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 元宵節の宴が中止され、人々が店仕舞いをしている横を歩く。提灯も降ろされ、後宮はいつもの光景に戻ろうとしている。非日常感が徐々に薄れていくのを感じながら歩いていると、色とりどりの牡丹の花が咲き誇っている御花園に辿り着いた。

『よかったネ』
『くすくす』

 花たちが楽しげに笑っている。

「……ありがとう。手を貸してくれて」

 花たちには独自の連絡網があり、それぞれに繋がっているらしい。花同士では、風に乗って声を届けるという。
 彼女たちが手を貸してくれなければ、あれだけの数の幽鬼や狂鬼を集めることは難しかっただろう。

『アナタ見ていて 飽きない』
『後宮でのツマラナイ生活 あなたがいると 彩られるノ』
『また 楽しませてネ』

 花はお喋りと面白いことが大好きだ。どうやら紅花は、気に入られているらしい。

「努力するわ」

 苦笑いして答える。その時、風が吹いた。何となく良い予感がして振り向く。
 予想通り帝哀が立っている。
 十王会議が終わったら真っ先に来てくれるのではないかと期待していたので、本当にそうなって少し嬉しい。

「……お帰りなさい。帝哀」
「ただいま」

 帝哀は紅花の頬に触れた。

「怪我は治ったのか」
「はい。冥府の薬を呑んだらすぐ治りました。掠り傷でしたし」

 帝哀を守るために紅花が負った傷を心配してくれているらしい。頬に付いた傷は掠った程度であるし、強いて言うなら少し腕の骨が折れたくらいで、他は大したことはないのだが。

「それより、会議はどうなったのですか?」
「――どちらの議題も、十王の全会一致で可決された。飛龍は本当に口がうまいな。王より詐欺師の方が向いているくらいだ」
「ええ……本当に全会一致だったんですか」

 ということは、長子は死刑。帝哀の今後の罰は、廃止されるということだ。

「良かったですね」

 心から思う。人に罰を与えた責任として罰を受け、それでぼろぼろになっている帝哀の姿はもう見たくない。

「……いいのか?」
「いいとは?」
「お前は、罰を受けている俺の姿を見て俺に惚れたんだろ。それがなくなったら、俺のことが嫌いになってしまうのではないか?」
「ええ!? そんなわけないじゃないですか! 確かにきっかけはそれでしたけど、私は帝哀の全部が好きです! 一部がなくなったくらいで嫌いになりません」

 そう否定した時、ふと不安になることを思い出した。

「……帝哀こそ、私のことを嫌いになったのではありませんか?」
「は? 何故?」
「私は嘘をつきました」
「いつの話だ?」
「長子皇后様の計画の手助けをする上で、嘘は不可欠だったのです……」

 皆に長子皇后を疑わせるために、堂々と嘘を吐いた。紅花はたまたま外にいたのではなく、幽鬼たちを連れてきた張本人であるというのに。

「嘘もたまには必要だろう」

 しかし、帝哀は予想外の返しをしてきた。

「俺は人間の、嘘を吐くところが嫌いだった。しかし、人の願いを叶えるために吐く嘘もあるのだな」

 ゆっくりと帝哀の顔が近付いてきて、紅花の唇に、帝哀の唇が重なる。

「紅花。お前が愛しい」

 触れるばかりで離れていった唇は、ほんの少しだけ離れた距離で囁く。

「………………嘘……」
「俺は嘘を吐かない」
「私が、愛しいと、そうおっしゃいましたか? 聞き間違いじゃないですよね?」
「聞き間違いじゃない。お前が好きだと言った。お前に俺の正妻になってほしい」
「せ、せいさい!?」
「最初は周りを納得させるのが大変だろうが、いずれは皇后の称号も、お前に与えたい」

 もう、口をぱくぱくさせることしかできない。
 確かに宋帝王である飛龍が奴隷を皇后にした前例はある。しかし、一介の鬼殺しである自分があの閻魔王に求婚されている実感が湧かない。

「どうした? ずっと狙っていたんだろう」
「はい……。一兆六千億年以上、貴方のことが好きでした。狙ってました。奪いたくて奪いたくて仕方ありませんでした」
「なら、もっと素直に喜べ。その俺がお前を選んだんだ」

 嬉しい。嬉しい。嬉しい。気が狂いそうなくらい嬉しい。
 地獄を卒業した後、無理を言って冥府に残してもらったのは、今目の前にいる帝哀に会うためだったのだから。

 風が吹いた。後ろに咲き誇る赤い牡丹と、帝哀が重なる。
 その時確信した。帝哀には牡丹の花が似合うと。

「帝哀、我が儘を言ってもいいですか」

 帝哀を見上げて申し出た。

「私も、帝哀の宮殿の横に、御花園を造りたいです」

 あの養心殿の隣に牡丹があれば、それはとてもあの宮殿を美しく見せると思うのだ。
 こう見えて、短期間だが庭師をしていた身である。計画から庭造りまで携われる自信はある。
 帝哀は意外そうに聞いてくる。

「我が儘と言うから何かと思えば。そんなことでいいのか?」
「はい」
「何故御花園なんだ?」
「長子様だけ帝哀と一緒に庭を造った経験がおありなのは、狡くないですか?」

 少し唇を尖らせながらそう言えば、帝哀は数秒きょとんとした後、高らかに笑った。これまで見てきた中で一番大きな笑顔だった。

「何だ、嫉妬か」
「当たり前です。幼い頃家族ぐるみで仲が良かったというのも嫉妬材料です。どうして長子様は帝哀様の幼い頃を知っていて、私は知らないのですか。怒り狂って長子様のことを殺してしまいそうでした」
「お前は可愛いな」
「恋敵を殺してしまいそうなんて言う女のことを可愛いと言うのは、貴方くらいですよ」
「そうだな。俺は存外お前に骨抜きにされているらしい」

 帝哀が紅花の手を取る。

「これからもずっと、俺のために狂っていてくれ。何兆年でも」