四方谷さん家の一人娘が帰ってきた。この話は吉報として瞬く間に町内を駆け巡り、誰も彼もが彼女の無事に安堵した。何も知らねぇ奴らからしてみれば、真尋さんは『一時の気の迷いで出奔した娘』であり『不慮の事故により旦那と娘を亡くした未亡人』でもある。元旦那の動機は不明だけれど、本人がお亡くなりになっているもんだから不明のままだろう。基本的に、死人は喋らない。
実家にいる頃から悪さばかりしていたならばさもありなのだけれど、昔から『気立てがいい人』として通っていたらしい。四方谷さん家の可愛い娘。顔を合わせれば会釈し、道に迷っている様子を見かければ声をかけて案内し、腰の曲がった老人の荷物を運ぶ手伝いをする――近所で評判の美少女。
そんなマヒロさんが形だけでも誠意を込めてお辞儀すれば、直前まで怪訝な目を向けていようとも、皆一様に態度が軟化するのだった。まあ、裏では陰口を叩いているのかもしれないけれど。
まだ定年を迎えていない祖父は、祖母のスマホからのメッセージを受け取って、普段よりも早く帰宅してきた。
土曜だろうと関係なく朝は八時夜は十七時までが定時で、十九時ぐらいに帰ってくるのだけれど、退勤して即タクシーを捕まえて飛んで帰ってきた。四方谷真尋という存在のデカさがわかる。
大事な子ども。
俺も大事な子どもだったのだろうか。大事だったのかな。大事にされていたのか?
祖父は仕事を切り上げてでも帰りたかったと嘆いていた。前々から単身赴任が決まってしまっていたから、女どもの目の前で「会社に連絡して撤回してもらう」と電話をかけようとする。愛する娘が戻ってきたってのに、自分が離れなくてはならないなんてそんな殺生な話はない、と。他の人間に代われないかと。
やりとりを見ていたマヒロさんは「ずっとここにいるぞ!」と祖父のスマホを奪い取って、また祖父母を泣かせた。
家族って、本来こういうもんなのだろうな。全体的に身長の低い四方谷家の三人家族のやりとりに、俺は入っていけなかった。血もつながっていないし。どのタイミングで入っていけばいいかわからず、そっとその場を離れる。
感動のシーンのはずなのに、なぜだか吐き気が込み上げてきた。思い出したくもない記憶を上から押さえつけようとして、胸も苦しくなる。俺は悪くない。何も悪くないのに。
「パパ、ママ、好き!」
不意の二文字が心に突き刺さる。
好きなのか。そうか。よかった。
なんだろうな「好き」って。マヒロさんがいま口にした、俺の祖父母――真尋さんから見たら『パパ、ママ』の関係性――に対しての「好き」と、異性から俺に対しての「好き」とは違うし。
ひいちゃんだけだ。ひいちゃんだけが俺を『おにいちゃん』として見てくれていたんだ。唯一、家族愛を感じられる存在だった。ひいちゃんにしかできない。ひいちゃんだけが家族だった。だから、もう俺には家族はいない。いないのだ。俺の『妹』はひいちゃんだけで、両親を亡くしてしまったから次の『妹』は存在し得ない。祖父母の対応は、俺への同情に近くて、喪失感の埋め合わせにはならない。いわゆる『家族愛』というものは、正真正銘の家族を失った俺には一生かかっても理解できない概念になってしまった。
他人の『普通』の『ありきたりな人生』は、うらやましいぐらいに輝いていてまぶしくてキラキラしていて、どんなに手を伸ばしても届かない。
誰かに付き従うだけの人生ではない。家族がほしい。ほしかったんだよ。誰かに命ぜられるままに動く人生ではない。当たり前の幸せがほしい。燃え上がるような厚い情愛ではなく、包み込むような暖かい愛情がほしい。それなのに、誰にも理解してもらえない。恋人がほしいのではない。距離感がわからない。不必要に近づいて、傷つけてしまって、恋人気取りの相手は離れていく。
俺が悪いのか。そうか。悪いのだろう。悪いなら悪いとはっきりと言ってくれ。反省している顔をしてやるからさ。よぉく見ておけよ。その網膜に焼き付けておけ。俺が謝ってやるから。それで満足だろう?
どうしてまた俺は他人に振り回されているのだろう、と気付いてしまって、涙が流れる。勉強ばかりができていても、人間としては未完成らしい。なんらかの障害と診断されたほうが、まだ、諦めがつく。誰かがそうだと言ってほしい。適切な言葉を当てはめて、俺を安心させてほしい。
きっと、俺はこのまま生きていくのだろう。このまま、正解がわからない。
実家にいる頃から悪さばかりしていたならばさもありなのだけれど、昔から『気立てがいい人』として通っていたらしい。四方谷さん家の可愛い娘。顔を合わせれば会釈し、道に迷っている様子を見かければ声をかけて案内し、腰の曲がった老人の荷物を運ぶ手伝いをする――近所で評判の美少女。
そんなマヒロさんが形だけでも誠意を込めてお辞儀すれば、直前まで怪訝な目を向けていようとも、皆一様に態度が軟化するのだった。まあ、裏では陰口を叩いているのかもしれないけれど。
まだ定年を迎えていない祖父は、祖母のスマホからのメッセージを受け取って、普段よりも早く帰宅してきた。
土曜だろうと関係なく朝は八時夜は十七時までが定時で、十九時ぐらいに帰ってくるのだけれど、退勤して即タクシーを捕まえて飛んで帰ってきた。四方谷真尋という存在のデカさがわかる。
大事な子ども。
俺も大事な子どもだったのだろうか。大事だったのかな。大事にされていたのか?
祖父は仕事を切り上げてでも帰りたかったと嘆いていた。前々から単身赴任が決まってしまっていたから、女どもの目の前で「会社に連絡して撤回してもらう」と電話をかけようとする。愛する娘が戻ってきたってのに、自分が離れなくてはならないなんてそんな殺生な話はない、と。他の人間に代われないかと。
やりとりを見ていたマヒロさんは「ずっとここにいるぞ!」と祖父のスマホを奪い取って、また祖父母を泣かせた。
家族って、本来こういうもんなのだろうな。全体的に身長の低い四方谷家の三人家族のやりとりに、俺は入っていけなかった。血もつながっていないし。どのタイミングで入っていけばいいかわからず、そっとその場を離れる。
感動のシーンのはずなのに、なぜだか吐き気が込み上げてきた。思い出したくもない記憶を上から押さえつけようとして、胸も苦しくなる。俺は悪くない。何も悪くないのに。
「パパ、ママ、好き!」
不意の二文字が心に突き刺さる。
好きなのか。そうか。よかった。
なんだろうな「好き」って。マヒロさんがいま口にした、俺の祖父母――真尋さんから見たら『パパ、ママ』の関係性――に対しての「好き」と、異性から俺に対しての「好き」とは違うし。
ひいちゃんだけだ。ひいちゃんだけが俺を『おにいちゃん』として見てくれていたんだ。唯一、家族愛を感じられる存在だった。ひいちゃんにしかできない。ひいちゃんだけが家族だった。だから、もう俺には家族はいない。いないのだ。俺の『妹』はひいちゃんだけで、両親を亡くしてしまったから次の『妹』は存在し得ない。祖父母の対応は、俺への同情に近くて、喪失感の埋め合わせにはならない。いわゆる『家族愛』というものは、正真正銘の家族を失った俺には一生かかっても理解できない概念になってしまった。
他人の『普通』の『ありきたりな人生』は、うらやましいぐらいに輝いていてまぶしくてキラキラしていて、どんなに手を伸ばしても届かない。
誰かに付き従うだけの人生ではない。家族がほしい。ほしかったんだよ。誰かに命ぜられるままに動く人生ではない。当たり前の幸せがほしい。燃え上がるような厚い情愛ではなく、包み込むような暖かい愛情がほしい。それなのに、誰にも理解してもらえない。恋人がほしいのではない。距離感がわからない。不必要に近づいて、傷つけてしまって、恋人気取りの相手は離れていく。
俺が悪いのか。そうか。悪いのだろう。悪いなら悪いとはっきりと言ってくれ。反省している顔をしてやるからさ。よぉく見ておけよ。その網膜に焼き付けておけ。俺が謝ってやるから。それで満足だろう?
どうしてまた俺は他人に振り回されているのだろう、と気付いてしまって、涙が流れる。勉強ばかりができていても、人間としては未完成らしい。なんらかの障害と診断されたほうが、まだ、諦めがつく。誰かがそうだと言ってほしい。適切な言葉を当てはめて、俺を安心させてほしい。
きっと、俺はこのまま生きていくのだろう。このまま、正解がわからない。