「……じゃあ、朝陽さんも近くで暮らす予定なんですか? わたしは二丁目に越してきたんですけど」
 アパートの所在地を教えると、朝陽は言った。

「おれは三丁目のアパートに住む予定だった」
「三丁目ですか。そういえば、あの辺りで火事があったってニュースになってましたね。わたしが引っ越してくる前日でしたか……ん? ちょっと待って、いま住む予定『だった』って言いました?」
 何故に過去形なのか、と訝り、美緒はその可能性に思い当たって愕然とした。
「……まさか」

「ああ。それがおれの住む予定だったアパートだ」
「えええええ!?」
 またしてもすっとんきょうな声が美緒の口から迸った。

「あのアパートはあやかし専用のアパートでな。その日は新しく入居してきた輪入道《わにゅうどう》の歓迎会が開かれていたらしい。アパートの住民たちが無駄に酒豪揃いだったせいで、輪入道も浴びるほど酒を飲まされた。輪入道は酔っ払い、大暴れした。結果があの大惨事だ。まさか引っ越し初日で棲み処を失うとは思わなかった」
 遠い目をして語る朝陽。

「輪入道といえば、炎に包まれた車輪に顔のあるあやかしですよね。見ただけで死ぬなんて逸話もある怖い妖怪が、酔っぱらって暴れたんですか? イメージが全然違うんですけども……」
 銀太と会ってからというもの、美緒はあやかしに関する書物を読みふけった。

 あやかしの相談員をしていたからか、祖母はそういった類の本をたくさん所有していたし、せがめば若い頃に関わったあやかしたちの話をしてくれた。

 おかげで美緒は知識を蓄え、有名なあやかしならば調べずとも諳んじることができる。

「イメージと言われても。それが事実だから」
 朝陽の返答は実にあっさりとしたものだった。

「そ、そうですか……でも、それじゃあ、朝陽さんは家を失って、いまどこで暮らしてるんですか?」
「ここ」
「ここおぉ!?」
 本日三度目の奇声。

「ここって公園じゃないですか!?」
 だから朝陽はここを話し合う場所にしたのだろうか。
 文字通りここを家《ホーム》にしているから。

「ああ。水道もあるし、タコの遊具が寝床にちょうど良い」
 美緒は絶句した。
 ここに来るまでに見かけたタコの形の遊具を脳裏に思い描く。
 巨大なタコの足の部分が滑り台になっており、いまも子どもたちが遊んでいるはずだ。

「タコの頭部は丸く繰り抜かれた構造になっているから、中に入れば雨風は凌げる。寝る場所なんて、屋根があれば十分だ。何の問題もない」
 朝陽は事もなげに言う。

(そ、そりゃあ、狐の姿に戻ればあの狭い遊具のスペースでも広く感じるだろうし、野生の狐なら屋根があれば十分なのかもしれないけど……けど……!!)

 いくら体毛に覆われているとはいえ、季節はまだ肌寒い春。
 一匹の狐が夜空の下、震えながら丸まる光景を想像し、美緒は拳を握って力説した。

「だめですよそんなの! 野宿なんて、身体に悪いですし、危険ですよ! 世の中にはたちの悪い人間だってたくさんいるんですから! あやかしが見える人が善人とは限りません! 乱暴されたらどうするんですか! ううん、危ないのは人間だけじゃないですよ! 銀太くんみたいにカラスに襲われたり、猫に襲われたりしたら」
「大丈夫だ。噛み千切る」
「逞しいッ!?」
 顎を引いて断言した朝陽にノリ突っ込みしてしまい、美緒はこほんと咳払い。

 いけない。朝陽のペースに惑わされては話がすすまない。
 とにかくこの狐を説得しなくては。

「……とにかく、だめです。人間として暮らすなら、最低限の衣食住の確保は基本です。荷物とかはどうしてるんです?」
「何もない。全焼したからな」
 美緒は目頭を覆った。
 人間としての新生活スタート初日に全てを失うなんて、あまりにも不幸すぎる。

「……お金は?」
「あと三十二円ある」
「………………」

(違う。そこは、あと三十二円『ある』じゃなくて『しかない』だよ……駄菓子くらいしか買えないじゃない……公園で暮らすしかないわけだ……)

 美緒は溢れた涙を拭い、考えを巡らせた。

 美緒は一人暮らし。
 アパートの間取りは1LDK。

(リビングと洋室で寝る部屋をわければ大丈夫……かなぁ……)
 狐とはいえ、相手は異性で、人の姿を取れる。
 初対面の相手と同居するリスクと、彼の不憫な境遇を天秤にかける。

 脳裏に笑顔の銀太が浮かんだ。
 大好きな兄の現状を知ったら、銀太はきっと泣くだろう。

(…………………………。……よし)
 美緒は覚悟を決めて頷き、片手をあげた。

「衣食住の全てを解決する画期的な提案があります。――わたしと一緒に暮らしましょう」