四月上旬。うららかな春の昼下がり。
高校の入学式を五日後に控えた美緒は、とある神社にいた。
「二丁目に引っ越してきました、芳谷美緒です。よろしくお願いします。念願の光瑛《こうえい》高校には入学できたし、いまのところ神さまに縋りつきたいほどの切実なお願いはないんですが、一つだけ。どうか銀太くんがわたしのことを忘れていませんように。今年こそ会えますように」
唱えてから、立派な拝殿を見上げ――肩を落とす。
(……お願いしたって意味がないんだろうな。これまで何回もお願いしてきたのにだめだったもの。おまけにわたしは村から遠く離れた場所に引っ越したし。もし銀太くんの気が向いて会いに来てくれたとしても、わたしがここにいるなんてわかんないよねぇ……)
拝殿に会釈してから踵を返す。
社務所の近くに植えてある桜の木が花びらを散らす様を見て、美緒は目を細め、立ち止まった。
――いつかきっと、会いに行くよ。美緒に会いに。
蘇るのは、桜の木の前で交わした幼い約束。
銀太から何の音沙汰もないまま季節は巡り、美緒は高校生になる。
高校進学に伴っての引っ越しを終え、近所の地理を覚えるべく散歩していたときに、たまたま見つけたのがこの神社だ。
引っ越したらその土地の神さまに挨拶なさい、とは、祖母の弁。
――近所の人々に引っ越しの挨拶をするように、神さまにも挨拶をしておくの。もしかしたら、いいことがあるかもしれないでしょう? 少なくとも罰は当たらないんだから、きちんと挨拶しておくに越したことはないわ。
この神社は規模としてはそれほど大きくないが、境内は美しく保たれていた。
目立つような雑草もなく、心なしか空気も清らかに感じる。
風に乗って運ばれてきた薄紅の花びらが、目の前を横切り、誘うようだ。
吸い寄せられるように桜の前に立ち、満開の花を見上げる。
「芳谷美緒?」
突然、名前を呼ばれた。
びっくりして振り返ると、晴れた青空の下、美しい少年が立っていた。
淡い茶色の髪。
切れ長の金色の瞳は強い意志を秘め、美緒を射抜いている。
服装はフード付きのパーカーとジャケットにデニムのスラックス。
(誰だろう?)
これほどの美形、よほどのことがない限り忘れないと思うのだが。
「はい、そうですけど……あなたは?」
少年はようやく当たりを引いた、とでもいうように、軽く顎を引いた。
「朝陽《あさひ》。狐坂《こさか》朝陽と名乗っている。銀太の兄だ」
表情を動かさずに朝陽は言った。
「えっ?」
美緒は目を丸くして、拝殿を見た。
これぞ神の御導きとでもいうべきか。
まさか願って一分と経たずに銀太に繋がる人物に会えるとは。
「えっ、じゃあ――」
あなたも狐なんですかと聞きかけて止めた。無意味な質問だ。
狐の兄が人間であるわけがない。
朝陽は狐の耳も尻尾も隠し、上手に人に化けているのだろう。
「じゃあ?」
朝陽が促してきた。
「あ、いえ。初めまして、朝陽さん」
どぎまぎしながら会釈する一方で、急速に鼓動は早まっていた。
七年ぶりに銀太と会える、その喜びと期待で胸がいっぱいだ。
「銀太くんにはお世話になりました。もう七年も前のことになりますけど……銀太くんはいまどうしてるんですか?」
逸る気持ちを抑えて、朝陽に歩み寄る。
銀太が笑ったときに覗く八重歯が見たい。
あの優しい笑顔をもう一度――
「銀太は一年前に死んだ」
「…………え」
端的に告げられた言葉は、思考の全てを奪った。
高校の入学式を五日後に控えた美緒は、とある神社にいた。
「二丁目に引っ越してきました、芳谷美緒です。よろしくお願いします。念願の光瑛《こうえい》高校には入学できたし、いまのところ神さまに縋りつきたいほどの切実なお願いはないんですが、一つだけ。どうか銀太くんがわたしのことを忘れていませんように。今年こそ会えますように」
唱えてから、立派な拝殿を見上げ――肩を落とす。
(……お願いしたって意味がないんだろうな。これまで何回もお願いしてきたのにだめだったもの。おまけにわたしは村から遠く離れた場所に引っ越したし。もし銀太くんの気が向いて会いに来てくれたとしても、わたしがここにいるなんてわかんないよねぇ……)
拝殿に会釈してから踵を返す。
社務所の近くに植えてある桜の木が花びらを散らす様を見て、美緒は目を細め、立ち止まった。
――いつかきっと、会いに行くよ。美緒に会いに。
蘇るのは、桜の木の前で交わした幼い約束。
銀太から何の音沙汰もないまま季節は巡り、美緒は高校生になる。
高校進学に伴っての引っ越しを終え、近所の地理を覚えるべく散歩していたときに、たまたま見つけたのがこの神社だ。
引っ越したらその土地の神さまに挨拶なさい、とは、祖母の弁。
――近所の人々に引っ越しの挨拶をするように、神さまにも挨拶をしておくの。もしかしたら、いいことがあるかもしれないでしょう? 少なくとも罰は当たらないんだから、きちんと挨拶しておくに越したことはないわ。
この神社は規模としてはそれほど大きくないが、境内は美しく保たれていた。
目立つような雑草もなく、心なしか空気も清らかに感じる。
風に乗って運ばれてきた薄紅の花びらが、目の前を横切り、誘うようだ。
吸い寄せられるように桜の前に立ち、満開の花を見上げる。
「芳谷美緒?」
突然、名前を呼ばれた。
びっくりして振り返ると、晴れた青空の下、美しい少年が立っていた。
淡い茶色の髪。
切れ長の金色の瞳は強い意志を秘め、美緒を射抜いている。
服装はフード付きのパーカーとジャケットにデニムのスラックス。
(誰だろう?)
これほどの美形、よほどのことがない限り忘れないと思うのだが。
「はい、そうですけど……あなたは?」
少年はようやく当たりを引いた、とでもいうように、軽く顎を引いた。
「朝陽《あさひ》。狐坂《こさか》朝陽と名乗っている。銀太の兄だ」
表情を動かさずに朝陽は言った。
「えっ?」
美緒は目を丸くして、拝殿を見た。
これぞ神の御導きとでもいうべきか。
まさか願って一分と経たずに銀太に繋がる人物に会えるとは。
「えっ、じゃあ――」
あなたも狐なんですかと聞きかけて止めた。無意味な質問だ。
狐の兄が人間であるわけがない。
朝陽は狐の耳も尻尾も隠し、上手に人に化けているのだろう。
「じゃあ?」
朝陽が促してきた。
「あ、いえ。初めまして、朝陽さん」
どぎまぎしながら会釈する一方で、急速に鼓動は早まっていた。
七年ぶりに銀太と会える、その喜びと期待で胸がいっぱいだ。
「銀太くんにはお世話になりました。もう七年も前のことになりますけど……銀太くんはいまどうしてるんですか?」
逸る気持ちを抑えて、朝陽に歩み寄る。
銀太が笑ったときに覗く八重歯が見たい。
あの優しい笑顔をもう一度――
「銀太は一年前に死んだ」
「…………え」
端的に告げられた言葉は、思考の全てを奪った。