(あ、可愛い)
 相好を崩し、近づいて屈んだ途端、小動物は茂みの裏に隠れてしまった。

 諦めて朝陽のもとに引き返した美緒の目に、空を飛ぶ二匹の鯉のぼりが映った。
 暗いのでわかりにくいが、色は黒と赤のようだ。
 さしずめお父さん鯉のぼりとお母さん鯉のぼりというところか。

(あ、二匹の真ん中にもう一匹小さい鯉のぼりがいた。子どもかな?)

 鯉のぼりは空を泳ぎながら、家族で会話していた。
 黒い鯉のぼりが何か面白いことを言ったらしく、赤い鯉のぼりがのけ反って笑っている。

「鯉のぼりが空を飛んで、動物たちが喋ってるよ」
 傍に行って報告すると、朝陽は笑った。

「これがヨガクレ、あやかしや神が住まう場所だ。人間の常識なんて通用しないぞ。観光したいならしばらく辺りを見て回るか?」

「ううん、もう大丈夫。ありがとう。アマネ様に会いに行こう」
「了解。歩いて行ってもいいけれど、せっかくだから一反木綿に乗ってみるか?」

「乗ってみたい!」
 好奇心旺盛な美緒は、目を輝かせて即答した。

「それじゃこっち」
 朝陽が足のつま先の方向を変えて歩き出す。

「おれから離れるなよ。ほとんどのあやかしは人畜無害なんだが、たまに厄介な奴もいるからな。七年前に身を持って知っただろうけど」
「うん」
 もしまた巨漢のあやかしのような危険な奴に出会うことがあれば、全力で逃げよう。

「あと、どんなに勧められても、ヨガクレで作られたものを食べてはいけない。古事記の黄泉戸喫《ヨモツヘグイ》を知らないか? 黄泉の国のものを食べると、黄泉の国の住人になり、現世に戻れなくなる、ってやつ。そこまでの影響力はないと思うが、ヨガクレのものを人間が食べたらどうなるか、おれは知らないし、警戒するに越したことはない。一生ここで過ごすなんて嫌だろう?」

「嫌だよ。せっかく苦労して高校にも受かったのに」
 美緒は青くなった。

「わかった、ここで出された食べ物は絶対食べない」
「賢明だ」
 朝陽は頷き、近くにあった外灯の前で立ち止まった。

「おい火の玉。力を貸してくれ」
 朝陽が外灯に呼びかけると、中で踊っていた火の玉が踊りを止めた。

 火の玉からにゅるんと手が伸びて、外灯の蓋を開け、朝陽の前に下りてくる。

「なんじゃ小僧。人に化けるのが随分とうまいな。狐か、狸か」
 火の玉は老人のようにしゃがれた声で喋った。
 顔もないのにどこから喋っているのか不明である。

「狐だよ」
 証明するように朝陽の頭から狐の耳が生え、すぐに引っ込んで消えた。

(完全に狐の姿になるだけじゃなくて、耳も出せるんだ)
 新発見だ。その気になれば尻尾も出せたりするのだろうか。ちょっと――いや、かなり――見てみたい。

「ふむ。小娘も狐か?」
「ええと、わたしは……」
「彼女も狐だよ」
 返答に窮した美緒の代わりに、朝陽がさらりと嘘を吐く。

「そんなことはいいから、一反木綿を呼びたいんだ。空で客待ちをしている彼らに見えるように、くるりと大きく回ってくれないか」

 言いながら、朝陽はトートバッグからスナック菓子を取り出した。
 包装紙には激辛ハバネロ味と書いてあり、可愛くデフォルメされたどくろマークがついている。
 辛いものが苦手な美緒にとっては、手を出す気にもならない品物だ。

「おお、それは、現世の菓子ではないか! しかもその絵は唐辛子じゃな!? わし好みのからーいやつじゃな!?」
 歓喜を示すように、火の玉がくるくる踊った。

(なるほど。駄菓子はあやかしにお願いをするときの取引材料ってわけだ)
 やり取りを見ながら、美緒は納得した。
 ショッピングモールで珍しく朝陽が買ってほしいと頼んできたのは、このためだったらしい。

「回ってくれるならお礼にやるよ。一袋全部」
「一袋全部!? よし任せろ! 待っておれ!」
 嬉々として火の玉は上昇し、大きく円を描いて飛んだ。

 回る火の玉を上空から見つけたらしく、しばらくして、空から真っ黒な一反木綿が下りてきた。

「どうもどうも~! 木綿便をご利用でしょうか?」
 一反木綿の目は横線一本で表せるほど細かった。
 真っ黒な手で揉み手をしている。

 全身黒だとばかり思っていたが、美緒の目線より下降したその背面には、赤い椿の模様が描かれていた。

 色鮮やかな椿を見て、美緒は目を見開いた。