「ボクはこの家の招き猫なんですよ。付喪神《つくもがみ》ってやつです。本体は陶器製の置物で、名前はありません」
 美緒たちが簡単な自己紹介を済ませると、猫は朝陽の右手のひらの上で仰向けになってみせた。

 その白い腹には黒の毛筆で『幸せを招くにゃん』と書いてある。
 可愛い肉球のマークつきだ。

「この家のおじいさんとおばあさんは和食の料理屋さんを営んでいて、ボクは長いことその店の玄関に飾られていました」
 猫は起き上がりながら話し続けた。

「小さいお店だったんですが繁盛していたんですよ。ボクを旅行先の雑貨屋さんで買ってから運気が上がり、お客さんが増えたとかで、おじいさんもおばあさんもボクを大切にしてくれて、毎朝布で磨いてくれました。今日も頼むよ、って言いながら頭を撫でてくれたおじいさんの指、いまでも覚えてます。お客さんが出入りする度に揺れる紺色の暖簾も、店の匂いも、お客さんの笑い声も。――懐かしいです」

 猫は本当に懐かしそうな声色で呟いた。

「ひと月前におじいさんが亡くなってしまって、おばあさんは店を畳んだんです。おじいさんとお店を失くしてからというもの、おばあさんは全然笑わなくなってしまいました。そこでボクは思いついたんです。おばあさんはお花が好きで、毎日お店に飾っていました。おじいさんはおばあさんにプロポーズするとき、たくさんのお花をプレゼントしたって言ってました。だから、おじいさんみたいにお花を贈れば、おばあさんは笑うんじゃないかと思ったんですが……うまくいきません。それどころか、毎日毎日玄関に置いてある花を見て、気味悪がってるんですよ……」

 猫は項垂れた。
 丸い背中から哀愁が漂っている。

「なるほど。事情はわかったけど……どうしたものかな」
「わたしたちとおばあさんって、丸っきり縁がないもんね。近所っていうには微妙に遠いし……」
 ここからアパートまでの距離を考えると、近所の者です、とは名乗れそうにない。

「いきなり『招き猫から話を聞いて励ましに来ました』って言っても信じてもらえないだろうな」
 朝陽と美緒は口々に言い合った。

「おばあさんも美緒さんみたいに見える人だったら良かったんですけどねぇ。そしたら、ボクが直接声をかけて、慰めたりできるんですけど。ないものねだりをしたところで仕方ありませんし、どうにかおばあさんと接点を作って、励ましてあげてもらえないでしょうか」
 猫は朝陽の手のひらに前足をつき、ぺこっと頭を下げた。

 朝陽はしばらく猫の後頭部を見つめていた。
 わかった、とも、嫌だ、とも言わない。
 怒っても笑ってもいない、無表情。
 たまに見る顔だ。何かを真剣に考えているときの顔。