「あらあらあらぁ、奴隷の下に付いている、可哀想な方々じゃない」

 長子皇后の侍女たちは、口元を隠しながら一斉に笑い合う。それは明らかに嘲笑だった。

「天愛皇后様はもう奴隷ではないわ。生まれがどうであれ、あの方の素晴らしさが分からないなんて、人を見る目がないこと」
「……こちらが節穴だと言いたいの?」

 長子皇后の侍女の一人が、天愛皇后の侍女の言葉にぴくりと眉を寄せた。その顔からは一瞬にして笑みが剥がれ落ちる。

「私達は、閻魔王様の皇后様であらせられる、長子様直属の侍女よ? 奴隷の下にいる分際で、私達にそんな口を叩いていいと思ってるのかしら」
「私達だって、宋帝王様の皇后様の侍女よ!」
「はぁ? 奴隷を皇后の座に置いているような品格のない区域の王など取るに足りない。その区域で働いている貴女たちもその程度の存在ということよ」
「自尊感情があるのはいいことね! けれど、自分のところの皇后様が好きだからって、こちらの区域を馬鹿にするような物言いは浅慮なのではなくって? 育ちのいい長子皇后様と違って、貴女たちはろくな教育も受けていないようね?」
「あら~~~? そちらは私達のことを何も知らないようねぇ? 長子皇后様は血筋からして完璧だから、その辺の雑草を傍に置くことなんてしないわ。かくいう私は後宮で一番才のある侍女とされていて――」

 言い争いは苛烈なものになっていく。双方一歩も譲らず、その顔はどちらもまるで鬼のように恐ろしい。
 きっと以前であれば、天愛皇后の侍女がこのように反論することもなかったはずだ。彼女たちが心から天愛皇后を誇りに思うようになったからできている。
 以前馬鹿にされた時は、心のどこかでその通りだと思っていたから、言い返せなかったのだ。良い変化のように思われた。

「それだけお偉い長子皇后様は、お体を愛でることはできるのかしら?」
「……は? 体?」
「天愛様は夜の技も格別よ。さすがはあのほぼ男にしか興味のない宋帝王様を物にしただけあるわ」
「な、な、何であんた達がそんなこと知ってんのよ。まるで経験したことあるみたいな……」
「天愛様はお優しいの。とっても……。だから、私達のような下の者のことも可愛がってくださるのよ……」
「は、はぁぁ? 急に何の話よ、何の!」

 ぽうっと頬を染めながら語る天愛皇后の侍女たちの艶めかしい声を聞いて、長子皇后の侍女たちの顔が耳まで真っ赤に染まる。いや本当に何の話をしているのだろう。

「王のお通いがない長子皇后様には、そのような技術もないのでは?」

 それは最大限の侮辱だった。夫である閻魔王が一度も長子皇后の宮殿を訪れていないのは事実である。逆に言えば、それだけが長子皇后の弱点と言えるだろう。痛いところを突かれた長子皇后の侍女たちは沸騰するのではないかと心配になる程顔を赤くして怒り狂い始めた。

「あんた達、なんてこと言うの!? 今は確かにお通いがないかもしれないけれど、それは閻魔王様がお忙しいからで……ッ」
「宋帝王様も閻魔王様と同程度に裁判があるけれど、合間を縫って長子皇后様の元に通っているわ!」
「だから何よ! 長子皇后様は、夜の技術なんて淫らな取り柄しかないような下品な人とは違うわ!」

 そこではっとした。いつの間にか、紅花の隣から飛龍がいなくなっている。
 視線を横に移動させると、長子皇后の侍女の真後ろに彼がいた。


「――虎の威を借る狐って、君たちみたいなのを言うんだね」


 振り返った侍女たちは、宋帝王である飛龍の姿を見て頭から水を浴びたようにぞっとした顔をして硬直する。

「…………」
「何黙ってるんだよ。ああ、頭悪いから分かんない? 権勢を持つ者に頼って威張る小者って意味なんだけど」
「……あっ……あ、ああ、う」

 恐ろしすぎて言葉にならないのか、口をぱくぱくさせながら後退る様子が見えた。

「天愛を侮辱するっていうのは、すなわち俺を侮辱するってことだけど――それが何を意味するか、分からない程愚かじゃないよね? 〝長子皇后様の侍女〟ともあろう女が」
「……っ……ぅ」
「他区域の王や皇后になら何を言ってもいいと思ったかな? 俺らからすれば、道端に生えている雑草よりも価値のない君たちが」

 飛龍に冷たい目で見下ろされた侍女たちの足ががくがくと震えている。
 ――あれは、この後どうなるか分からないな。紅花のように鬼殺しにされてしまうかもしれない。最終的には長子皇后が間に入って守ってくれるだろうが、それ程思い入れのない侍女ならあっさり飛龍に渡す可能性もある。

 怖い怖い……と想像しながら、天愛皇后に見入っているうちに冷めてしまった小籠包を咥える。すると、隣の帝哀が話しかけてきた。

「昨夜は何をしていた?」

 自分の区域の皇后の侍女が危険な目に遭っているのに、そちらには見向きもしていない。全く興味なさげだ。

「後宮内のあちこちを動き回っていただろう」

 帝哀には紅花の位置が分かる。昨夜紅花が妙な動きをしていたことくらいお見通しのようだ。

 ――聞かないでほしかった。帝哀に聞かれてしまえば、嘘がつけない。

 躊躇ったが、そこでふと思い出す。帝哀は――長子皇后が助けを求めたら助けてやってくれと頼んできたことがある。もしかしたら、長子皇后の望みを帝哀は全て知っているのかもしれない。

「……帝哀は、どうして長子皇后様がご自分を嫌いだと思ったのですか?」
「…………」

 帝哀が黙り込む。そして一拍置いてこう言った。

「俺が、あいつの愛していた男を死に追いやったからだ」
「……ご存じだったのですね」
「お前こそ、何故知っている? あの長子が話したのか」
「長子皇后様に、自分を死罪に追い込むよう持ちかけられました」
「……そうだろうな。あいつはずっと、今でも俺の父上が好きなんだろう」
「止めないのですか」
「それがあいつの幸せならば。こう見えて幼い頃は家族ぐるみで仲良くしていたんだ。あいつの大切な者を奪った人間として、あいつの望みは叶えてやりたい」

 自身の正妻が死ぬかもしれないというのに、帝哀の態度は冷静だった。

「……長子皇后様とは、今日、十王の元に幽鬼と狂鬼を送る約束をしています」
「っはは、あいつらしい。滅茶苦茶なやり方だ」
「……怒らないのですか? 帝哀を危険に晒すような計画なのに」
「守ってくれるんだろ?」

 試すような笑みを浮かべながら覗き込まれた。
 その顔の近さにどきどきと心臓が高鳴る。

「……は、い。勿論です」
「なら、お前を信じる」

 人間など信じていないと言った帝哀が、紅花を信じてくれている。ただそれだけで、一億倍頑張れる気がした。