「朝陽くんがわたしを傷つけないでほしいって茨に頭を下げたのは知ってるよ。傷つけたら殺すだなんて、そんな過激な言葉を使ってでもわたしを守ろうとしてくれたって、茨が言ってた。茨はそれを聞いて、わたしを傷つけるための道具として朝陽くんを手元に置こうと決めたんだって。だから、朝陽くんが支配されたのはわたしのせいなんだよ。自分を責めることなんて何もない。わたしを守ろうとしてくれてありがとう。凄く嬉しかった」
 前かがみになり、ふわふわの頭に顔を寄せる。

(朝陽くんの匂いがする)
 やっと朝陽が帰って来たのだと実感し、胸いっぱいに喜びが広がった。

「……でも、おれは。美緒を殴るとか言った」
 朝陽は頭を垂れたまま、覇気のない声で言った。

「そんなこと気にしなくていいってば。そもそも朝陽くんは香の匂いを嫌がってたのに、わたしが引き留めたからこんなことになったの。ごめんね」

「……違う。そんなことどうでもいいんだ。どんな理由があったって、正気を失うなんてことあっちゃいけないんだ。それじゃ護衛の役は務まらない。傍にいる意味がない……」
 呻くような言葉を聞いて、困った。
 美緒がどれだけいいと言っても朝陽は納得しないだろう。
 誰より朝陽自身が自分を許せないのだから。

 どう説得したものか悩んでいると、朝陽はぼそぼそとした口調で言った。

「……おれはもう美緒の傍にはいられない。この件が解決したら美緒とは別れる。部屋も出て行く。パートナーがほしいなら他のあやかしを探してくれ。おれより頼りになる奴はいくらでも――」
「嫌」
 台詞を遮ってきっぱり言ったが、朝陽は力なく首を振った。

「わがまま言わないでくれ。今回のことでわかっただろう。口ではいくら美緒を守ると言ったって、おれは」
「それだけわたしを大事に想ってくれる人なんて朝陽くんしかいないし、どれだけ強くて頼りになったってわたしは朝陽くん以外のあやかしなんていらない! なんでわかってくれないの、わたしが傍にいてほしいのは朝陽くんだけなの!!」
 わからずやの狐に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。

「どうしても詫びなきゃ気が済まないっていうなら、望み通りに罰を与えてあげるから、人に戻って!!」
 床に置くと、朝陽は指示通りに人に戻った。
 申し訳なさそうに座ったまま、俯いている。

 美緒はその頬に唇を寄せた。

「…………。…………?」
 一瞬何が起きたかわからなかったらしく、朝陽は数秒止まり、それから弾かれたように顔を上げた。頬が赤くなっている。

「……え? いまの」

「これでこの件は終わり! 綺麗さっぱり終わり!! 蒸し返したら怒るからね!!」
 同じように自分の頬も朱に染まっていることを自覚しながら、美緒はすっくと立ち上がった。

「さ、茨をぎゃふんと言わせるんだから、手伝って!」
「え……ああ、料理だよな……うん。もちろん、手伝うよ」
 美緒の勢いに押された朝陽が戸惑いながら立ちあがったとき、縁側のガラス戸を叩く音がした。

 朝陽は警戒を露にしたが、美緒はかぶりを振った。
「大丈夫。きっと紅雪ちゃん。打ち合わせてたから」
 縁側に出ると、庭に紅雪が立っていた。

「やっと見つけたわよ。庭に放り投げられたこれを探し当てるの苦労したんだから、感謝しなさいよね」
 紅雪は握っていた右手を開いた。

「ありがとう、紅雪ちゃん」
 美緒は差し出されたそれを受け取った。直径五ミリ程度の小さな丸い球だ。

「そいつ」
 紅雪が朝陽を睨みつけた。
 咲かせる気になるまで痛めつけてやろう、という朝陽の問題発言は、少し離れた場所にいた紅雪の耳にも届いていたようだ。

「あっ、もう大丈夫。正気に戻ったから」
 美緒の言葉を証明するように、朝陽が紅雪に頭を下げた。

「酷いこと言って悪かった」
「……ふん。正気に戻ったっていうのは本当らしいわね。いいわ。きちんと謝罪を受けた以上、無礼は水に流す。そもそもの元凶はあのクズ野郎だしね。ところで美緒」
「はい」
 刃物のように鋭い眼差しを向けられ、美緒は直立した。

「このあたしが協力してあげるんだから、あのクズをきっちり罠に嵌めなさいよ。失敗したら末代まで祟ってやる。いや、あんたの代で終わらせてやる」
「……肝に銘じておきます」
「ふん」
 紅雪はまたも鼻を鳴らして消えた。

「…………あいつ、怖いな」
 朝陽が呟く。
「うん……でも、仕方ないよ。絶対に花を咲かせたくないって言ってたのに、どうしてもって頼み込んで無理を聞いてもらったんだもの。紅雪ちゃんの言う通り、絶対に失敗できない」

 紅雪がいなくなった庭を見つめた後、美緒は朝陽に顔を向けた。
「さっきの話の続きだけど。朝陽くんには料理の他にダンスも覚えてほしいの」
 美緒は具体的な作戦を話し始めた。