「ええそうよ。あたしはここが嫌、堪らなく嫌、こんな臭くて汚れ切った大地に根を下ろすのも嫌で嫌で仕方ないわよ!! 足があるならとっくに逃げてるわ、でもあたしは木なの、自分の意思では動けないのよ!!」

 紅雪は右手の拳、その手の甲で見向きもせず、近くにあった石灯籠を思いっきり殴りつけた。
 石灯籠の一部が砕け、紅雪の右手から血が滴る。

「紅雪さ――」
「うるさい、痛くもなんともないわよこんなの!」
 負傷した手を取ろうとしたら弾かれた。

「ええ認めるわよ、あたしはミタニに帰りたい! 懐かしい故郷の空気を胸いっぱいに吸い込んで、梅の精や木霊たちと野山を自由に駆け回りたい! あたしの身体にとまる虫や鳥を見て心の底から笑いたいわよ!」
 大きな目から次々と涙が零れ落ちていく。

「知ってどうするっていうの!? あんたが望みを叶えてくれるの!? あいつは一目惚れだなんてふざけた理由であたしを奪った! 止めてと懇願してくれた大事な友達を殴り、蹴飛ばしたのよ! そんな勝手で横暴な大鬼にあたしをミタニに帰すよう掛け合ってくれるとでもいうの!? 友達みたいに殴られるのも覚悟して!? ふざけるんじゃないわよ、できもしないくせに!! ここにいるあやかしはみんなあいつの奴隷よ! ただの人間が太刀打ちできるわけないじゃないの! そうよ、誰もあいつにはかないっこないのよ……あたしだって」
 紅雪は徐々に興奮を収め、俯いて言った。

「あたしはただの枝垂桜。何もできない無力な木よ。でも、それでも、抵抗するわ。花は咲かせてやらない。あいつを喜ばせてたまるもんか。友達の悲鳴を聞いて喜ぶようなクズなんかのために、一輪だって咲かせるもんか……」
 紅雪は傷ついた手で顔を覆い、肩を震わせて嗚咽した。

 茨の身勝手に振り回されて辛い。
 大好きな友達と引き離されて寂しい。悲しい――紅雪の感情が渦のように流れ込んできて、美緒は地面に膝をつき、紅雪を抱き寄せた。

「待ってて。わたしがなんとかする。なんとかしてみせる」
 紅雪の言葉を聞いて、疑惑は確信へと変わった。
 茨は敵だ。種族は違えど、同じあやかしを虐待して喜ぶ、最低な鬼だ。
 祖母の怒りは正しかった。

 朝陽が戻ってきたら、一緒に茨の元に行ってもらおう。
 紅雪の気持ちを伝え、枝垂桜をミタニへ帰すように訴えてみよう。

 茨が否を突き付けるのならもう美緒にできることはない。
 朝陽も屋敷に充満する匂いを嫌っているようだし、すぐに出よう。
 それから皆に相談して、紅雪を救う方法を考えようと決めた。

「うるさい。できもしないことを言うな。期待を持たせるようなことを言うな。ていうか、なんで敬語止めてんのよ。馴れ馴れしい口を利くなって、言ったじゃないの」
 しゃくりあげる度に、紅雪の身体が震える。
 桜の精も人間と同じように体温があることを初めて知った。

 泣いて熱くなった小さな身体を、美緒は強く抱きしめた。