カラオケ喫茶「コッコ」のドアをくぐると、店内には温かな光と香ばしいコーヒーの香りが漂っていた。二月下旬、冬の寒さはまだ続いているものの、空気のどこかに春の気配が混ざり始めていた。薄曇りの日も多いが、時折り晴れ間から差し込む陽光が雪や氷を緩やかに解かし、街中の影が少しずつ淡くなっていった。窓際の席に集まった由真、功祐、漣、しずく、来夏、メリッサ、泉太郎が顔を見合わせ、少し照れたような笑顔を浮かべている。
「これで、全員、進路決まったね」
 しずくがしみじみとした口調で言うと、皆も安堵の表情を浮かべて頷く。
「メリッサは?」
 来夏が興味津々に聞く。
「阪大の外国語学部行く」
 髪を一つに括りながら答える。
「泉太郎は?」
 しずくが、ついでに質問する。
「功祐と同じ法成大学の経済学部」
 泉太郎が答えると、功祐と肩を組み始める。
「来夏は?」
 メリッサが最後に、来夏について聞く。
「製菓専門学校に行ってパティシエ目指す」
「かっこいい! そいう言えば、来夏ちゃんのお菓子美味しかったもんな」
 泉太郎が、お腹空かせている時に、きびだんごのように渡された来夏手作りのクッキーを思い出しながら呟く。
「じゃあ、功祐、乾杯の音頭取っていいよ」
 しずくは、泉太郎の手から功祐を剥がし、お立ち台に上がらせる。
「皆、進路決定おめでとう!」
 功祐が少し大きめの声で言い、グラスを持ち上げる。それに続いて、他のメンバーも笑いながら乾杯のポーズをとった。
「はーい。これ、サービスね」
 心海が、大きなピザを三枚とナポリタンと明太子パスタとから揚げと山盛りのサラダを用意する。
「ありがとう! 心海さん」
「どういたしまして! 今日は貸し切りだから気がすむまで盛り上がっちゃって」
「はーい」
 お昼前に集合し、時計の針を見ると五時を指そうとしていた。
「最後に写真撮ろう!」
 しずくの提案で、皆で写真を撮ることになった。由真は、今日のお疲れ様パーティーを持ってきたカメラで写真に収めていたので、最後の集合写真も撮ろうと、机の上に置いたカメラを手にしようとする。
「待って。由真くん」
 由真の手を止める。
「由真がカメラマンだと、由真も映れないでしょ」
 功祐がしずくに続き、理由を説明する。
「そうだよ。由真」
「分かった」
「私、自撮り棒持ってきているからスマホで撮ろう!」
「了解!」
 心海も入れて、7人で集合写真を撮り、会はお開きになった。
 ここに、橘くんもいたらなぁと心の中に空いた穴が広がる。
「じゃあな。次は卒業式!」
「功祐、漣、また!」
 いつの間にか、「ツッキー」「月くん」から呼び方が変わっていた。それと同時に、苗字+さん、くん付で呼んでいた由真も名前で呼ぶようになった。晴陽を除いて……。

「由真くん」「由真」
 功祐としずくさんとメリッサさん、来夏さんに呼び止められる。
 女子はまだ、呼び捨てで呼ぶのに違和感があるため、さん付けで呼んでしまっているが…むしろ、三人は、この呼び方を気に入っているようだった。
「晴陽とは最近どうなのよ」
 しずくが容疑者を問い詰める刑事のような目をしている。
「しずくさん、どうしたんですか…橘くんとは、11月に教室前で少し会話してから会ってません」
「そうなんだ」「あいつめ」
 来夏とメリッサが晴陽に対し睨みを利かせる。
「晴陽は、由真くんのことを嫌いになったわけじゃないんだ。むしろ、晴陽は由真くんのこと守っていた」
「えっ⁉」
「実はさ、晴陽のSNSのアカウントに、由真くんの悪口が何度か送られていたらしい。晴陽は、ファンが多いから、嫉妬したファンの暴走だと思い、晴陽はブロックして、対処していたみたいだけど、突然そう言ったメッセージがなくなったから安心しきっていたら、由真くんが刺される前日に由真くんの盗撮写真が送られてきて、さすがに悪質だと思って、試合が終わってから警察に相談しに行こうとしていたらしい。それで、由真くんが刺されてしまった」
「そりゃあ、自責の念に駆られるよね、晴陽」
 来夏が、ゆっくり頷く。
「晴陽の様子がおかしいなと思って、漣と一緒に話を聞いたら、打ち明けてくれた。由真くんも下駄箱に脅迫状入れられていたみたいだったから、晴陽はこれ以上、由真くんに近づかない方がいいと距離を取ることにした」
 しずくの表情が少しずつ陰りを見せていく。
「そうだったんだ」
 何も知らなかった。僕のせいで、迷惑をかけてしまった。
「でも、その犯人、捕まったんだ。お兄ちゃんが実は密かに捜査していたんだ」
「しずくの8歳年上のお兄ちゃんが刑事なんだ」
 来夏が補足説明をする。
「お兄ちゃんの協力の甲斐あって、晴陽のSNSに誹謗中傷していた人を導き出せた。その人は、晴陽のファンのおばさんだった」
「コンビニでパートとして働いている」
 来夏は、再び補足説明をする。
「でも、脅迫状は…」
「確かに、学校関係者ではないおばさんが、由真の靴箱に脅迫状入れるの無理あるよな」
 メリッサが由真の疑問を代弁する。
「実は、脅迫状の犯人は別にいる」
「えっ⁉」
 思わず由真とメリッサは、目玉が飛び出そうになる。
「誹謗中傷をしていたおばさんの娘が星稜高校に通っている。しかも、同じ三年生。クラスは違うけど」
 しずくが、そんな二人の様子を横目で見ながら続ける。
「その子は、晴陽に一年生の終わりに告白され、振られたことを根に持っていて、仲睦まじそうにしていた由真くんに恨みを持っていたらしく、犯行に及んだらしい」
「じゃあ、由真を刺したのは、その同級生の女の子」
「うん」
「女の子は白状したけど、まだ、おばさんは黙秘を続けている。でも、このおばさんの余罪が見つかり、近いうちに立件されると思う」
「そうなんだ」
 由真は、犯人が捕まり、ほっとする。何だか肩の力が軽くなったかのようだった。
「だからさ、晴陽と向き合いな。由真くん」
 しずくは、由真の肩をポンと叩く。
「そうだよ」
 来夏とメリッサも大きく頷く。
「由真くんは、晴陽のこと、どう思っているの?」
 しずくがストレートに疑問を呈する。
「す、好き」
 由真は頬を染める。その姿を見て、しずくと来夏、そして、メリッサまでもが、言葉にはしないものの心の中で足踏みをするほど、感情を昂らせていた。
「じゃあ、後悔しないように前に突き進むのみ!」
「もう邪魔する輩はいないんだから」
「What will be, will be!」
 ポカーンと口を開けるしずくは、意味を聞く。
「メリッサ、どういう意味?」
「なるようになるさ」
「あーね」
 しずくと来夏は顔を合わせて、首を縦に振って、このフレーズを繰り返していた。