ウィンター杯は、全国の高校バスケ部が集まる冬の大舞台であり、選手たちにとって特別な緊張感と高揚感が入り交じる場所だ。会場に足を踏み入れた瞬間、晴陽や功祐、漣たちはその熱気と独特な重さを肌で感じ取っていた。コートを見下ろす大きな観客席は、全国から駆けつけた応援団で埋め尽くされ、声援と拍手が絶え間なく響き渡っている。会場全体が震えるようなその応援の熱量が、まるで音の波のように選手たちの体に押し寄せてくる。
 観客席の一角に陣取り、由真はバスケ部の応援とともに、カメラマンとして真剣な表情でファインダーを覗き込んでいた。晴陽や功祐、漣たちがコート上で動くたび、由真はシャッターを切り、彼らの瞬間を写真に収める。その姿はまるで、バスケ部の一員として彼自身も一緒に戦っているようだった。
 緊張が張り詰める試合の中で、晴陽がスピーディーなドリブルで相手を抜けると、由真は思わず息を飲みながらその瞬間をフレームに収める。コート脇で功祐が高くジャンプしてリバウンドをとるたびに、由真の手も自然と止まり、瞬間の力強さに見入ってしまう。
 そして得点が決まる瞬間、由真の胸にも喜びが弾ける。ファインダー越しに、ゴール下でガッツポーズをする晴陽や功祐の表情が一瞬だけアップで捉えられた。気づけば由真の口元にも笑みが浮かび、心の中で「ナイスパス、ナイスシュート」とシャッターを押すたびに、エールを送っていた。

 けれど、試合が進むにつれて、相手チームも猛追してくると、由真の指が少しずつ緊張でこわばっていく。残り時間が少ない中、ピリピリとした緊迫感に、由真はシャッターを切る手を止められない。バスケ部の仲間たちと過ごしてきた日々が頭をよぎり、「絶対にこの瞬間を逃したくない」と心の中で強く願っていた。


「お疲れ様でした。乾杯」
 コップがぶつかり合う音が空間に割り込む。
「皆、試合どうだったの?」
 カラオケ喫茶コッコのオーナーである清水心海(ここみ)が、料理を運びながら訪ねる。
 この店の外観はどこか懐かしい昭和レトロな雰囲気で、ネオンの看板に手書き風のカタカナで「コッコ」と大きく描かれている。店の入り口には色とりどりの花やプランターが並び、温かみを感じさせる。
 内観は、ウッド調の落ち着いた雰囲気で、やや暗めの照明がノスタルジックなムードを演出。座席はソファタイプが中心で、赤や茶色の深みのある色合いが使われ、シャンデリア風のライトが空間を柔らかく照らしています。店の奥にカラオケの大きなスクリーンがあり、カウンター席には常連が集うアットホームな雰囲気が漂っている。
「こんな感じですかね」
 しずくは、カバンの中から、メモを取り出し、心海に説明する。

●12月22日(初戦)
 試合開始時間:11:00
 星稜高校 vs. 東京都立西ヶ丘高校
 結果:星稜高校が圧勝し、次の試合へ。初戦の勢いを活かし、晴陽、功祐、漣のチームワークも絶好調。

●12月23日(2回戦)
 試合開始時間:15:30
 星稜高校 vs. 福岡県代表 東福岡高校
  結果:接戦の末、星稜高校が勝利。福岡の強豪校との激しいディフェンスに応えた晴陽の得点が決定打に。

●12月24日(ベスト8決定戦)
 試合開始時間:13:00
 星稜高校 vs. 神奈川県代表 湘南高校
 結果:星稜高校が惜しくも敗北。最終スコア差はわずかで、最後のシュートをめぐる場面では、試合全体が沸き上がる一幕が。

「さすが、敏腕マネージャーのしずくちゃんだね」
「いえいえ」
「なのに、功祐ったら…」
 怒の目で見たと思いきや、哀れみの視線を注ぐ。
「おば…心海さん。シーッ」
 功祐は焦りながら、自らの唇に人差し指を当て、口止めする。心海は、おばさんと呼びかけた功祐に凍てつくような目線を送り、下を向いて、小さい声で「すみませんでした」と零していた。それから、皆、「心海さん」と呼んで機嫌を取るようになった。
「ベストエイトまで、残れたから大奮闘!」
 功祐が手を叩き、喜色満面の顔で言う。
「惜しいシュートが何度かあったから、それが決まれば…」
 漣が後悔とともに溜息を落とす。
「ウィンター杯は最初で最後だもんな…」
「でも、俺たち、頑張った」
 晴陽が、漣の背中に手を添える。
「頑張ったよ。感動した。今までで一番」
 由真も口を開き、皆に伝える。
 涙で瞳(レンズ)が濡れてしまうほどに胸が熱くなった試合だった。
「ありがとう」
 皆の声が響く。マイクを取って、功祐が先陣を切る。
「じゃあ、今日はとことん歌おうぜ」
 イントロが流れ始め、YMCA~♪と歌い始める。
「晴陽もなんか歌って」
 しずくは、「可愛いの裏返し」というアイドルグループShine Street 略して、シャンストの曲を歌って、盛り上げた後、晴陽の前にマイクを出す。
「マライア何とかのクリスマスによく流れている曲はどう?」
 功祐が、良いこと思ついたと頭の上の電球がパッと点く。
「マライア・キャリーな。わ、分かったよ」
 晴陽は、目を細めて、功祐を見る。そして、重い腰をあげて、しずくが持つマイクを手にする。
「晴陽、帰国子女だから、本場のクリスマスを経験しているし、バスケだけではなく、英語も上手いんだよ」
 しずくが、由真に耳打ちする。イントロが始まり、晴陽が、マイクを構える。
 確かに、橘くんが帰国子女というのは風の噂で聞いたことがあるが、当の本人は、自慢する素振りとか見せず、聞かれたら仕方なく答えるといったスタンスを取っていた。
「準備早いな、おい」
 スクリーンに、マライアキャリーのAll I Want for Christmas Is Youと言う文字が現れる。
「入れておきました」
 漣が、サラッとスマートに笑みを浮かべる。「ナイス」と功祐としずくの声が重なる。
 橘くんの歌、聞いたことない。正直言うと、楽しみだ。
 歌い始めると、彼の流暢な英語と伸びやかな声に場が一気に静まり返る。おぉ! と感嘆の声が静かに共鳴する。
 功祐は、持っていたタンバリンの出番を見つけるタイミングを失い、タンバリンに、ごめんと謝る。晴陽が歌い終わり、拍手に包まれていた。
「まぁ! すごいわ」
 心海さんも密かに聞いていたようで、心ここにあらずという顔をしている。由真も、晴陽の歌声に心を奪われていた。
 チョコレートが溶けていくかのような歌声で、思わずホットミルクを用意して混ぜたくなりそうになった。
「じゃあ、次は月くんだね」
 皆歌っているのだから、拒否する権利はないよね。橘くんが歌った後って、プレッシャーが心にズシッと圧し掛かる。何の曲にしよう。流行りの曲…聞くけど、歌えない…歌いきれない。もう、おじいちゃんとカラオケ行く時に歌う曲で勝負しよう。場をしらけさせるかもしれないが、取りあえずは歌い切れる曲で行こうと、タッチペンで、パネルを操作し、曲を入れる。
「ツッキ―、何歌うんだろう」
 照れくさそうにマイクを握り、咳払いをする。イントロが流れ始める。
「この曲って」
 しずくが、閃いたかのように小さく手を叩く。
「♪君が去ったホームに~」
 歌い出すと、緊張が解け、柔らかでまっすぐな声が、独特の温かみと懐かしさを漂わせ始める。哀愁を帯びた優しいメロディが、喫茶コッコの静かな夜に広がる。
「ツッキ―、良かったよ!」「ツッキ―、すごい」「月くん、歌上手!」
 漣、功祐、しずくが目を輝かせて、感想を伝える。
「あ、ありがとう」
 てっきり、選曲が古すぎて、引かれてしまうのではないかと思った。でも、喜んでいる姿を見て、歌って良かったと下を向いて照れを隠す。席に座ると、晴陽と目が合い、「良かったよ」と耳元で囁かれる。由真の顔が紅潮していく。
「あ、ありがとう」
 ついさっき、照れが顔から去ったのに、また戻って来た…。

 アルコールを摂取していないのに、酔っぱらいの会社員のような雰囲気が漂ってきたところでお開きになった。街の並木道にはイルミネーションが施され、淡い光が瞬いて夜の景色に温かみを添えている。人通りは少なく、聞こえてくるのは微かな風の音と、どこか遠くで流れるクリスマスソングのメロディ。帰り道、晴陽と由真は一緒だった。
「楽しかった」
 晴陽は、背伸びをして、星空を眺める。あっ、星綺麗と呟く。晴陽の声に釣られて、由真も空を見上げる。
「綺麗。冬の夜空って澄んでいていいよね」
「冬は、水蒸気が少なくて乾燥しているから星がよく見えるんだよな」
 そう! 僕は、お父さんが小さい時に教えてくれたから知っていたけど、橘くん、すごい!
「うん」
 星を眺める晴陽の姿を見て、思わずカメラを構えたくなるが、グッとこらえる。バスケをしている写真を撮らせてもらっているのに、夜空を見上げている写真までっておこがましい。
「月くん、明日何するの?」
「写真撮っているかな。ちょうど、年明けの写真コンクールに出す写真を撮ろうかと思って。まだ何撮ろうか決めていないけど、一人三枚まで出せるから、少ないより多い方がいいかと思って写真撮りに行く」
「そうなんだ。すごいね」
「橘くんは?」
「バスケの練習かな」
「橘くんこそ、すごい」
 大会があったのに、翌日も練習だなんて、尊敬。ゆっくりと二人の間に流れる時間も、終わりを迎える。駅前の交差点で足を止める。
「じゃあ、月くん。お疲れ、お休み」
「橘くんもお疲れ。お休み」
 空を見上げると、月が冷たく光り、その周りにちらほらと星が見える。冬の夜空は、何だかノスタルジックで、心地よい。街灯に照らされて、二人の影が長く伸びている。晴陽は小さく手を振って「メリークリスマス」と微笑み、由真もそれに応えるように「メリークリスマス」と小さな笑顔を返した。

 二人が背を向けて歩き出すと、視界の隅にふわりと舞う雪が映った。やがて降り出すかもしれない小さな雪の予感に、どこか心がくすぐられるような夜だった。