「枝垂れ桜の精さん。ここにいますか? わたしの声が聞こえるなら、姿を表してください」

 咲き誇る桜の中にあって、一本だけ花のついていない枝垂桜は物悲しく見えた。
 どうかこのまま枯れないでほしい。
 そう願って何度も呼びかけてみたが、枝垂桜はただ夜風に吹かれ、細い枝の先端がゆらゆら揺れていた。

「……枝垂桜の精さん。では、姿を表さなくても構いませんので、どうかこれを受け取ってください。大地を流れる霊脈から抽出した粉です。不足する栄養があるのなら、これで補えるはずなので」
 美緒は精霊との直接対話を諦め、枝垂桜の根元に粉を撒いた。

 この粉は触れたもの全てを活性化するため、丁寧に撒かなければならない。
 烏天狗は空を飛びながら撒くので非常に仕事が早いが、桜と同時に周囲の雑草まで茂らせている。
 でも、美緒はこうして腰を曲げ、なるべく桜だけを咲かせるように心がけていた。この丁寧さこそ、仕事ぶりが高く評価されることになった所以だ。

「それ、いいわねえ」
 右手から声がして、顔を向けると、着物姿の美しい女性がいた。

「もっともっと美しく咲き誇って茨様に褒めていただきたいの。私にも振りかけてちょうだいな」
「私にも」
「私にも」
 あちこちから声があがった。
 見回せば、桜の精たちがそれぞれの木の前に姿を現していた。

 皆、薄紅色の着物を着た二十歳前後の美女の姿だ。

「はい」
 美緒は要求に応えて粉を撒いていった。
 元々三つの町をカバーできるほどの粉があるので、ストックには十分に余裕がある。

「ありがとう。これで茨様も私の虜よ」
「馬鹿ね、私のほうが美しいわ。茨様の目を釘付けにするのは私」
 粉を撒きながら、周囲で言い合う桜の精たちの声を聞き、茨は大人気なんだなぁと思い知った。
 鬼も桜の精も茨に夢中らしい。ここにいるあやかしは皆そうなのだろうか。

「あー、身体中に力が漲るっ。生き返るわー!」
 最後に粉を撒いた桜の精は一人だけ様子が違った。

 髪を結い上げた、見るからに活発そうな桜の精は、茨を讃える他の桜の精たちを無視して大きく伸びをした。

 淑やかで上品な桜の精しか見たことのなかった美緒はびっくりして手を止めた。

「あらやだ。ごめんあそばせ」
 美女はほほほと笑って着物の袖で口元を隠した。
 曖昧に笑って応じ、そそくさと粉を撒く作業に戻る。