結局公開処刑は行われず、冤罪だった鬼は解放されて終わった。折角集まったというのに実施されなかったことが不満なのか、人々の「何よあの女」「ただの鬼殺しのくせに生意気な」といった紅花の悪口があちこちから聞こえてくる。
紅花はそんな言葉は全く気にせずに処刑場を出た。
すると、いつの間に移動していたのか、出口付近の通路に飛龍が立っていた。待ち構えていたかのように壁に背を預けてこちらを見ている。
「身分の低い者も、衣装次第で立派に見えるものだね」
早々に厭味を言ってくるので、無視して通り過ぎようとした。が、二の腕を掴まれ引き戻される。
「よくできた花鈿《かでん》だ。魑魅斬に描いてもらったの?」
花鈿というのは、今紅花の眉間に描かれている花模様のことだ。冥府では化粧をする際によく描かれる。
「そうだけど」
「ふうん。いいじゃん、可愛い。その姿の君なら抱いてやってもいいよ」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「何その嫌そうな顔。可愛げねえなあ」
飛龍はくっくっと低く笑う。
何だかぞわぞわと鳥肌が立ってきた紅花は、飛龍の手を振り払ってそそくさと立ち去ろうとした。そんな紅花に向かって、後ろからからかうような声が聞こえる。
「もう少し身分が高ければ側室にしてやれたのに、残念だ」
紅花はぴたりと立ち止まり、振り返る。
「天愛皇后は元奴隷だと聞いたけど?」
少しの仕返しのつもりだった。身分だの何だのと散々下に見てくるそちらは、元奴隷の女性を愛して正妻にしただろう、と矛盾を突いてみせたのだ。
飛龍が少し驚いたような顔をする。
「……それも花に聞いたの?」
「ええ。花は噂好きだからね。でも意外だったわ。遊び人の割に本気で后を愛しているのね」
冥府には、およそ数千年前まで奴隷制度があったらしい。その制度を廃止させたのが今ここにいる飛龍だ。きっかけは、奴隷だった天愛皇后を愛してしまったこと。王が奴隷を後宮に迎えることはできない。だから、制度自体を廃止させてしまったのだろう。
冥府についての決議には十王過半数の賛成が必要だ。飛龍は他の王たちを説得し制度の変更に至った。それほど天愛皇后のことが好きだったものと思われる。
「失礼な。俺がそんな薄情な男に見える? 俺は妻に選んだ人間は側室も含めてとびきり愛すし、愛しすぎて体調を崩される程だよ」
飛龍は薄く笑いながら肯定した。
それもどうなのかと思ったが、早く冷宮に戻らねばならなかったことを思い出し、今度こそ立ち去った。
長話は嫌いだ。
■
「それで、休暇はいつから取らせてもらえるのかしら?」
「取らせるわけねーだろぉぉーーー!」
冷宮に、魑魅斬の大きな声が響き渡った。
上階で寝ている玉風を起こしてしまうのではないかと心配になる。
「どうして? 公開処刑をすれば暇をくれると言ったじゃない」
「公開処刑を遂行すればっつったろ。嬢ちゃん、できてねぇじゃん」
「仕方ないでしょう、相手は犯人じゃなかったんだから」
「あのなぁ~~~皇后が主催した行事だぞ? そんなことで中止していいと思ってんのか。しかも、俺は今回嬢ちゃんのことを鬼殺しの代表として処刑場に送ったんだからな? 既に関係各所から鬼殺しに対する文句の書が山程来てんだわ!」
どさりと目の前に置かれたのは、文らしきものだった。紅花は字が読めないので内容は分からないが、字の勢いから怒りのような感情は感じ取れる。
しかし、それでも紅花は自分の行いが間違っていたとは思えなかった。
「皇后様が主催されたのは公開処刑であって、罪のない鬼を殺す行事ではないでしょう」
「いやまぁ、そうだけどよぉ……普通、犯人じゃないって分かってても殺すんだよ、あーいう時は。中止した方が面倒なことになるだろ。皇后の気分次第で鬼と嬢ちゃん両方殺されててもおかしくなかったぞ」
「おかしいことをおかしいと言えない人間にはなりたくないの」
紅花の言葉に魑魅斬はぐっと口籠った後、俯いて吐き捨てるように言った。
「割り切るんだよ、そこは」
彼もこれまで鬼殺しとして生きてきて、正しくないことを強要されたことが数多くあったのだろう。そんなことを察せられる表情だった。
魑魅斬は、気を取り直すように顔を上げて話を変えた。
「というわけでだ。嬢ちゃんには真犯人を見つけてもらわないと困る。鬼殺しの名誉のためにも」
「分かったわよ。……迷惑かけてごめんなさい」
間違ったことはしていない。でも、魑魅斬や他の鬼殺しへの後宮での印象を悪化させてしまったのは事実だ。そう思って謝罪すると、魑魅斬は感動したような顔をした。
「嬢ちゃん、謝れたのか…………」
「私を何だと思ってんのよ。どいつもこいつも」
紅花は不機嫌になりながら、重たい髪飾りを外すのだった。
■
最初は簡単だろうと思っていた。天愛皇后の宮殿付近の花々から情報をもらえるだろうと甘く見ていた。しかし、花に聞いても目撃情報は一向に出てこない。盗みを働いていそうな者はいなかったと言うのだ。
「本当に見てないの?」
『ダカラ 言って るジャン 怪しいヒト 誰も いなかったッテ』
「じゃあ、鬼は? 人じゃなくて怪しい鬼はいなかった?」
『アナタが冤罪と言ったオニ 草を持って出てきた』
後に聞けば、処刑されそうになっていたあの鬼は、たまたま宮殿内の清掃を任された清掃の鬼らしい。宮殿の玄関にある観葉植物の付近に生えていた雑草を抜いて外へ出ていたのを目撃され、その時持っていたのが花だったのではないかと疑われたとのことだ。後宮という場所は、疑わしきを積極的に罰するので納得できる。
(今日も手がかりなしか……)
日に日に焦ってくる。このままでは閻魔王に会えるどころか、会う前に打ち首なのではないか。
(次の作戦を考えよう)
焦る気持ちを落ち着かせるため、天愛皇后の宮を離れ、御花園へ向かう。あまり表には出していないが、紅花は花を眺めることが好きだ。話し相手としてだけでなく、その美しさを観察し癒やしを得ることができる。
(癒やしではあるけど、御花園って何故かよく幽鬼や狂鬼が来るのよね。鬼たちも花が好きなのかしら? 今日は来ないといいけど)
色とりどりの花々が咲き誇る御花園。休憩がてら彼女たちを座って眺めていると、しばらくしてざあっと風が吹いた。
花々が大きく揺れる。誰かが来たことを知らされ、眠りそうになっていた紅花は振り返った。
圧倒的な存在感を放つ、一人の王が立っている。
紅緋色の短髪と、深緋色に輝く瞳。ぞっとする程整ったその顔には、罪を与える罰として負ったであろう深い火傷の痕がある。
――第百五十代閻魔王、帝哀。
誰よりも恋焦がれていた男がそこにいた。