「わかった」
 朝陽は地面に座り、両前足で猫に触れた。
 朝陽の身体が淡い光に包まれ、その光は前足から猫へと伝わり、猫の身体が光り出す。

 数秒して、朝陽は前足を下ろした。

「どうだ?」
 声は普段通りに聞こえた。
 狐の姿なので顔色が悪いのかどうかも判断がつかない。

(大丈夫なのかな……)
 朝陽の意思を尊重して見守りつつも、美緒は不安で仕方なかった。

「凄いです! これならおばあさんも気づいてくれそうです! ありがとうございます、朝陽さん!」
 淡い光に包まれた猫は頭を下げ、歓喜を表すようにその場で一回転し、それから家へと突進していった。
 玄関の扉を透過して中に入り、そのまま見えなくなる。

「おばあさん! おばあさん! ボクのことが見えますか!?」
 家の中から猫の声がする。
 数十秒が経ち、猫が玄関の扉から出てきた。

「どうだった?」
 朝陽が走り寄ると、猫は消沈した声で答えた。

「……駄目でした。おばあさんは居間でお茶の準備をしていたんですが、声をかけても全く反応してくれません」

「……鈍い人間だったか……普通なら気配だけでも気づきそうなものなんだけどな……仕方ない、もう一度だ」
「はい、お願いします!!」

「お兄ちゃん……」
 心配そうな銀太には構わず、朝陽は再び同じことを繰り返した。
 猫を包む光がより一層強くなる。

「良し! 今度こそ行ってきます!!」
 嬉々として駆け去った猫はさっきよりも早く戻って来た。
 
 項垂れていることや、活力のない歩き方からして、結果は聞かなくても瞭然だ。

「……駄目です……一応、こっちを見てはくれたんですけど、気のせいね、の一言で片づけられました。湯呑を見て、茶柱が立ってるわって喜んでましたけど、多分これはどうでもいい情報ですよね」
「どうでも良すぎるわ!!」
 朝陽が苛立たしげに前足で地面を叩く。

「なんでだ!? いくらあやかしだって言ったって、それだけの存在感があれば誰でも気づくはずなのに、お前のおばあちゃん鈍すぎだろ!? ああもう、こうなりゃやけだ、ありったけ注いでやる!!」
「押忍、お願いします!!」
「お兄ちゃん!!」
 銀太が叫ぶが、朝陽は強行した。

 朝陽と猫の身体が太陽のように光り輝く。

 霊力の受け渡しが終わるや否や、ばたっと朝陽が倒れた。

「朝陽さぁあん!!」
「お兄ちゃん!!」
 眩しく光り輝く発光体と化した猫が悲鳴を上げ、銀太が駆け寄る。

「朝陽くん!?」
 美緒は慌てて地面に膝をつき、朝陽を抱え上げた。

 腕の中にいる朝陽は呼びかけのどちらにも反応せず、億劫そうに目だけ動かして猫を見て、

「……行ってこい……」
 震える前足を持ち上げ、家を指した。

「ありがとうございます! 朝陽さんの立派な生き様、忘れません! 後世まで語り継ぎます!!」
 猫が泣き咽ぶ。

「いや……死んでないから……」
 息も絶え絶えなのに、律儀に突っ込む朝陽。

「では、行ってきます!!」
 猫は勢い良く家へ突撃していった。

「おばあさん!!」
「ぎゃあ!? なんだいお前は!? 猫か!? 猫なのかい!? なんだいこのブッサイクなチビ猫は!?」
 家の中からドタバタと騒々しい物音がする。
 どうやら成功したらしい。

「ふ……やってやった……」
 朝陽は満足そうに呟き、がくりと頭を垂れた。

「お兄ちゃん!!」
「朝陽くん! 朝陽くん!!」
 名前を連呼しながら朝陽を揺さぶる。

「美緒……」
 朝陽がうっすらと目を開け、何度か口を開閉させた。
 疲弊のあまり声が出せないようだ。

「何? 頑張って、朝陽くん。何が言いたいの?」
 目を潤ませて尋ねる。

「た……」
「た?」
 首を捻って傾け、耳を近づける。

「……卵を頼む……今日は……鶏《とり》も安い……」
「タイムセールのことはいいから! 卵も鶏も後から姫子ちゃんと買いに行くから! とにかく休みなさい!!」
 叱りつけると、朝陽は今後こそ意識を失った。