放課後になると、朝陽がやってきた。
 彼の右肩には行儀よくお座りした銀太が乗っている。

「昇降口で待ってる」
「うん」
 頷くと、朝陽は教室を出て行った。

 今日は近所のスーパーで夕方のタイムセールを行っている。
 特価の卵は一人一つしか買えないので、一緒に来てほしいと頼まれていた。

 朝陽は毎日美緒のパソコンを開いてスーパーの広告チラシをチェックし、どんな商品もなるべく最安値での購入を心がけている。
 主夫業が完全に板についていた。

「いいなあ芳谷さん。狐坂くんと幼馴染なんて、ほんと羨ましい」
 前の席の女子からそう言われ、美緒は曖昧に笑って受け流した。

 入学前こそ余計な軋轢を避けるために朝陽とはいちクラスメイトとして他人行儀に接しようとしていた美緒だが、姫子に「人の目を気にするなんて馬鹿馬鹿しい」と一刀両断されたため、作戦を変更して「親同士の仲が良い幼馴染」でいくことにした。

 教室を出て階段を下りると、昇降口の隅で朝陽が待っていた。

 開け放たれた扉から吹き込む風を受けて、淡い栗色の髪がそよいでいる。
 視界の端で、別クラスの女子がちらりと朝陽を見た。

 案の定というべきか、入学当初から朝陽は女子の注目の的だ。

(格好良いもんなぁ。こうして人型になってると、本当に、ごく普通の人間にしか見えないし)
 
 靴を履き替え、朝陽に歩み寄る。
「お待たせ。行こう」
 並んで歩き出すと、朝陽を見ていた女子が残念そうな顔をした。
 なんだ、彼女付きか――そう落胆しているのが手に取るようにわかる。

(違うんです。ご心配なさらずとも、朝陽くんとわたしは純粋に友達なので、彼は現在フリーです。ただし正体は狐なので、恋愛対象としては考えないほうが良いんじゃないかと思います。というのも、姫子ちゃんと彼が夜に話していたとき、人間と恋愛をするつもりはないって言ってたの聞いちゃったんですよ。いえ決して盗み聞きじゃありません。わたしがテレビを見てる横で堂々と話してるんですもの、聞こえちゃうじゃないですか。もしあなたが愛に種族は関係ない、狐であろうと愛し抜くと誓えるなら姫子ちゃんみたいに猛アピールしたら振り向く可能性はなきにしもあらずなので、頑張ってみたらいいんじゃないでしょうか。その場合、わたしは潔く身を引きますし、朝陽くんの家財道具一式をお渡ししますので、これからはあなたが養ってあげてくださいね――)

「何をぶつぶつ言ってるんだ? 遠い目をして」
「はっ」
 いつの間にか口に出していたらしい。
 現実に帰還すると、美緒は通りを歩いていた。

 昨日の入学式の朝、姫子が鞄を振り回していた住宅街である。

(あ。あのおばあさん、昨日もいた)

 美緒は小さな家の前にいる老婆に目を留めた。
 玄関先でハルジオンを見下ろし、ため息をついていた老婆は、今日はたんぽぽを右手に持っている。

「……もう。なんだっていうのかしらね」
 老婆は薄気味悪そうに眉をひそめてたんぽぽを落とし、こちらに背を向け、家に戻って行った。

「?」
 どうも様子がおかしい。
 あのハルジオンやたんぽぽは、自分で摘んだものではないのだろうか。

「美緒。銀太。あれ」
 銀太と揃って、美緒は朝陽が指さした方向を見た。
 老婆が立っていた場所から少し離れた縁側の前に、奇妙な猫がいた。

 猫というにはデフォルメが効きすぎた、ずんぐりむっくりな二・五等身の身体。
 上向きに半円を描いた細い目。

 基本色は白で、右耳が淡い茶色、左耳が濃い茶色のぶち猫だ。

 首には赤い首輪と鈴をつけており、体長は十センチほどしかない。
 断じて普通の猫ではない。あやかしだ。

「今日も笑ってくれないかあ。困ったなあ……どんな花をあげれば笑うのかな……やっぱり雑草じゃダメか……でも盗んだら犯罪だしなあ……」

 独りごちていた猫(?)は、家の前で立ち止まっている朝陽と美緒を見て、身体を硬直させた。

 猫が釘付けになっているのは朝陽の左袖から覗く、赤い紐。

「あなたぁ!!」
 猫は身体の割に小さすぎる足を懸命に動かして走り、朝陽の足に縋りついた。

「その紐を持っているということはあやかし相談員ですね? ボクいまとっても困ってるんですよ! 助けてください!」