不思議に思いながらも、美緒は優の言葉に従い、特別校舎の脇にある非常階段に向かった。

 澄み渡る青空の下、優しい春風が吹く非常階段の最上階。
 そこには銀太だけではなく、一人の女子生徒もいた。

 長い髪を腰まで伸ばした、凛とした気品のある美少女だった。
 右目の下に泣きぼくろのある美少女は非常扉の前に座り、銀太を抱いていた。

 銀太は寝ているらしく、目を閉じて丸くなっている。

「あら。あなた、私が見えるのね」

 美少女は座ったまま美緒を見上げて柔らかく微笑んだ。
 驚きのあまり返答できない。

(幽霊……だ、この人)
 陽光が降り注いでいるというのに、この場に伸びる影は美緒のもの一つだけ。

 彼女の髪や、銀太の白い毛は、陽光に透けているではないか。
 何より彼女はしっかりと銀太を抱いている。

「ご用件は何かしら?」
「えっと……銀太くんを探していて……」
 さまよわせていた視線を銀太に固定して言うと、美少女は「ああ」と納得したような声をあげた。

「この子、あなたの狐だったのね。狐が迷い込んでくるなんて初めてだったから、驚いたわ。この子も同じ幽霊と出会ったのは初めてみたいで、嬉しそうに色々話してくれたの。じゃあ、あなたが美緒ちゃんかしら?」

「はい。芳谷美緒っていいます。あの、でも、銀太くんはわたしが飼ってるわけじゃなくて、大事な友達なんです」
「狐と人が?」
 小首を傾げた美少女に、美緒は強く頷いた。決して銀太はペットではない。

「はい。不思議に思うかもしれませんが、事実です。ところで、名前を聞いてもいいですか?」
「それ、この子にも聞かれたんだけど。残念ながらわからないのよ。名前も、年も、どうしてここにいるのかも」
 美少女は小さく頭を振った。

「気づいたらここにいたの。誰かに伝えたいことがあったはずなんだけど、それが何なのかすら忘れてしまった」
 美少女は寂しそうに、アーモンド形の目を細めた。

「この姿だって自分のものじゃないのよ。たまたま綺麗な子を見かけたから、その姿を真似しているだけ。本当はあなたよりうんと年上の男なのかもしれないわね」
「えっ」
「ふふ」
 驚く様がおかしかったらしく、美少女の幽霊は笑った。

「私は自分が誰なのかすら忘れた、名無しの幽霊なの。幽霊だけど、悪霊ではないから安心してね。誰かに危害を加えようとか、世界を改変しようとか、そんな大それたこと考えたこともないわ。クラゲみたいにふわふわ漂って、ただここにいるだけの幽霊よ。だから警戒しないでちょうだい」

「……はい」
 危険な幽霊なら、銀太が無防備に眠ったりはしないだろう。
 勇気を出して、美緒は彼女に一歩近づいた。

「わたし、新入生なんです。入学式が終わったので、銀太くんと一緒に帰ろうと思ってたんですけど……」
「そう。銀太くん。お友達が迎えに来たわよ」
 美少女は銀太の頭を撫でて起こした。

「あ、美緒。お話終わったの?」
 銀太は前足で目を擦った。

「うん。朝陽くんも待ってるよ。帰ろう」
「わかった。じゃあね、幽子《ゆうこ》さん」
 銀太は身軽に美少女の腕の中から飛び降り、美緒の肩の上に移動した。