「椿さん! 椿さんですよね!? お久しぶりです!」
「おおっ!? そういうキミは美緒ちゃんじゃないっすか! 久しぶりっすー!」

 一反木綿――椿がぺらぺらな両手の手のひらを向けてきたため、潰さないように注意してその薄い両手を握り、上下に振って再会を喜び合う。

「知り合いか?」
「うん。何度かうちのお茶会に参加してくれた一反木綿さん。引っ越すとき、飛んで会いに行くって言ってくれたのも椿さんだよ」
 手のひら全体で椿を示す。

「初めましてっす。オイラ椿っていいます。以後よろしくっす。もしかしてアナタが銀太くんっすか? 美緒ちゃんの探してた」
 椿がふよふよと漂い、朝陽に近づく。

「いえ。おれは銀太の兄で朝陽といいます。銀太は一年前に亡くなりました」
「そうか、それは残念っすね……お悔やみ申し上げるっす」
 椿がぺらりと動いて頭を下げると、朝陽も会釈を返した。

「しかし、なんで美緒ちゃんがヨガクレにいるんすか? 良枝さんに来るように言われたんすか?」
「いえ、亡くなる前に銀太くんがあやかしの相談員になりたいと言ってたみたいなので、わたしもその夢を叶えたいと思って、朝陽くんに連れて来てもらったんです。おばあちゃんがここに来たことがあるって知ってたんですか?」

「知ってるも何も。四十年以上生きてるあやかしで良枝さんを知らない奴なんていないすよ。伝説の人っす」

「伝説の人?」
「おい、礼は。礼を忘れとるぞ狐。話なら後でせい」
 火の玉に催促されて、朝陽は美緒たちから数歩離れ、駄菓子の袋を開けた。

 植物に水でもやるように、包装紙を傾けて中身の駄菓子を火の玉に注ぐ。
 宙に浮いた火の玉は欠片も零すことなく、大きく開けた口でキャッチしている。
 そんな光景の前で、椿は教えてくれた。

「良枝さんが初めてヨガクレに来たのは十五歳、ちょうどいまの美緒ちゃんと同じ年っすね。良枝さんをここに導いたのは鬼の娘さんって聞きましたっす。鬼の娘は邪智暴虐の大鬼に見初められ、意に沿わぬ結婚を強いられそうになっていたそうっす。良枝さんは大鬼の屋敷に単身赴いて、行く手を阻む大鬼の手下を片っ端から殴り飛ばし、決闘を申し込んだっす。もしも私が勝ったら友達から手を引け、との条件でね」
 椿は両手を開げた。

「人間の小娘が大鬼に決闘を申し込んだという噂は瞬く間に広がり、決戦当日、闘技場には多くのあやかしが詰めかけたっすよ。オイラもその中にいたんすけど、ほとんどのあやかしは良枝さんを敵視し、酷い野次や物が飛んだっす。でも、良枝さんは怯むどころか『いま物投げた奴、後でシメるから覚悟しとけよ』って脅して、凶悪な眼光であやかしたちを黙らせたっす。審判の烏天狗が『始め!』と羽団扇を下ろすや否や、良枝さんは自分の背丈の二倍はある大鬼を腰の入った素晴らしい一撃で殴り飛ばした。いまでも覚えてるなぁ、跳ね上がった大鬼の顔面に繰り出された猛烈な殴打。そして良枝さんは天高く飛翔し、鮮やかな後ろ回り蹴りを決めたっす!」

 椿は何度も空中を殴る動作をし、その場で回転して布地の先端を勇ましく振った。

(お父さんもそれくらいやられたのかなぁ……)
 椿を通して在りし日の祖母を見ながら思う。

 美緒の父は母が美緒を妊娠中に浮気した。

 母はショックで卒倒し、危うく流産しかけた。
 当然、祖母の怒りは凄まじかった。

 現場に居合わせた叔母の話によれば、祖母は見苦しく言い訳する父をタコ殴りにして家から叩き出し、塩をまいたという。

 相場よりも遥かに高い慰謝料をむしり取っての離婚が成立した後、父の写真や思い出の品の一切を焼却したのも祖母だ。

 美緒が父の顔を知らないのはそのせいである。

 豪放磊落で怪力無双。曲がったことが大嫌いな正義の人。弱者の味方。
 そんな祖母を慕う人間は多く、葬式では会場に人が溢れ、椿を始めとするあやかしたちも駆けつけてくれた。