スーパーで椿の好物のちくわを買い、神社からヨガクレに飛んでみれば、ちょうどヨガクレは夕暮れ時だった。

 温泉街らしき風情ある街並みが赤く染まっている。

(……って、あれ? ここどこ?)
 美緒たちは大きな川の傍に立っていた。
 川沿いに植えられた柳の木が風に揺れ、細い円柱状の花が夕陽のせいで赤く見える。

 暖簾のかかった土産物店で、エプロンを締めた狸が威勢の良い声で野菜の串刺しをろくろ首に勧めている。

 狸の隣では赤い法被《はっぴ》を着た子猿が台に乗り、試食品の小さなケーキを道行くあやかしたちに配っていた。

 子猿の後ろの陳列棚にはケーキのイラストが描かれた箱が山と積まれている。
 箱に表記されたヨガクレの文字は読めないが、イラストからしてチーズケーキのようだ。

 隣の店は中華料理屋なのか、大きな蒸籠《せいろ》が蒸気を噴き上げている。
 頭にタオルを乗せた蛙のカップルが店の前を二本足で歩いていた。

 カップルの頬が湯上りのようにほんのり赤くなっていることからして、やはりここは温泉街らしい。

「ちょいとお姉さん、味見どう?」
「いえっ、遠慮します!」
 引き戻した視線が子猿と合うなりケーキの乗った皿を突き出され、美緒は手を振って後ずさった。

 ヨガクレのものを食べてはいけない、という朝陽の教えはちゃんと覚えている。
 一センチ四方の小さなケーキくらい食べたって平気だろう、と冒険して、一生後悔する羽目にはなりたくない。

「なんでい。美味しいのに。あっ、そこ行く美人さん! お土産にお一つどーお?」
 幸いなことに、子猿の関心は通りがかった女性に移った。

 その隙に美緒は逃げた。
 朝陽と姫子もついてくる。
 朝陽は左肩に駄菓子やちくわの入ったトートバッグを下げ、右肩に銀太を乗せていた。

「ねえ朝陽くん、ここどこ?」
「ヨガクレの北東にある温泉街だ。あの橋の向こうに旅館があるだろう」
 振り返れば、緩やかな弧を描く橋の向こうに立派な旅館が立っていた。

 瓦屋根の木造建築で、五階建て。

「……旅館にしては大きすぎない? お城かと思った」
「あれが尾裂狐《おさきぎつね》が運営する老舗の温泉旅館、『尾裂屋』。他にも色んな旅館があるけど、一番の名物はあそこだな。でも美緒が喜びそうなのはあっち」
 朝陽が指した場所には旅館がいくつかあったが、示したい建物は一目でわかった。

 デフォルメされた可愛らしい雀の像がでんと屋根の上に鎮座する妙な建物がある。

「……遠目だってことを差し引いても、『尾裂屋』に比べて随分と小さいね?」
 というか、そもそも人間が入れそうにないサイズだ。

「小動物のための宿?」
「ああ。あれは雀のお宿だ」

「雀のお宿!? 『舌切り雀』に出てきたやつ!? 中に入ったら豪華な食事が出て来て雀が歌や踊りで歓迎してくれるの!? 最後には大小のつづらの選択が待ってたりする!?」
 食いついた美緒に、朝陽は首を傾げた。

「そこまでのサービスはやってないと思うけど。でも、泊まりたいと予約したら特別な丸薬をくれる。それを飲めばどんなあやかしも一日限定で雀になる」
「何それ行きたい!! 一日雀体験したい空飛んでみたい!!」
 大興奮して言うと、声を上げて朝陽が笑った。

「良枝さんも雀になったらしいよ」
「ええええおばあちゃんずるい! わたしも雀になりたい! 行こういま行こうすぐ行こう!!」
「違うでしょうが」
 元気良く歩き出した美緒は、むんずと首根っこを掴まれ、大きくのけ反った。

 さかさまになった視界に姫子の仏頂面が映る。

「目的を忘れないで。あたしたちがヨガクレに来たのは雀になるためじゃなくて霊草を手に入れるためでしょ! 雀は関係ない、いま全くちっとも関係ないから!!」
「でも……でも……雀……」
 雀になれるという朝陽の言葉はあまりにも魅力的すぎた。

 雀たちが周りを飛び回って『いらっしゃい。私たちと一緒に空を飛びましょう』と誘う幻覚すら見える。

「ええいやかましい! 行くわよ!!」
「ああああ……」
 美緒は華奢な外見に似合わず怪力な姫子に引きずられ、泣く泣く一日雀体験を諦めたのだった。