「あらら。これじゃ美緒ちゃんが変人扱いされてしまうわね。私はこれでお暇するわ。またお話しましょう」
 空気を読んだ幽子は長い髪を翻し、歩いて行った。
 彼女が幽霊らしく消え去るか、人間のように歩き去るかはそのときの気分次第だ。

 美緒は荷物をまとめて鞄に入れた。
 図書室へ行き、幽子に言われた本を探す。

 一番上の右端から三番目、赤い背表紙の『西洋哲学史』――これだなと思って手を伸ばすが身長が足りない。
 幽子に身体を貸した生徒は背が高い女子か、あるいは男子だったのかもしれない。

 美緒は爪先立ちし、指の爪を本に引っ掛け、どうにか取り出した。

 表紙を開いてすぐに挟まっていたルーズリーフを抜き取り、苦労して本を押し入れる。

 書架の間でルーズリーフを開き、美緒は硬直した。

 ルーズリーフには制服姿の姫子と優が描かれていた。
 見慣れた学校の椅子に座る姫子に優が手を差し伸べ、姫子が手を重ねている。

 二人とも幸せそうな笑顔だった。

 画材はシャープペンらしく、黒の濃淡をつけて描き出されたイラストは生き生きとして鮮やかで、いまにも動き出しそうな躍動感があった。

 イラストの上には文字。

『人魚姫がハッピーエンドでありますように』

 少々癖のある、丸みを帯びた文字でそう書いている。

「………………」
 心臓が早鐘を打ち始めた。
 イラストから目が離せない。口内が渇く。ルーズリーフを持つ手が震える。

 物凄い勢いで銀太や朝陽たちから教えられた幽子の情報が、自分が手に入れた情報が、脳内に展開されていく。

 読書が好き。中でも特に好きなのは童話。
 この学校にいる間も、生徒が童話の本を開けば横で見て、世界中の童話を読んだ。

 ――私、人魚姫って悲しいお話だからあんまり好きじゃないのよね。でも、姫子ちゃんの物語はハッピーエンドで締めくくれそうで嬉しい。

(わたしも、ハッピーエンドが好き)
 それは母の影響だ。

 母はハッピーエンドが好きだった。
 だから、わざわざ自作の絵本まで作り、人魚姫の物語をハッピーエンドに改変して娘に聞かせた。

 母の絵本の中では、人魚姫はシンデレラのように、王子様と結ばれた。

 小学校低学年の頃、読書好きだった友達との何気ない会話から人魚姫の本当の結末を知り、美緒は大変なショックを受けた。

 文句を言いたかったけれど、小学生になる前に母はいなくなっていた。
 幽子がこの学校にいたのは十年。

 ちょうど十年前、美緒の母は病気で死んだ。

(そんな)
 イラストのタッチ、人魚姫という文字の書き方。

 それはいまでも大切に取ってある、母手作りの『人魚姫』と同一だった。