「お疲れ」
 二階の観客席で、由真はカメラを手に、体育館の光景を切り取っていた。バスケの試合は激しい動きが多く、シャッターを切る瞬間に全神経を集中させる。観客席の空気は少しひんやりしていて、静かに響くボールの音と練習している生徒たちの息遣い掛け声が響いてくる。今日も、来てしまった…
「お疲れ様です」
 由真はカメラを脇に置き、少し驚きながらも頭を下げる
「今日、お昼無理に誘って悪かったな」
「いえ、嬉しかったです」
 由真は言葉に詰まりながらも、続ける。
「仲良かった友達と離れてしまって、部室で、一人で食べてて、今日はその…」
 泉太郎と離れてしまったことで、昼休みが急に長く、静かな時間に変わってしまった。それを思い出すと、胸が少し締め付けられる。だから、今日は、橘くんが誘ってくれて嬉しかったし、楽しかった。
「そっか。じゃあ、明日も一緒にどう?」
「でも、申し訳ないですし」
 由真は少し遠慮がちに言葉を返す。
 やはり、気を使わせてしまっているような気がしていた。こんな僕に構っても何のメリットだってないはずなのに…。
「そんなこと気にすんな」
 晴陽は軽く由真の肩を叩き、その動作に合わせて彼の頬がわずかに緩む。彼の笑顔は温かく、少しだけ心が軽くなった気がした。
「じゃあ、お言葉に甘えて。お願いします」
 由真は頬を緩めながら、頭を下げる。
「晴陽、休憩終わるよ」
 下から、功祐の声が響く。
「おぉ」
 晴陽が手を挙げて応える。溜息を一つつき、由真に視線を向け、口を開く。
「月くんは可愛いな」
 その言葉を聞いた瞬間、由真の頭の中が一瞬真っ白になった。真っ白と言うか、あまりの眩さに目がくらんでしまう。
 え、可愛い? 聞き間違え、いや、空耳だ。
「じゃあ」
 晴陽は軽く手を挙げて、階段を降りていく。
 由真は自分の顔に触れ、ムンクの叫びポーズを無意識にしていた。こんなのが可愛いはずない。空耳、気のせいと頭の中に叩きこむ。再びカメラを手に取り、無理やり集中しようとした。でも、心の中では、晴陽の「可愛い」という言葉が何度もこだましていた。    
 その日の撮影は、集中できなかった。こんなの初めてだ。レンズの前にいる時は、眩い瞬間を切り抜けるように、頭の中を空っぽして、心に委ねて、シャッターを押すことができるのに、今日はどうしても邪念が頭の中でうろうろして集中が出来なかった。

 今日もバスケ部の練習が終わる最後まで、体育館にいてしまった…