お店には万が一に備えて救急箱がある。
私は漣里くんの向かいの席に座り、彼の指に絆創膏《ばんそうこう》を貼った。
「痛いの痛いのとんでけー」
漣里くんの左手を包んで唱える。
「…………」
はっ!
漣里くんが何か言いたそうな顔をしている!
厨房から、お母さんがニヤニヤしながらこっちを見てる!!
私はリンゴみたいに顔を赤くしながら、ぱっと手を離した。
「ご、ごめん。子どもっぽかったね。怪我の手当をした後はお母さんがいつもやってくれるの。深森家では恒例になってて、つい」
私は照れ笑いを浮かべた。
「子どもが転んだときとかさ。一人だと転んでも泣かないのに、お母さんが『大丈夫?』って声をかけると、途端に泣き出しちゃうことってあるじゃない?」
「ああ。あるな」
「あれは自分を守ってくれるお母さんの存在に安心して、気が抜けちゃうからだと思うんだよね。このおまじないもそう。痛いの痛いのとんでけーって誰かに言われると、ああ、この人は自分がいま、痛くて苦しいことをわかってくれてるんだなって、安心するんだ。そうしたらどんなに痛くても、苦しくても、その言葉が支えになる。痛みに立ち向かう勇気をくれる」
「…………」
「なので、なんというか、その……気休めにでもなればなーと……思います」
私はだんだん頭を低くしていった。
漣里くんが何も言わないから、恥ずかしい。
子どもっぽいと思われたかな……痛い奴だって思われたらどうしよう。
上目づかいに様子を窺うと、漣里くんは無表情。
左手の絆創膏を見下ろして黙っている。
もう馬鹿にされてもいい。
なんでもいいから、お願いだから何か言ってください……!
「大怪我ならともかく、たかがかすり傷に大げさじゃないか」
沈黙の果てに、漣里くんが言った。
そこでやっと私も顔を上げて、言い返すことができた。
「そんなことないよ。『大事は小事より起こる』って、ことわざにもあるでしょう? 小さな傷だって化膿したら大変なことになるんだから。私も小学生のとき、足の小さな傷を放置したことがあるの。そしたら凄いことになったんだよ。赤く腫れてね、透明な液体が滲み出てきて、それから膿が……」
「わかった。俺が悪かった」
詳しく伝えようとすると、漣里くんが私の言葉を遮った。
グロテスクな話を好んで聞きたいと思う人は、そう多くはないだろう。
漣里くんも例外じゃなかったらしい。
『体験談を通じてわかってもらおう作戦』は成功だ。
「そうだよ」
私は大きく頷いて、テーブルの上の救急箱を閉じた。
「自分のことは誰よりも大切にしなきゃダメ。痛いのも苦しいのも、他人はそれを想像して心配することはできても、本当の意味で理解することはできないの。誰も代わってあげられないの。だから、どんな小さな痛みでも、無視するのは絶対にダメ」
これは身体の怪我に限ったことじゃないよ、と私は言った。
外から見える傷はわかりやすいから、他人が心配することができる。
でも、心の傷は誰にも見えない。
辛くても悲しくても気づけない。
自分を大切にできるのは自分だけなんだ。
「漣里くんが不幸になったら悲しむ人がいるっていうこと、忘れないで」
「…………」
漣里くんは呆けたような顔をしている。
「かすり傷ならこんなふうに血が滲んだりしないよ。痛いでしょ?」
私は絆創膏を見て顔をしかめ、再び漣里くんを見つめた。
「痛くない」
「嘘」
「本当。おまじないしてもらったから」
漣里くんは指先に力を入れて、私の手を少しだけ握り返してきた。
まるで、ありがとう、と伝えるかのように。
――あ。
私は目を見開いた。
ほんの少しだけだけど、漣里くんの口元が緩んでる。
笑ってる……。
そうか。
漣里くんは、こんな顔で笑うんだ。
初めて見る笑顔に、胸の奥がほんわり温かくなった。
「……そっか。良かった」
気休めでしかないおまじないでも、心配する気持ちが伝わったなら嬉しい。
自然と、私も笑っていた。
私は漣里くんの向かいの席に座り、彼の指に絆創膏《ばんそうこう》を貼った。
「痛いの痛いのとんでけー」
漣里くんの左手を包んで唱える。
「…………」
はっ!
漣里くんが何か言いたそうな顔をしている!
厨房から、お母さんがニヤニヤしながらこっちを見てる!!
私はリンゴみたいに顔を赤くしながら、ぱっと手を離した。
「ご、ごめん。子どもっぽかったね。怪我の手当をした後はお母さんがいつもやってくれるの。深森家では恒例になってて、つい」
私は照れ笑いを浮かべた。
「子どもが転んだときとかさ。一人だと転んでも泣かないのに、お母さんが『大丈夫?』って声をかけると、途端に泣き出しちゃうことってあるじゃない?」
「ああ。あるな」
「あれは自分を守ってくれるお母さんの存在に安心して、気が抜けちゃうからだと思うんだよね。このおまじないもそう。痛いの痛いのとんでけーって誰かに言われると、ああ、この人は自分がいま、痛くて苦しいことをわかってくれてるんだなって、安心するんだ。そうしたらどんなに痛くても、苦しくても、その言葉が支えになる。痛みに立ち向かう勇気をくれる」
「…………」
「なので、なんというか、その……気休めにでもなればなーと……思います」
私はだんだん頭を低くしていった。
漣里くんが何も言わないから、恥ずかしい。
子どもっぽいと思われたかな……痛い奴だって思われたらどうしよう。
上目づかいに様子を窺うと、漣里くんは無表情。
左手の絆創膏を見下ろして黙っている。
もう馬鹿にされてもいい。
なんでもいいから、お願いだから何か言ってください……!
「大怪我ならともかく、たかがかすり傷に大げさじゃないか」
沈黙の果てに、漣里くんが言った。
そこでやっと私も顔を上げて、言い返すことができた。
「そんなことないよ。『大事は小事より起こる』って、ことわざにもあるでしょう? 小さな傷だって化膿したら大変なことになるんだから。私も小学生のとき、足の小さな傷を放置したことがあるの。そしたら凄いことになったんだよ。赤く腫れてね、透明な液体が滲み出てきて、それから膿が……」
「わかった。俺が悪かった」
詳しく伝えようとすると、漣里くんが私の言葉を遮った。
グロテスクな話を好んで聞きたいと思う人は、そう多くはないだろう。
漣里くんも例外じゃなかったらしい。
『体験談を通じてわかってもらおう作戦』は成功だ。
「そうだよ」
私は大きく頷いて、テーブルの上の救急箱を閉じた。
「自分のことは誰よりも大切にしなきゃダメ。痛いのも苦しいのも、他人はそれを想像して心配することはできても、本当の意味で理解することはできないの。誰も代わってあげられないの。だから、どんな小さな痛みでも、無視するのは絶対にダメ」
これは身体の怪我に限ったことじゃないよ、と私は言った。
外から見える傷はわかりやすいから、他人が心配することができる。
でも、心の傷は誰にも見えない。
辛くても悲しくても気づけない。
自分を大切にできるのは自分だけなんだ。
「漣里くんが不幸になったら悲しむ人がいるっていうこと、忘れないで」
「…………」
漣里くんは呆けたような顔をしている。
「かすり傷ならこんなふうに血が滲んだりしないよ。痛いでしょ?」
私は絆創膏を見て顔をしかめ、再び漣里くんを見つめた。
「痛くない」
「嘘」
「本当。おまじないしてもらったから」
漣里くんは指先に力を入れて、私の手を少しだけ握り返してきた。
まるで、ありがとう、と伝えるかのように。
――あ。
私は目を見開いた。
ほんの少しだけだけど、漣里くんの口元が緩んでる。
笑ってる……。
そうか。
漣里くんは、こんな顔で笑うんだ。
初めて見る笑顔に、胸の奥がほんわり温かくなった。
「……そっか。良かった」
気休めでしかないおまじないでも、心配する気持ちが伝わったなら嬉しい。
自然と、私も笑っていた。