「小坂さん、貴方はこれまでにどれだけの女性を弄んで傷つけてきたんですか。女性だけじゃない。わたしの大切な人まで晒しものにした! 貴方、人の気持ちを何だと思ってるんですか! わたし、貴方のことを絶対に許しませんから!」
「あんた、どうせ逆玉狙って絢乃さんとお近づきになりたかっただけでしょ? もうバレバレ。甘いんだよ、その考えが」
せせら笑うようにそう言って、真弥さんが腰を抜かしている小坂さんを見下ろした。
「わたしは正式に、貴方を名誉毀損で訴えます。顧問弁護士にはもう、訴訟を起こす準備を整えてもらってるので。ちなみに貴方、事務所をクビになってて後ろ盾はなくなったんですよね? というわけで、訴える相手は貴方個人です。覚悟しておいて」
わたしは次の一言で、彼に完全にトドメを刺した。
「この件で、貴方は完全に社会から抹殺されるでしょうね。ご愁傷さま。女をなめるのもいい加減にして!」
こうしてイケメン俳優への反撃作戦は幕を下ろしたのだった。
* * * *
「――あー、せいせいしたぁ! 内田さん、真弥さん、ご協力ありがとうございました」
作戦が無事に成功した充実感から、わたしは探偵のお二人にお礼を言った。
「いやいや。オレ、何もしてませんよ。ほぼ女性陣二人の活躍でしょ?」
「そうそう☆ これで頂いた五十万円分はキッチリ仕事させてもらいましたんで。あたしたちは撤収しまーす♪ あとは彼氏さんとお二人でどうぞ」
「…………えっ? ――貢……」
真弥さんたちが手で示した方向に、見慣れたシルバーのセダンにもたれかかった私服姿の彼を見つけてわたしは大きく目を見開いた。
彼はいつものにこやかさはどこへやら、両眉をひそめて思いっきり仏頂面をしていた。……これは、絶対に怒ってる…………。
「――絢乃さん!」
「ごめんなさい。貢、あの……。お、怒ってる……よね?」
彼はわたしの方へ駆け寄ってきた。彼のこんなに険しい顔を見たのは初めてで、わたしはこの時初めて彼を怖いと思った。オドオドと上目遣いに彼の顔色を窺うと、彼は腕を伸ばしてきてわたしを抱きしめた。ここが思いっきり公衆の面前だということも忘れて。
「……よかった……。あなたが無事で、本当によかった……」
彼に心配をかけた自覚はあったので、わたしもされるがままになっていた。密着していた彼の体からは温もりを感じた。
「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。これくらいの方法しか思いつかなくて」
路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。
「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」
「そう……だね」
これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のクルマへと移動したのだった。
「――改めて、貴方には心配をおかけしました」
わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。
「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」
彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。
「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――」
「イヤです」
「…………は?」
彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」
「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」
むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。
「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」
「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」
傍から見れば、恋人のためにそこまでやるのかと呆れられるところだろう。確かにそうかもしれない。客観的に見れば、わたしのしたことは世間一般からズレているんだと思う。
でも、本当に大切な人を守ろうと思ったら、その方法は人それぞれでいいんだとわたしは思う。だって、抱えている事情はそれぞれ違うんだから。
「…………まぁ、絢乃さんに何もなかったからもういいです。その代わり、僕に心配をかけるのはこれで最後にして下さいね? 約束ですよ?」
「うん、分かった。もう二度と、こんなことはしないって約束するから」
わたしたちは指切りげんまんして、微笑み合った。
――これで、二人の恋路を阻むものはすべてなくなった。年の差も、身分の差も最初から障害になり得なかったのだ。わたしと彼の心が同じなら。
「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」
「はい。喜んでお受けします!」
彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。
思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。
「貢、……愛してる」
「僕も愛してます、絢乃さん」
わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。
「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」
帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。
「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」
「……なるほど」
「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」
「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」
「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」
卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか?
去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。
誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。
その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。
三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。
「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。
四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。
そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ!
顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。
そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。
本日、六月吉日。真っ白なベアトップのウェディングドレスに身を包み、結婚式場のスタッフによってヘアメイクを施されたわたしは今、同じく白いタキシードの上下に身を包んだ貢と控え室で向かい合っている。わたしたちの出会いから今日に至るまでの思い出を、彼と話しているところだ。
彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。
「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」
わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。
「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁ぐようなものなので」
「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」
何も古くからのしきたりに囚われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。
「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」
「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」
「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」
「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」
彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。
「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」
「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」
「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」
「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」
こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。
「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」
「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」
思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。
「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」
「……まぁ、確かにそうですよね」
貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日和だ。
ちなみに、この結婚式場は篠沢グループの持ち物である。新宿にあるこの式場のチャペルで挙式して、敷地内のガーデンレストランで披露宴をすることになっている。
「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」
控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。
「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」
「うん、分かった。また後でね」
控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。
父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。
「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」
「聡一伯父さま……」
それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。
「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」
「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」
「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」
伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。
「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」
「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」
慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。
その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母と伯父にエスコートされて、最愛の人が待つフォトスタジオへゆっくりと歩いて向かう。少し目が赤くなっていることに、貢は気づくだろうか? でも、これは幸せな日にふさわしい喜びの涙だ。
その途中、わたしは心の中で父に話しかけた。
――パパ、見てくれてますか? 貢はパパとの約束を守ってくれたよ。
わたし、彼となら幸せになれると思う。ううん! 絶対に幸せになるから!
だからね、パパ。わたしは彼と一緒に、これからの人生を歩んでいくよ。
パパがわたしを託してくれて、わたしが初めての恋をささげたあの人と――。
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