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川で身を清めていると、今日も飛龍がやってきた。
こう高い頻度で来られると、女の浴を覗くのが趣味なのだろうかと疑ってしまう。
「帝哀に会ったようだね」
しかし、そんな疑念は一瞬にしてどうでも良くなった。愛する人の話題を出されたからだ。
「帝哀様、私のことを話していたの!?」
思わず川から立ち上がって食い付く。
「〝顔が美しい〟なんて言ってきた君のことを不審に思ったんだって。確かに帝哀の顔は整っているけれど、あの火傷痕のせいで普段は色々悪く言われているみたいだからね」
「帝哀様の悪口を言う人がいるなんて許せないわ」
あの火傷痕は帝哀の勲章だ。紅花はそう思う。
「飛龍様のことが羨ましい。殺したい程に。帝哀様とお茶できるなんて」
「王に向かって殺したいって、無礼すぎるでしょ。誰かに聞かれたらただじゃ済まないよ?……あと、君は本当に男に対する危機感がないんだね。わざわざ釘をさしてやったのに」
飛龍が視線を下行させ、紅花の裸体をじろじろと見てきた。
「一回見られたら何度見られても同じことだわ。それより、帝哀様はその他には何も言っていなかった? 私のこと」
「変わった鬼殺しが道案内をしてくれたと言っていたくらいだよ。あいつ、うちの区域に来たのは一度じゃないくせに、毎回迷ってるんだよね」
「帝哀様ったら地図に弱いのね」
くすくすと笑う紅花に対し、飛龍は何故か不機嫌そうにむすりとした。
「何なの、俺が目の前にいるのに帝哀の話ばっかり。君みたいな女初めてだよ」
「……ああ、そういえば。飛龍様は何をしにここへ?」
ふと疑問に思って問いかける。
わざわざ冷宮の近くの川まで来るのには何か理由があるはずだ。今更ながら気になってきた。
「そんなついでみたいに気にされても嬉しくねーよ。あーあ、やっぱ君生意気だから殺すべきだったかなぁ」
飛龍はさらっと恐ろしいことを言ってきた後、本題に入った。
「犯人捜しの進捗はどうか、聞きに来たんだ。天愛は生花の髪飾りを次の元宵節《げんしょうせつ》で使いたいらしい。それまでに犯人が見つかっていないと困るんだって」
後宮の元宵節とは、提灯に火を灯してこれから一兆年後も冥府が滞りなく回っていくことを祈る祭りだ。これまで後宮にいなかった紅花は体験したことがないが、噂には聞いたことがある。絵画、陶磁器、漆器、刺繍などが現世から取り寄せられて販売され、鬼達が獅子舞や竜舞などの伝統舞踊を演じ、美味しい食べ物も沢山配られるらしい。
元宵節の間はどの区域の王も張り切っており、区域ごとに雰囲気の違う飾りや遊びが用意される。普段は自分の区域でしか過ごさない妃たちも、この期間は他の区域に赴き楽しむと聞く。
そこで、特に重要なのがそれぞれの妃の衣装や髪飾りなどの見た目だ。元宵節の時期は最も後宮内の人の移動が盛んになる時期で、妃が他の区域の者の目に触れる機会も多い。その時の姿がお粗末であれば、「あの王の妃は着飾る余裕もないのだ」と舐められるとのことだ。だから、妃たちはこの行事までにとびきりのお洒落の準備をする。
確かに、その元宵節までに新しく髪飾りを準備したいのであれば、今から花を育てる必要がある。育てている途中でまた犯人が現れて再び髪飾りを盗まれでもしたら確実に間に合わなくなるだろう。
「飛龍様にお願いがあるわ」
紅花は川から上がり、布で体を拭きながら言った。
「今夜、天愛皇后様の宮を訪れてくださらないかしら」
「どうして今日どの妻を抱くかを君に決められなきゃいけない?」
妃の宮に行くということは、そういった情事を行うということ。飛龍には他にも大勢の妻がいる。その中の誰の所へ行くかを他人に指図されるのは良い気がしないだろう。
しかしそうしてもらわなければ、例え幽鬼を天愛皇后の宮に送り込んだとしても失敗する可能性が高い。幽鬼は元は、自分を裁いた王への憎しみから生まれているものだからだ。例え皇后の宮に幽鬼を呼び寄せたとしても、王がいなければ呆気なく宮殿から出ていってしまうかもしれない。実際、皇后たちの宮殿には幽鬼が滅多に寄り付かないと聞く。
紅花は再度頼み込んだ。
「そこを何とか」
「君は俺に指図できる立場じゃないでしょう?」
飛龍は冷たい目をしている。
出過ぎた真似をしていることなど承知の上だ。しかしここは譲れない。じっと見返して意思を曲げないことを伝えれば、飛龍は薄ら笑いを浮かべた。
「……何を企んでる?」
探るような視線を向けられる。
さすがに、皇后の宮殿に幽鬼を送ろうとしているなどとは言えない。愛妻家のこの男に皇后を危険に晒すことを伝えれば、激怒するに違いないからだ。
「言えないわ」
「口を割らせてやろうか? 手段ならいくらでもある」
「地獄で一兆年以上の時を過ごした私が、少しくらいの拷問で口を割るとでも?」
気の遠くなる程の時間を苦しみながら過ごしてきた。ちょっとやそっとでは折れない自信がある。
しかし、飛龍はくすくすとおかしげに笑う。
「分かってないね」
そして、紅花を木に追い詰めて囁いた。
「快楽地獄は味わったことないでしょ?」
「……は」
「俺、本来は罰する方が好きなんだよね。裁くだけじゃなくて。か弱い女の子が怯えながら俺の裁きを待ってる時、俺の手で罰したくてぞくぞくする。でも、王という立場じゃ判決を下すことしかできないからさあ。俺の日々の欲求不満、君が発散させてくれる?」
こいつは本当に邪淫を裁く宋帝王なのだろうか。宋帝王として問題があるのではないか。
心の内で色々考えている間にも飛龍の手がゆっくりと伸びてくる。このままでは本当に実行されてしまいそうな雰囲気だ。紅花は咄嗟に白状してしまった。
「真犯人が天愛皇后様の身近な人物である可能性がある。その真偽を確かめるために侍女たちにも抜き打ちで宮殿内を見たい。幽鬼を呼び寄せるために、貴方が必要なの」
「は?」
「皇后の宮殿は神聖なものとされているでしょう。余程のことが起こらない限りは私が立ち入ることを侍女たちも皇后も嫌がる。それに、正式に外部から宮殿に人を招くとなれば必ず侍女に知らせが行く……抜き打ちで行うには、侍女たちにとっても〝突然の異常事態〟を起こすしかない」
作戦を暴露した後、おそるおそる飛龍を見上げる。愛する妻を危険に晒すなと激怒するだろうか――と悪い予想をしていたが、飛龍は思いの外、面白がっているようだった。
「そういうことかぁ」
「……止めないの?」
「俺が傍にいれば幽鬼が襲ってきても天愛のことは守ってやれるだろうから。そういう意味でも、今夜は天愛のところへ行ってやるよ。ついでに、幽鬼が現れたらすぐ鬼殺しを呼べと指示してあげる」
「随分協力的なのね」
「君がどう真犯人を捕まえるのか見たくなった。俺を楽しませられるように、頑張ってね」
飛龍は不敵な笑みを浮かべて紅花から手を離す。
その目が恐ろしく、ぞぞぞっと寒気が走った。おそらく飛龍にとっては未知の生命体がどう動くかを観察するのと同じような感覚なのだろう。
目的は、宮殿内にまだあるかもしれない花を探し、花の声を聞いて犯人を特定すること。飛龍の協力も得られるようであるし、必ず成功させなければならない。