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 紅花が去った後、飛龍が帝哀を見て言った。

「意外だったよ。随分紅花に入れ込んでるんだね?」

 口元は笑っているがその目は冷たく、面白く思っていないことが感じ取れる。

「かの閻魔王が、何の後ろ盾も教養もない少女を気に入るなんて非合理的なことをするとは思わなかったな」
「お前も身分の低い女を正妻に迎えただろう」
「人間は嫌いなんじゃなかったの?」
「あいつは他の人間とは違う。歪だが真っ直ぐで、馬鹿正直で、俺のことを愛している」
「そんなの分かんないよ。人間には知恵がある。人は嘘を吐くし他人を騙す。そういう生き物だ。これまで気が遠くなる程の数の裁判をこなしてきて、嫌という程理解しただろ? 一度は地獄に堕ちたような女のこと、信じられるって言うの?」

 発言が飛龍らしくない――そう思った。

「お前こそ何だ? 妙に突っかかってくるな。紅花が好きなのか」

 飛龍は紅花のことを気にかけている。複数いる妃たちを皆平等に溺愛し、誰一人寂しくせぬよう努力している愛妻家として知られている男だが、妃以外の女性には興味のない男だったはずだ。妃たちを不快にさせないために遊び相手としてなら同性を選んでいる。
 飛龍はきょとんとした後、顔を真っ赤にして言い返してきた。

「はっ……はぁぁあああ~!? 俺が!? 何言ってんの!?」

 初めて見る表情であるため少し驚く。

「この俺が、冥府の最下層元獄吏の女なんかに恋すると思ってんのかよ」
「さっきも言ったが、お前は獄吏どころか奴隷の女を気に入りすぎて正妻にした前科持ちだろ。紅花を好きになってもおかしくはない」
「確かに、身分の低い女にしては堂々と言い返してくる強気なところは鼻っ柱へし折ってやりたくなるけどぉ~……別に、それだけだしぃ?」

 飛龍が誤魔化すように目を逸らす。
 成る程。自覚はないようだが、飛龍の好みは、〝身分差にも拘わらず強気に物を言う女〟らしい。思い返してみれば長子皇后もそうだった。
 それを理解したうえで、帝哀は釘を刺す。


「言っておくが、渡さない」


 彼女を深く知るたび、自分に似ていると感じていた。
 大昔、閻魔王としての仕事に疲弊した帝哀の父は、帝哀に代わりに罰を受けてくれと言った。次期閻魔王となるのであれば今から慣れておいた方がよいと。
 それは、帝哀のためであると見せかけて、ただ単に息子を犠牲に自分が助かりたいだけの、身勝手な発言だった。愛情は容易に憎悪に変わる。当時子供だった帝哀は父への憎しみを抱き、疲弊した父に毒を盛り続けた。計画通り父は見るからに憔悴してゆき、これでは王としての役目を果たせないと判断され、冥府を追放された。
 人間は利己的な生き物だ。飛龍の言う通り、それは嫌という程分かっている。
 だがそれでも――自分に罰を押し付けるのではなく、初めて代わりに引き受けてくれた紅花を、手放したくないと思うのだ。

(俺はあの女を手に入れたい)


 何を犠牲にしても。

 もうこれ以上人を憎しみ続けないために。

 彼女を信じてみたかった。