「闘技場の壁にめり込んだ大鬼を見て、会場は静まり返ったっすよ。あの決闘はヨガクレでの良枝さんの立場を確固たるものにしたっす。大鬼の横暴に苦しめられていたあやかしたちの心を鷲掴みっす。良枝さんはそのきっぷの良さと腕っぷしの強さでどんどん味方を増やしていった。やがてアマネ様にも認められ、あやかし相談員になったっす。亡くなったいまでも良枝さんを慕うあやかしは多いっすよ。それと同時に良枝さんを畏怖するあやかしも。困ったときは『私は良枝の孫だ』って言ってやりゃあいいっす。効果は絶大っす、きっと」

「あはは。そうですね。困ったときはそうします」
 親の七光りならぬ祖母の七光りだが、美緒はごく普通の女子で、祖母のように武術の心得があるわけでもない。使えるものは使わせてもらおう。

「話は終わったか?」
 朝陽が歩いてきた。
 火の玉は既に戻り、再び夜を照らす外灯として働いている。

 駄菓子を食べたことで元気になったのか、火の勢いが以前より強くなっていた。

「うん。朝陽くんもおばあちゃんの伝説、知ってたの?」
「まあな。美緒の居場所を聞いて回った過程で色々と」
「そっか」

「ほんじゃー、オイラも仕事するっす。二人とも乗るっすよ」
 くいくい、と椿が背中を指差す。

「お礼は何がいいですか。有名な駄菓子は一通り揃えてきましたけど」
 朝陽がトートバッグに手をかけたが、椿は頭を振った。

「要らないっす。美緒ちゃんとの再会祝いで特別ご奉仕っす。でも次からはちくわ一本要求したいっす」
「ちくわですか。わかりました、用意しておきます」
 朝陽がトートバッグを肩にかけ直して、椿の背に乗る。

 続いて後ろにまたがり、肩を掴んで良いか尋ねると、朝陽は快く了承してくれた。


 椿はゆっくり空を飛んでくれた。
 優しい春の夜風を全身に浴びながら、満天の星空の下、桜に彩られた街並みを見下ろす。

 眼下に広がる風景の中には中華風の宮殿もあり、楼閣もあり、ヨーロッパ風の薔薇園もある。

 しかし不思議と調和が取れ、独特の情緒を醸し出していた。

 遊覧飛行中、椿はヨガクレについて教えてくれた。
 ヨガクレは常春で、一年中桜が咲いていること。
 朝には陽が上るが現世ほど強い光ではなく、大抵のあやかしは眠ること。

 祖母との一件により権威が失墜し、いまではすっかりなりを潜めた大鬼の一派。南の山を縄張りにしている烏天狗、川に棲む河童、旅館を経営している狐、商店街の会長をしている狸、等々。
 椿の話はどれも興味深いものばかりだった。

「着いたっす。ここがアマネ様のお屋敷っす」
 やがて椿は大きな屋敷の前に下りた。
 立派な石垣に囲まれたその屋敷は、旅館か何かかと見間違えるほどに大きな三階建てだ。

 屋敷は山の中腹にあり、反対側に神社があるのが上空から見えた。 

「そんじゃオイラはここでオサラバするっすね。もしまたオイラの背に乗って空を飛びたいときは、合図に火の玉で三回円を描いて止まってを繰り返してほしいっす。見つけたら最優先で運んであげるっす」

 椿の左目が上向きに弧を描き、右目が横線一本になった。
 これは一反木綿流のウィンクなのだろう。美緒は頬を緩めた。

「ありがとうございます。お話もとっても楽しかったです。また会いましょう、椿さん」
「はいっす。そんじゃまたっす」
 右手で敬礼のポーズを取り、椿は空を上って行った。

 その姿を見守る美緒の耳に、朝陽の「うわ」という驚きの声が飛び込んできた。

 振り返れば、屋敷の門の前に、背広を着た細身の男性がいた。
 月明りに照らされたその姿は、オールバックにした銀髪をうなじで結い、口髭を蓄えた老紳士。瞳は炎のように赤く、夜に煌いている。

 彼の頭からは銀色の猫耳が突き出していた。

「驚かせてしまったようで失礼。わたくしはアマネ様に仕える執事でございます。名をご所望でしたらカガリとお呼びください。篝火の篝と書きます」
 篝は優雅に一礼した。

「前触れもなきご訪問でした故、用件を伺いに参りました。して、あなた方はどうしてここにおられるのですかな?」