次のシフトの日に出勤したとき、すでに望月さんのイケメンぶりが、女性の仲間内で相当な盛り上がりを見せて話題になっていた。

 彼女たちの反応にしたり顔でうなずく。
 あんな古代ギリシャ彫刻のような美青年を一般人が放っておけるわけがない。

 私と同じ女子高生の仲間は、「むっちゃかっこいい! マジで好きになりそう」と、キャアキャア舞い上がって楽しそうだった。

 そんな彼女たちが自分とは関係ない遠い世界の人間に感じる。

 おそらく性格もいいだろうと思われる望月さんというイケメンに出会っても、それまでの私のイケメンに対する考えが簡単に変わるものではないし、イケメンに対する私の苦手意識を完全に取り去ることも不可能に近い。

 それはもしかしたらものすごく損をしているだけかもしれないし、食わず嫌いをしているだけかもしれないけど。


 望月さんは、容姿端麗さだけではなく、アルバイト仲間の中で抜群に接客がうまいホールスタッフだった。
 それなのに、ファミレスでのアルバイトは初めてらしい。

 常に笑顔を絶やさない、疲れた表情を見せないのはもちろんだけど、彼のすごいところはそれだけではない。

 動きにキレがあるのに、ひとつひとつの動作には無駄がない。
 かといって力んでいる様子はなく自然な振る舞いなので、見ているだけでも楽しめるらしい。

 見た目からはギャップのある低めの声、その声の出し方、丁寧で過不足のない言葉遣いで、望月さんの言葉を聞いている人を気持ちよくさせてしまう。

 一緒に働いているこっちまで見惚れてしまうほどだと、彼と同じホール担当の主婦パートさんが教えてくれた。

 キッチンから料理を出すために設置してあるカウンターは、ホールからキッチンにスイーツのオーダーを通すときにも使われる。
 そして、このファミレスでは、スイーツのオーダーだけは直接ホールスタッフからキッチンスタッフに通す仕組みになっている。

 カウンターからキッチンをのぞき込みながら、望月さんが「山本さーん、フレンチトーストお願いしまーす」と、いつもは低い声を少し張り上げて注文を通す姿すら素敵なの、と女子高生の仲間(もちろんホール担当)もうっとりしながら教えてくれた。

 対してキッチン担当のスタッフは、ホールからの注文を受けたとき、ホール担当には目もくれず「はーい」と事務的に答えるだけだ。
 キッチンでは常に複数のメニューを調理していて、料理から目を離せない。

 例えば、白倉さんに「ぽちゃかよー、チョコパフェお願い!」と言われても、同じく「はーい」とだけ返事をする。

 だから、いくら望月さんから「雨宮さーん、パンケーキお願いしまーす」と言われても、残念ながら女性スタッフから称賛されている彼を含めて、カウンターを見る余裕はほとんどなかった。


 このファミレスは、ホール担当の男性用制服が断トツにおしゃれだ。

 普通の人間が思いつくのはホール担当の女性用制服を可愛くすることだけど、残念ながらこのファミレスでは女性用の制服はいまいち可愛くない。
 それには理由があって、女性スタッフ目当ての変な客が来ないようにするためらしい。

 ちなみに、キッチン担当は男女兼用の上下が白いコック服で統一されている。

 男性用制服は、上がスタンドカラーの白いジャケット、下がくるぶし丈の黒いロングエプロンと黒いパンツ。その胸元では、名字がローマ字で刻印された金色のプレートがキラキラ輝いている。

 これが、細身で長身の望月さんに恐ろしいほど似合っていた。

 「この制服は彼のためにあったのか」と思わざるをえない。
 どんなに私がイケメンを苦手でも、その制服が彼に似合いすぎているという事実については認めるしかない。

 元来この制服は、中肉中背の男性が着れば、誰でも三割増しくらいでかっこよく見える制服になっている。

 だから、普段私をからかって遊ぶ星野さんも白倉さんも、彼らがこの制服にひとたび着替えた姿は「結構イケてるじゃん」と密かに褒めていた。

 しかし、望月さんの制服姿は、そのどちらも、いや、どの男性スタッフの制服姿をも凌駕する美しさだった。

 その望月さんの美しさを放っておけなかったのは、何もアルバイト仲間だけではない。

 ファミレスに来る女性客だ。

 店長曰く、望月さんが入ってから、特に女性客が劇的に増えているらしい。
 明らかに彼目当てらしく、呼び鈴が鳴って女性スタッフがオーダーを取りに行くと、あからさまにがっかりされるか舌打ちされると聞いた。

 店の評判が落ちることを恐れた店長は、次のようなルールを作った。
 女性客は基本すべて望月さんが、それ以外の男性客や高齢客、ファミリー客を望月さん以外のスタッフがオーダーを取りに行くというルールだ。

 店のことしか考えていないように見える店長の対応に呆れるしかなかった。
 そのルールを課すことで、彼の負担が増えるにしろ、他のスタッフの仕事は減るにしても増えることはない。
 不公平なのが明らかだった。

 それでも、そのルールを店長から打診されたとき、望月さんは嫌な顔ひとつせず、いつものように微笑みを携え「わかりました。やれると思います」と答えた。

 そして、それ以降、店長が課した無理難題のルールに従っている。
 いつもの美しい動作を崩すことなく、声を荒げることなく、疲れたそぶりを見せることもなく。

 店長も集客までした上に不公平な負担の仕事の割り振りを文句ひとつ言わずにやりきっているアルバイトスタッフに対し、さすがに何もしないわけではなかった。

 噂によると、望月さんには奨励金が出たらしい。
 他人事ながら少しほっとする。
 ブラック企業ではなるべく働きたくない。


 パフェに乗せるためのアイスや生クリーム、パンケーキのバターなどは、キッチンではなく、キッチンから料理を出すカウンター付近で、ホール担当が料理に盛りつけをすることになっている。
 その場所は、お客さんから見てガラス張りになっていて、ちょうどドリンクバーの目の前に位置している。

 望月さんがアイスなどを盛りつける姿は、まるで天使が最後の晩餐を盛りつけているかのように清らかな姿らしく、その姿を一目見ようと女性客がドリンクバーの前に人だかりを作るようになっていた。

 スイーツメニューの注文率も以前に比べると激増した。
 おかげでキッチンの私たちは、単価の高いメインディッシュよりも単価の低いスイーツ調理にかかりっきりになっている。

 また、彼には、シフト上がりを店の前で待ち構える熱心なファンまで出現した。
 望月さんと同じシフトの日は、その出待ちファンを横目になるべく存在感を消して店から出ていくことにしている。

 店長は定期的に外の見回りをし、出待ちファンを見つけ次第、丁重に追い払っている。ストーカー状態のファンについては警察への通報もしているらしい。

 通常業務以外の仕事が増えている店長は心なしか疲れているが、店の売上げと評判は上々のようで、先日は本社社員が視察に来て、望月さんのサービスを見て感動していたらしかった。

 すべてはホール担当からの情報だ。
 ホール担当の事情通、あなどれない。

 当の望月さんは帰るとき、芸能人のように帽子を目深に被り、顔が分からないようにして店を出る。

 しかも、彼だけ特別に、普段はゴミ出しなどにしか使わないキッチン裏口からの出入りを指示されている。
 人気者には人気者しか分からない苦労があるらしい。

 ただし、店からある程度離れると、被っていた帽子を早速取り、先に店を出ていた私に駆け寄って来るのはやめてほしい。
 望月さんファンの人に逆恨みされて殺されたくないと本気で考えている。

「おーい、雨宮さーん」

 シフト中みっちり完璧に働いた後の望月さんは、前を歩いている私を見つけるや否や、まるで糸の切れた風船のように、ふわっと名前を呼んで近づいてくる。

 上機嫌な彼は、さらに両手をぶんぶん振っているが、私は振り返ってできうる限りの冷たい視線を彼に送った後、そのまま自宅方向に足を進める。

 熱烈な望月さんファンに見られていやしないか内心ヒヤヒヤしているのだ。
 怖くて周りを確認できず、ギュッと身を縮めて下を向いて歩く。

 追いついた彼をもう一度非難する目で見つつ「ファンの人に見られますよ」と忠告するのだが、望月さんは意に介さない。

「俺は大丈夫。
 大丈夫じゃないのは雨宮さんだ」
「やめてください。
 まだ死にたくない」

 頭を抱えて早歩きで逃げる私を、いたずらっ子のような顔をして追いかける望月さんが、実に楽しそうにしているのが癪に障る。

 やはり、彼もいいご身分だ。
 これだから王様は困る。
 民の気持ちを、ちっとも分かっていやしない。


「聞いてよ。
 また望月さんがさ」
 お昼どきの食堂で、いつものように理絵ちゃんに愚痴る。

「最近、望月さんの話ばっかりだね」
 ぞっとすることを彼女が笑いながら言う。

 違う、望月さんの話をしたくてしているんじゃない。
 愚痴や不満を述べたら、それがたまたま彼に関連していただけ。

「それは気のせいだよ」

 色んな理由を元に反論したかったが、食堂で一日三十食限定のカツ丼を食べていた私は、そう短く応えるだけにした。
 そうしたのは、あったかいうちにカツ丼を味わいたい気持ちが勝っただけで、他に理由はない。

 このカツ丼は、三百八十円の割に、トンカツの衣がサクッとして、卵がふんわりしていて美味しい。
 しかも限定品だ。
 より美味しく感じる。

「そんなに嫌なら、ハッキリ望月さんに言えばいいじゃない」
「言ってるってば」
「いいや、香世ちゃんの本気はそんなものじゃない」
 理絵ちゃんが断言する。
「もっとガツンと言わなきゃ。
 本当に嫌ならね」
「分かってます」

 私は理絵ちゃんとケンカしたときのことを思い出し、心の中で、冷静にガツンと言う理絵ちゃんの本気具合には負けるよ、とつぶやいた。