「幽子さん?」
「幽霊の女の子だから幽子さん」
 銀太は尻尾を振り、平然とそう言った。

 随分と安直なネーミングだがそれで良いのだろうか。
 美少女に視線を向けると、彼女は立ち上がり、頷いた。

「あなたもそう呼んでくれていいわ。その代わり、私も美緒ちゃん、と呼ばせてもらっていいかしら?」
「はい。どうぞ」

「ありがとう。可愛い女の子と狐と話せて、今日は幸せな日ね。なにせ私、幽霊でしょう? 話し相手がいなくて退屈だったの。気が向いたときにでも、また遊びに来てくれると嬉しいわ。私、学校のどこかにいるから」
 幽子は風になびく髪を片手で押さえた。
 辺りに遮蔽物がないため、風向きによっては非常階段にはまともに風が吹きつける。

「幽子さんは、学校から出られないんですか?」
「ええ。どうも見えない境界があるみたいで、敷地外には行けないの。一度だけ強引に突破しようとしたことがあるのだけれど、意識を失ってしまったから、それ以来、おとなしくしてるの。自分の存在が消えてしまいそうで、なんだか恐ろしいし……幽霊が消滅を怖がるのはいけないことかしら?」

「いいえ」
 美緒は幽霊としてでも銀太に傍にいて欲しいと思った。
 他人に迷惑をかける幽霊なら除霊を検討すべきなのかもしれないが、人畜無害な幽霊が存在したって罰は当たるまい。

「ありがとう。気を付けて帰ってね。また会える日を楽しみにしているわ」
 幽子は背後で手を組み、風に艶やかな黒髪を舞わせながら、ふわりと微笑んだ。


 帰る道すがら、美緒たちは三人で話し合っていた。

「天野って、見える側の人間なのかもな」
 優が特別校舎の非常階段に行くようにアドバイスしてくれたこと、そこで銀太と幽子に会ったことを報告すると、朝陽は神妙な顔で呟いた。

「姫子が自分は鯉だって告白したときも、そこまで驚いてたように見えなかったし。いくら姫子が泣いて、必死で訴えたとはいえ、物分かりが良すぎると思ったんだよな。普通の人間ならああはいかないだろ。何言ってんだ頭大丈夫か、で終わりそうなものを、あいつは真顔で受け入れてた」

 朝陽の頭の上にいる銀太が後ろ足で顎を掻いているものだから、美緒は朝陽の発言内容よりもそちらのほうに気を取られていた。
 こんなに可愛いのに、携帯を構えても映らないのが悔やまれる。

「優くんは度量が大きいのよ。普通の人間じゃないの。今日のことで惚れ直したわ。本当に素敵な人。あたしの目に狂いはなかった。一生ついてくわ」

 姫子は電信柱の前で鞄を一回転させた。
 優が『人になれば付き合う』と約束したことで完全に舞い上がっている。

「でも、姫子ちゃん。人になるって、どうやるの? 鯉が完全に人になれるものなの?」
「それよ!」
 姫子は待ってましたとばかりに目を煌かせた。

「心当たりがあるの! あたし、アマネ様の屋敷で読み書きを教わったりしながら、ずーっと人になる方法を調べ続けてたの! そしたら興味深い話があったわ! 烏天狗が守る南の山には霊草が生えていて、その草を煎じて飲めば人になれるんだって!」

「知っててまだ手に入れてないってことは、何か問題があるんだな?」
「……うん。霊草はとても貴重で、物凄く高いらしいの」
 姫子は塩をかけられた青菜のように、しゅん、と頭を垂れた。

「いくら?」
 朝陽の問いに、姫子は蚊の鳴くような声で言った。

「『天狐金貨』で100枚……とか……」
「天狐100枚ってお前……」
「無理じゃない……?」
 朝陽は絶句し、銀太は朝陽の頭上で不安げに呟いた。

「……どれくらいなの?」
 ヨガクレのお金の価値がわからずに尋ねると、朝陽は渋面で言った。

「ヨガクレでは家一軒買える」
「家一軒!? そんなのどうやって……」
 現世の駄菓子は当然通用しないだろう。門前払いが関の山だ。

 重い沈黙。

「……と、とりあえず、ヨガクレに行ってみて、どうにか交渉できないか試してみようよ」
 ダメ元で。という言葉は姫子に配慮して飲み込んだ。