらいなくなかった?」
「あー。麻布と水窪? いなかった。たぶん」
「ねーね、知ってる? つきあってるらしいよ。あの二人」
「うっそ、マジで?」
「なんか二人でお街歩いてたんだって」
「うーわ。ないわ」
「きも」
「いや、ある意味おにあいじゃね?」

 教室の中からそんな声がもれてきた。

 意外と僕たちは見られていたんだなと、そう思った。
 誰も僕たちのことなんて認識していないと思っていたから。

 しかし、それは僕たちが教室に居場所を持っているということを意味しはしない。
 むしろ逆だ。
 僕とまりかさんが教室で立場を得ていないからこそ、同級生たちは、僕たちを歓談のタネにしている。
 彼ら彼女らはコンテクストを共有している。
 僕とまりかさんはどう扱ってもよい対象であるという常識を共有している。

 僕とまりかさんはそのコンテクストを共有していない。
 僕たち二人は主語じゃない。
 目的語だ。
 語られる対象であり、観察される対象であり、指をさされる対象だ。

 そんなことを考えている自分に気づく。

 よくこの状況でそんな冷静に分析できるな。

 冷静?

 ちがうでしょ。

 こんな状況だから考えてるんだよ。
 自分から自分を遊離させて、自分を客観視しようとしている。
 逃避だよ。
 自分を守ってるんだ。
 いま傷つけられているのは僕ではなく、水窪佳という人間である。
 そうして、こころから自分を切り離しているんだよ。

「あいつら並んでるとおもしれーよな」
「あの二人、おもしろいとかある?」
「麻布ってやばいじゃん。制服あれだし、メイクとかもさ」
「地雷系?」
「そーそ。地味陰キャと地雷系ってラブコメのマンガありそうじゃね?」
「あはは!」

 ふと嫌な予感がして隣を見る。
 まりかさんが、脳みそばんってしたりしないかと。

「……」

 まりかさんは、何の感情も浮かべていなかった。

 ふと、以前訪れたマンションを思い出した。
 まりかさんが住んでいるという四〇四号室の鉄の扉。
 重く、無表情に閉ざされた扉。

 僕は、目の前の現実から自分を逃している。
 まりかさんは、現実から扉を閉ざしている。

「まりかさん、行こう」
 だから僕は彼女の手をとった。

 僕が小走りになると、まりかさんがつんのめる。

「え、どこ行くの?」

「どこでもいいよ」

 まりかさんが走りだす。僕の隣に並びかける。

「どこでもいっか!」

 僕たちは昇降口を駆けぬけて、上靴のまま学校を飛びだした。