(悔しい)
 美緒にも祖母のような力があれば、横面を張ってやれたのに。

 しかし何故朝陽が野狐だと断定できたのかと疑問に思った。

 狐と一括りにしても、天狐、空狐、黒狐、白狐など様々な種類があるのに。

「申し訳ございません。どうしても同行したいと言って聞かず」
 穏便にやり過ごすことを選択したらしい黒田が頭を下げると、茨は嘆息した。

「まあ良い。大方、娘の護衛のつもりなのだろうが、そう気を張る必要はないぞ、狐。良枝には散々な目に遭わされ、一時は恨み骨髄に徹したこともあったが、それも過去のこと。私に敵対の意思はない」
「本当ですか」
 さっきの言い方は喧嘩を売っているようにしか思えなかった。

 たとえ美緒と朝陽の関係性を知らなかったとしても、朝陽がここにいる以上、美緒が信頼している相手だということはわかるはずだ。

「本当だ。孫に復讐して何の意味がある? 良枝はもう死んだのだろう? 良枝が生きて目の前にいたのなら、本来の姿に戻って派手に一戦交えただろうがな」
 茨は言いながら首の後ろに手を回し、首を左右に動かして揉んだ。

 隣を見ると、朝陽が小さく顎を引いた。
 いますぐ美緒をどうこうするつもりはないと朝陽も判断したようだ。

 美緒はほんの少しだけ肩の力を抜いた。
 強く握った手が汗ばんでいたことにいまさら気づく。

(……落ち着け。冷静になれ。わたしは喧嘩しに来たわけじゃないんだから。売り言葉に買い言葉を返せば、傷つくのは誰?)
 目を閉じ、息を吐くことで内圧を下げてから、まっすぐに茨の目を見つめる。

「……わかりました。それでは、仕事のお話を伺いたいのですが。わたしは何をすれば良いのでしょう?」

「何、簡単な話だ。庭の桜を咲かせてほしい。その美しさに惚れ込み、遥か遠いミタニの山奥からわざわざ運んできたというのに、どうしても咲かぬ頑固な枝垂桜がある。これまで色んな花祈りを雇ったが、どいつもこいつも失敗した」
 役立たずが、とでも言いたげな口調に、プレッシャーが重くのしかかった。

「何日かけても良いからあの枝垂桜を咲かせろ。咲くまで屋敷を離れることは許さん」

「ちょっと待ってください」
 こちらの都合を無視した傲慢な台詞に、たまらず声をあげる。

「努力はしますが、まさか花が咲くまでずっとここにいろとは言いませんよね? 明日明後日はちょうど土日で休みですけど」
「ならいいではないか」
「良くないです!」
「美緒はヨガクレで作られたものは食べられないんですよ。飢え死にしてしまいます」
 朝陽が加勢してくれた。

「二日飯を抜いたくらいで問題はないだろう?」
(他人事だと思って!)
 さすがにムカッときて睨みつけると、茨は面倒くさそうにため息をついた。

「ならば現世の飲食物を取り寄せる。それで良かろう」
 さすが大鬼。現世の飲食物の入手ルートも確保しているらしい。

「いや、でもですね」
「やかましい。給金を払っている以上、私がお前の雇い主だ。滞在が嫌ならさっさと花を咲かせればよかろう」
 茨が虫でも払うような手つきをした。

「………………」
 仕方ない。茨の言い分は一理ある。被雇用者に文句は言えない。

(誰も咲かせられなかったみたいだけど、わたしはこれまでどんな花も咲かせてきたし、今回もきっと大丈夫……だよね)
 さっさと花を咲かせてしまおう。そうすれば帰れる。

 美緒は一抹の不安を覚えながらも、承諾の返事をした。