日が暮れてきた。最後の主要行事である、各区域の妃たちの舞いの時刻が近付いている。元宵節で唯一、十王が一箇所に集まる機会。長子皇后の計画を遂行するなら数年に一度のこの時期しかない。

(食べすぎた…………)

 そんな重要な事柄を任されておきながら、夕刻まで普通に元宵節を楽しんでしまった。心なしか食べすぎてお腹が痛くなってきた。ただの緊張かもしれないが。

「大丈夫か? 薬を持ってくるから休んでいろ」

 顔色に出ていたのか帝哀にまで気を使われてしまい情けない。
 帝哀が近くを歩いていた薬草売りに話しかける。薬草売りはまさか閻魔王に直接声をかけられるとは思っていなかったのかあたふたしていた。

「食い意地張ってるからだよ」
「……うるさいわね」

 隣の飛龍ににやにやとからかわれたため、軽く睨みつける。
 そこでふと、彼なら大きな力になるのではないかと気付いた。

「飛龍様、お願いがあるのだけど」
「君が俺にお願い? 珍しいね」
「これから十王会議が行われるかもしれない。その議題がどんな内容でも賛成してほしい。そして、他の王たちも賛成するような流れを作ってほしい」
「……何を企んでるんだか。そーいうのは大好きな帝哀に頼めばいいんじゃない? 今日ずっといちゃいちゃしてたじゃん」

 飛龍はやる気なさげだ。それどころか、何故かいつもよりむすっとしているようにも見える。
 しかし紅花は食い下がった。

「今回ばかりは貴方にしか頼めない」
「……ふうん?」
「帝哀は、周囲の人を寄せ付けないでしょう。普段から他人に対して冷たい態度を取っているようだから、他の王たちがそんな帝哀の言うことを聞くと思えないの」

 帝哀は基本的に誰も信じていない。それは他の王に対しても同じことだ。十王のうち、定期的に交流しているのは飛龍だけだと言っていた。王達が十王会議で帝哀の出した意見に流されるとは思えない。
 対して、そんな帝哀と唯一打ち解けている程の社交性を持つ飛龍であれば、他の王たちともそれなりに仲が良いに違いない。加えて人に圧力をかけたり丸め込んだりすることもうまそうだし、これ以上ない適任だ。

「事情も説明せずにこんなことを頼むのは無理があると分かっているわ。でも……」
「君が毎夜俺の相手をしてくれるって言うなら、考えてやらないこともないよ」

 飛龍の整った顔がずいっと紅花に近付いてくる。薄く笑う彼の表情は妖艶で、思わずごくりと唾を飲んだ。

「な……何よそれ」
「分かんない? 交渉するならこっちにも餌を寄越せよ。無償で王を動かせると思うな」
「……それもそうね。でも〝俺の相手〟っていうのは…………闘茶のお相手って意味じゃないのでしょう?」
「俺の妾になれって言ってんの」

 僅かな希望をかけて確認してみたが、やはり違ったようだ。

「知らなかったわ。そんなに私のことを気に入ってたのね。私の浴を何度も覗いているうちに、私の女体に惹かれてしまったということ?」
「人聞き悪いこと言うなよ。単純に君のことを手に入れたくなった。……というより、柄にもなく焦ってるって言う方が正しいかな。このままじゃ君は本当に、帝哀の物になっちゃいそうだから」

 飛龍が、先程までより真剣な表情で言う。
 紅花に対しても所有欲を抱いているということらしい。
 どうしたものかと思った。この男には行動力も交渉力も、狙った獲物を逃さない狡猾さもある。かつて奴隷の女に特例的に皇后の称号を与えたくらいなのだから。
 ここで普通に断ったところで受け入れてもらえない気がした。であれば、痛いところを突くしかない。


「――――なら、私のことを貴方の区域の皇后にしてくれる?」


 目を見開いた飛龍の瞳が僅かに揺れた。
 答えは分かっている。こんな意地悪な質問をしたのは、わざとだ。

「私、欲張りだから、妾じゃ嫌なの」
「…………」
「できないでしょう。貴方には絶対に。貴方の〝一番〟は今も昔も天愛皇后様ただ一人なんだから」

 正妻の座も、高貴妃の座も貴妃の座も絶対に揺らがない。今いる妻たちを何より大切にしている飛龍が、その妻たちに悲しい思いをさせることなど絶対にない。
 言い返すことのできなくなったらしい飛龍を、ふっと鼻で笑ってやる。

「あれもこれも欲しいなんて傲慢ね。悪いけど私は、妾なんて立場に甘んじるような安い女じゃない」

 だから最初から、紅花が奪おうとしているのは帝哀の皇后の称号なのだ。妥協をするつもりはない。
 不意に、飛龍が大きな声を上げて笑った。

「ふっ、は、ははははははは! そう来たか! いいねえ、確かに、そう言われたら俺は君をこれ以上求めることはできない。考えたね」
「貴方の天愛皇后様溺愛っぷりはよく知っているからね」
「っは、やっぱ君はいい女だよ。ますます欲しくなっちゃった」
「欲しくなられても困るのだけど……」

 一通り笑った後、薬を持った帝哀がこちらに戻ってくる折に、飛龍が言った。

「俺の妻たちを害するような事柄でなければ賛成してあげるよ」
「え?」
「十王会議、やるんだろ。過半数どころか全会一致させてあげる」
「……随分あっさり手伝ってくれるのね。ありがとう」

 後で代償を要求されないが少し怖いが、礼を返す。

「惚れた女には優しくする主義なんでね」

 くっくっと低く笑いながら冗談か本気か分からないようなことを口にする飛龍を横目に、帝哀が持ってきてくれた薬草を潰して呑んだ。


 ■

 徐々に舞いが行われる広場に人々が集まっていく。人々の流れに逆らって、反対方向に走っていくのは紅花ただ一人のみだ。
 やることは、花たちと打ち合わせをすることと、昨夜位置を確認した幽鬼たちに会いに行って舞いが行われている広場まで誘導すること。広範囲の移動をしなければならないので、鬼の協力が必要だ。この時のため、あらかじめ脅して言うことを聞かせた運び鬼がいる。
 しかし――約束の場所に向かっても、その運び鬼はいなかった。

「あの野郎……逃げやがったわね…………」

 やはり恐怖で他者を従わせるのには限界があるということだろう。いくら脅されたからといって、十王への反逆に誘われたら逃げるのも無理はない。心が読める紅花にちょっとした悪事をばらされるのと、反逆罪に問われるのとでは、後者の方がかなり危険性が高い。少し考えれば分かることだ。
 早速行き詰まってしまった。紅花の足だけで十区域を移動するのは不可能である。

(どうしよう……帝哀にお願いする……? いやでも、既に特別席に向かわれたようだし、話しかけるのは難しいわ。新しい鬼をこれから捕まえるにしても全員広場の方に行っちゃってるし、人目につく場所で交渉するのは避けたい)

 だらだらと汗が流れる。その時、後ろから聞いたことのある誰かの声がした。

「困ってんのか? 俺を使え!」

 ――あの時助けた掃除鬼だ。

「な……何でこんなところに。皆広場に向かったはずでしょう?」
「逆流していくお前が見えたからよ! また天愛皇后様にこき使われてんじゃねえかって……ったく、元宵節の日まで働かせるなんて天愛皇后様も意地悪だぜ」
「……今回は別件よ。でも、助かったわ」

 普段から運びをしている鬼と比べれば速力は落ちるだろうが、掃除鬼も立派な鬼だ。人より何十倍も体力があり、素早く動ける。

(反逆の準備だってことは言わないでおこう……)

「幽鬼を集めたいの。まずは、この区域の北端に向かってくれる? 御花園のすぐ隣なんだけど……」

 時間もないので前置きは抜きにして用件だけ伝えていると、また別の声がした。

「おーい、そこでこそこそ何してんだ?」

 ぎくりとして動きを止める。振り返ると、そこにいたのは魑魅斬だ。
 こっそり実行に移したかったのに、どうしてこうも邪魔が入るのか。

「……ナ、ナニモシテナイワヨ」
「嬢ちゃんが何か隠してんのはお見通しだ。どうせ、何かに巻き込まれてんだろ? 元宵節っていう喜ばしい宴の真っ最中に、後輩だけ働かせるなんてあっちゃならねえことだからな。手伝ってやる」

 得意げに先輩面してくる魑魅斬。何だかんだで世話焼きな彼は、紅花の様子が気になって後をつけてきていたらしい。
 魑魅斬の耳に口を近付け、こそこそと長子皇后との間で交わした約束について伝える。彼は案の定「はぁぁああ~~~!?」と大きな声を出してひっくり返りそうなくらい仰け反った。

「嬢ちゃん、それ、何しようとしてるか分かってんのか?」
「分かった上でやってるわ。これがうまくいけば長子皇后様は皇后の称号を剥奪される。こんな機会を逃すわけにはいかない」
「嬢ちゃんが帝哀様のことが大好きなのは知ってたけどよ……まさかそれ程とは……」

 魑魅斬は心底呆れたような声を出す。

「嬢ちゃんの力になってやりてぇところだが、さすがに反逆の手伝いをするのは無理だ。俺は帰らせてもらう」
「その方がいいわ。貴方をこんなことに巻き込んだら玉風姉様が怒りそうだし」
「……念の為確認だが、実際に王に攻撃するつもりはないんだよな?」
「ええ、あくまでも幽鬼が大量に現場にやってきたという事実だけが欲しい」

 そう言うと、魑魅斬は少し考えるような素振りをした後、観念したように言った。

「なら、俺は広場で幽鬼や狂鬼を迎え撃つ。王には掠り傷一つ付けねえようにするよ。鬼殺しとしてな」

 どうやら、王を守るという点では手伝ってくれるらしい。
 ぽりぽりと頭を掻きながら立ち去っていく魑魅斬の背中に向かって言う。

「私もすぐに行く。それまでよろしく頼むわよ」

 鬼殺しとしてずっと共に活動してきた、兄貴分の背中。そこに紅花は絶大な信頼を置いている。そんな彼が協力してくれる状況になったことで、少しだけ落ち着くことができた。

「おいおい、俺抜きで何の話してたんだァ?」

 掃除鬼が不思議そうに近付いてきたので、改めて地図を開きながら、連れて行ってほしい場所を伝えた。