冷宮の窓から、静かな空に一発の大きな花火が打ち上がるのが見えた。それを合図として一斉に音楽が奏でられる。街路には美しいランタンが飾られ、明かりが後宮全体を照らし出す。提灯にも様々な形や色があり、花や動物、神話生物など、さまざまな模様が描かれている。現世の職人から特別に取り寄せたものだろう。
 料理人である玉風も今日は休日らしく、華やかな衣装を着ていた。

「いいじゃねえか、可愛いよ」

 魑魅斬が褒めると、玉風は顔を真っ赤にして無言で走り去ってしまった。

「……俺、何かまずいこと言ったか? 褒めたつもりだったんだが。女の子って分かんねぇなぁ」
「……貴方、意外と鈍いのね」

 今のは明らかに好きな人に急に見た目を褒められて照れた時の顔だったのに、魑魅斬は全く気付いていなそうだ。この様子では、二人の進展はしばらく見込めないかもしれない。

「紅花嬢ちゃんもお洒落すればいいのに、何だって男装なんだ?」
「見回りするなら、こういう格好の方が動きやすいでしょう?」

 十王のうちの二人と祭りを回るなんて言っても信じてもらえなそうなので、適当に誤魔化した。魑魅斬は「ふーん?」と不思議そうに首を傾げている。
 帝哀と一緒に祭りに行けるのは楽しみだが、それ以上に緊張する予定もある。――長子皇后との作戦の件。正直、一人でなし得るだろうかと不安だ。
 昨日はあれから十区域全てを駆け回り、花々から理性のありそうな幽鬼や狂鬼の目撃情報を募った。そこから鬼たちと接触し交渉を図ったが、言葉で場所や時間を伝えて理解できる者は少なく、途中で意識が途切れたように襲ってくる鬼もいた。おかげで体は傷だらけだ。寝不足でもある。
 紅花はちらりと魑魅斬を見上げた。自分よりも鬼殺しとして歴が長く、幽鬼や狂鬼の扱いに長けた魑魅斬に手伝ってもらえば、成功率は上がるかもしれない。だが――今回ばかりは、魑魅斬を巻き込むわけにはいかない。下手をすれば共に反逆罪となるかもしれないのだから。

「じゃあ、行ってくるわね」

 いつもの桃氏剣を持って冷宮を出た。
 舞いの時間は今日の夜だ。それまではまだ、ゆっくりしていられる。



 広場では龍や獅子の被り物を被った鬼たちが舞いを披露している。
 元宵節の名物である湯圓《タンユエン》と呼ばれる甘い団子を食べている人々も多い。湯圓は円満や団結を象徴し、冥府を運営する十王たちの繁栄と幸福を祈る意味が込められているらしい。

「あ、やっと来たぁ」

 待ち合わせた御花園に小走りで向かうと、既に飛龍と帝哀が揃っていた。二人とも高身長なので、並ぶとまるで二つの塔のようだ。

「変装がうまいな」

 帝哀が感心したようにじろじろ見てきた。
 髪を結って被り物をし男の衣服を着ている紅花は、遠くから見ればただの痩せ細った少年だろう。魑魅斬に借りた服なので少しぶかぶかだが、これなら変に王との関係性を怪しまれることもない。
 心が踊る。祭りなどに参加したのは初めてであるし、その上、隣に好きな人がいる。これ程幸せなことがあっていいのだろうか。

『くすくすクス』
『あなた今日 本当ニやるの?』

 御花園の花たちが紅花に語りかけてきた。折角機嫌良くしているのに、嫌なことを思い出させないでほしい。

『数少ないニンゲンの話し相手 失うのは哀しいワ』

 彼女たちは紅花が捕まると思っているのだろう。

『可哀想だから手助けしてアゲル』
『ウフフ、ワタシ達、優しい』
「……貴女たちにどう手伝えるというのよ」
『――理性を失っている鬼たちは花の蜜の匂いニ反応する』

 どうせからかっているだけだろうと思い、帝哀たちと立ち去ろうとしていた紅花は、その言葉にぴたりと動きを止めて振り返った。

「蜜の匂い?」
『あなたも薄々勘付いていたんジャナイ? 幽鬼や狂鬼は、花のある場所やその近くによく現れるッテ。花の蜜の香りハ、理性のない鬼を惹きつけるのヨ』
「…………」

 確かに、花たちはいつも、聞けば妙に幽鬼の居場所に詳しかった。それは、必ず幽鬼が花々の元に来るからだったのかもしれない。

『花々の連絡網を駆使すれば、貴女の手助けがデキる』

 衝撃を受ける紅花の隣で、飛龍がつまらなそうに言う。

「ちょっとぉ、またお花とお話してんの? 早く行こーよ。俺には聞こえねぇからつまんなーい」

 急かさないでほしいところだが、帝哀も待っているので慌てて花から帝哀たちの方に意識を向ける。

「後で、力を借りさせて」

 そんな言葉を花たちに残して。


 ■

 道の両脇には、焼き小籠包、貴妃鶏翅、揚州炒飯、東坡肉など、数々の食べ物の店が立ち並んでいる。普段は仕事ばかりであろう鬼たちもわいわいと群がって店を回っており、どこもいつも以上に活気づいていた。
 紅花たちもそのうちの一つの店により、椅子に座って並ぶ。小籠包に噛みつくと、熱い汁が溢れ出てきて衣服に垂れる。紅花のその様子を見ていた帝哀が笑った。

「食べるのが下手だな」
「すみません……」
「ゆっくりでいい。待っているから」

 好きな人にそんなにじっと見られていたら緊張して味がしない。何とか食事に集中しようとする紅花の横から、飛龍が小籠包を一つ摘み食いした。

「ちょっと、それ、私のなのだけど」
「一個くらいいじゃん。食い意地張ってるなあ。この後も食べ物の店はいっぱいあるんだから、全部食べてたら太っちゃうよ? 帝哀、太ってる子は嫌いかも」
「な……!」

 それもそうかもしれない。富の象徴としてふくよかな女性を好む王も多いようだが、少なくとも閻魔王の区域に太った妃はいない。
 卑しいと思われたかもしれないと不安になって帝哀の方を見ると、帝哀は存外優しい声で言った。

「お前がいくら食べたところで、お前のことを嫌いになったりはしない」

「…………」
「…………」

 その甘い言葉に驚いたのは紅花だけでなく飛龍も同じなようで、二人して無言になってしまった。

「それより、お前は本当に、飛龍に対してはくだけているな」
「飛龍様に対しては敬意を持っていないので……」
「おい」

 さらっと失礼なことを言ってしまい、横から飛龍に軽く叩かれた。

「俺に対しても敬意を持たなくていい。もっと気楽に構えろ」
「そ、それは無理です! だって私、帝哀様のことはこの世で一番尊い存在だと思ってるのですよ!?」
「無理? その〝この世で一番尊い〟俺が命じているのにか?」
「う、うう……」
「まずは俺のことを帝哀と呼び捨てにしてみろ」
「………ティ……帝哀…………」

 ぼそっと物凄く小さい声で呼ぶと、帝哀は満足げに笑う。

「それでいい」

 十王の一人、閻魔王を呼び捨てにするなど普通なら考えられないことだ。嬉しいような、罪悪感がするような。

「ちょっとお、俺の前でいちゃいちゃすんのやめてくんなーい?」

 飛龍が文句を言いながら寄りかかってくる。ずしりと重みが伸しかかって倒れそうになった。

「近くないか? 離れろ」
「なぁ~んで帝哀の言うこと聞かなきゃなんねーの?」

 小籠包が食べづらいので飛龍を睨み付けたその時、向こうから歓声が上がった。

「ねえ、あれって宋帝王様の区域の皇后様じゃない?」
「まあ……。お美しいわね」

 ――皆の視線の先にいるのは、息を呑む程美しい衣装を身に纏った天愛皇后だ。薄桃色の細い髪が風に揺れる様は酷く上品である。頬の烟脂も、眉間の花模様も、気合が入っていることが分かる質だ。白虎の刺繍と、その刺繍に負けないくらい、虎のような威圧感のある金色の瞳。絶世の美女なのは間違いないが、それ以上に、喰われてしまいそうな威厳がある。
 あの姿を見て馬鹿にする者はいないだろう。

「元奴隷と聞いていたけれど、あれだけの美貌があるなら宋帝王様が気に入るのも無理ないわ」
「あら、貴女見たことなかったの? 私は以前の元宵節で見た時から知ってたわよ。とびきりお綺麗な方だってね」
「聞いたところによると、宋帝王様のご寵愛も深いのだとか」

 侍女たちは飛龍の存在に気付いていないのか、きゃっきゃと楽しげに話し合っている。あの服装はこちらの区域でなく、他区域の侍女だろう。
 飛龍はふんっと得意げに口角を上げた。

「俺の妻なんだから当然だろ」

 自慢の正妻を人々に褒めそやされて嬉しそうだ。いつになく上機嫌である。
 しかし、侍女たちのそんな口ぶりをよく思わない者もいたようで。

「美しいから何よ。品性は血筋から来るものよ。元奴隷の皇后なんて、宋帝王様の格を下げているわ」

 彼女たちに横から口出ししたのは、服装からして閻魔王の区域の侍女だ。長子皇后の宮殿で見たことのある顔もある。

「それに比べて、私達の区域の皇后様は、生まれた時から別格なの。王の皇后となるために生まれてきたようなお人だもの」
「元奴隷がいくら長子皇后様に張り合うような衣装を着たところで、みっともないだけだわ」

 彼女たちは、やはり天愛皇后が白虎の刺繍をしているのが気に食わないようだ。

「は、はあ……。申し訳ありません」

 他区域の侍女は目を見合わせ、面倒事になるのを避けるためか身を小さくして逃げるように立ち去っていく。
 ――そこへ、閻魔王の区域の侍女たちが歩いてきた。それも、天愛皇后のお付きの者たちだ。

「聞き捨てなりませんわね。今のお言葉、撤回してくださるかしら」

 天愛皇后の侍女たちの眼差しは冷ややかで、静かに怒っているのが伝わってきた。