「絢乃さん、一人っ子だとおっしゃってましたよね? ご結婚される時はどうなるんですか?」

「やっぱり、相手に婿入りしてもらうことになるんじゃないかなぁ。パパの時みたいに」

 父の旧姓は井上(いのうえ)といい、二歳上のお兄さん――わたしから見れば伯父(おじ)がいる。伯父の家族はもう十年以上前からアメリカ在住だ。

「じゃあ……、僕もその候補に入れて頂くことは可能ですか?」

「…………えっ⁉ ……うん、多分……大丈夫だと思うけど」

 一瞬彼の言っていることが理解できず、キョトンとなりながらも真面目に答えると、彼からは「冗談ですからお気になさらず」と肩をすくめられた。
 本当に冗談だったのかな? 本気ならいいのにな……と思いながら、わたしの胸は高鳴っていて、自分でも戸惑っていた。


 ――もうすぐ恵比寿(えびす)というところで、クラッチバッグの中でスマホがヴーッ、ヴーッ……と振動した。

「……あ、電話だ。出てもいい?」

 急いで画面を確かめると、かけてきたのは母だった。

「どうぞ。お母さまからですか?」

「うん。――もしもし、ママ? 今、桐島さんのクルマの中なの」

 彼は電話中、横から口を(はさ)もうとしないで運転に徹してくれていた。

『そう。今日はお疲れさま。閉会の挨拶、ちゃんとできた?』

「うん、どうにかね。自分なりには。――ところでパパの様子は?」

『今はぐっすり眠ってるわ。顔色もちょっと落ち着いたみたい』

「そっか、よかった」

 とりあえず落ち着いているようだと分かって、わたしもホッと胸を撫でおろした。

「あのね、ママ。パパのことなんだけど。桐島さんが言うには……」

 わたしは貢からのアドバイスと、彼と話していたことを母にも伝えた。

「……でね、わたしだけじゃ心許(こころもと)ないから、ママにも協力してもらえないかな……と思って」

『分かったわ。ママも桐島くんのアドバイスは的確だと思う。パパのためだもの、協力するわね』

「ありがと、ママ」

 母が非協力的だったらどうしようかと思っていたけれど、その返事を聞いてわたしも安心した。

『あとどのくらいで着きそう?』

「あとねぇ、えーっと……」

 貢に自由が丘まであと何分くらいか訊ねると、「十分くらいですかね」と答えてくれた。

「十分くらいだって」

『そう。じゃあ待ってるわね。今日は本当にありがとう。桐島くん、いい人でしょう? 絢乃からもちゃんとお礼言っておいてね』

「……うん、分かった」

 終話ボタンをタップすると、信号待ちに引っかかった貢と目が合った。

「――何ですか?」

「ママが桐島さんに『ありがとう』って伝えてほしい、って。あと、わたしからも……ありがとう」

「いえ……」

 二人分の感謝を伝えられた彼は、照れくさそうに視線を前方へと戻した。