――自由が丘に建つ篠沢邸の前で、貢はわたしを降ろしてくれた。わざわざ助手席のドアを、執事のように外から開けてくれて。

「今日はお疲れでしょう。ゆっくり休んで下さいね」

「うん、ありがとう。――あ、桐島さん。あの…………」

 そのまま運転席に戻ろうとした彼を、わたしは慌てて呼び止めた。このまま別れてしまうのは名残(なごり)惜しいし、彼とはまだまだ話したいことがたくさんあった。
 でも、ここでの長話は迷惑だろうから……。

「連絡先……、交換してもらえないかな…………なんて」

 初対面の夜にこんなお願い、厚かましいかな……と思い、ダメもとのつもりで言ってみたところ。彼はあっさり――というよりむしろ若干食いぎみに「いいですよ」とOKしてくれた。

「……ありがと。あの、これからウチでお茶でも飲んでいく?」

「いえ、遠慮しておきます。もう夜も遅いですし、明日も仕事があるので。僕はこれで失礼します」

「……そう? 分かった。じゃあ……おやすみなさい」

 さらに引き留めようとしたら断られたので、内心小さく肩を落とした。

「おやすみなさい、絢乃さん。連絡お待ちしています」

「えっ? ……あー……うん。ハイ」

 別れ際に微笑みかけられ、わたしは彼にまともな返しができなくなってしまった。


「――はぁ~……、なんか顔が熱い……」

 彼の車を見送りながら、両手で火照(ほて)った頬を押さえていた。
 彼が最後に言った「連絡を待っている」というのは、父への説得がどうなったか教えてほしいという意味だったのか、それとも別に意味があったのか。もしも後者だったら……?
 彼()、わたしに好意をもっているということだろうか。

「……〝も〟って何だ」

 思わず自分の考えにツッコミを入れてしまい、笑いがこみ上げた。
 その時はまだ、彼に対するこの複雑な感情が何だったのか分からなかったけれど、今なら分かる。わたしに自覚がなかっただけで、すでに恋の沼にはまっていたのだと。

「そんなことより、パパの説得頑張らないと!」

 ニヤついている場合じゃないと気持ちを切り替え、わたしは二階建ての洋館の前にどっしりと存在する玄関ゲートをくぐったのだった。