この国の長・帝。その帝には皇后含め数人もの妃がいる。その者との間に東宮と御子、そして姫宮がいる。
 そのうちの一人、特別帝の寵愛を受ける姫宮がいた。絹を思わせる純白の髪、曇り知らず藤色の瞳を持つという。精霊の如く美しく、また離宮で暮らしているので見た者も少ない。付いた名は「朧姫(おぼろひめ)」、実名は通っていない。春宵に生まれたこともあるのだろう。

 離宮、月華宮。そこに一人の男が入っていった。
「朧姫様、澄桜(すおう)にございます。」
「入れ。」
 花の如く淑やかで、しかし凛とした声で呼ぶ。
「澄桜、お前もその名で呼ぶのか。」
「嫌でしょうか?」
「嫌に決まっておろう。妾にも名はある。」
「そうですね、(さく)様。」
 彼女の名は朔、三葉(みつば)の姓を受けている。帝の寵愛を受ける「朧姫」とは彼女のことである。入ってきた男は雪平(ゆきひら)澄桜。名家・雪平氏の次男で、帝直属の兵士をしている。
 布団から上体を起こす姫の隣に座る。
「明日の朝にも出立します故、ご挨拶に。」
「態々(わざわざ)妾に挨拶なんて要らないだろう。勝手に行って、勝手に帰ってこい。」
「そう言わずに。私がそれだけのために変装までしてここに来ると?」
「しかねないから言っている。私、などらしくない……」
「自分なりのけじめですから。……すみません、次がありますので。」
「勝手にしろ。」
「はい。それでは、姫もお体にお気を付けて。」
 そう言って澄桜は去っていった。そっと布団に寝ると、枕に顔を埋めた。

 澄桜と朔の馴れ初めは分からない。分からないほどの昔の馴染みなのだ。生まれた時から身体が弱い朔と、家を継げない澄桜はお互いが唯一の友人であった。
『朔様!』
『澄桜……?今、誰もいないからいいよ。』
『本当?じゃあ、朔!見てよこれ!庭から摘んできたんだ!あげる!』
『綺麗なお花ね。ありがとう、澄桜。』
 歳を大きくする度に交流は減っていったが、文通で補っていた。それすら、澄桜が出兵に出るようになると減った。

「うふふ!姫様は本当に澄桜様をお慕いなさってますね。」
 そう言ってくるのは数少ない屋敷の使用人の薫子(かおるこ)だった。
「な、!慕ってなどおらぬ!ただ!ただ……少し……寂しいだけだ……」
「そうですか。澄桜様のご武運を祈りましょうね。」
「あぁ……」
落ちた夕日の紅が差す宵に、雲がかかり時雨が降る。
「この頃冷えてきましたね。朔様、お体は大丈夫ですか?」
「問題ない。」
「良かったです。それではお早めにお休みくださいね。」
「あぁ。」
 薫子自身名家の出身で、もし結婚していたら子供は朔と同じくらいだろう。けれど、彼女は独身だ。五つになって後宮から今の屋敷に移る際、「一生お供いたします。」なんて言われてしまったら、断れない。